どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の連載小説『吉村くんの出来事』(9)

2024-01-04 02:22:00 | 連載小説


     滑落

 七月の第二月曜日、早川が無断欠勤したというので、集配課はみな大慌てしていた。
 班長は欠員となった配達区の穴埋めに、自ら郵便物の区分を始めていた。その間、課長は早川の自宅に電話を入れて状況把握に努めていた。
 しばらく呼び出し音が続いた後、やっと電話口に出たのは早川の母親らしかった。それは課長席から聞こえてくる会話のやり取りから推察できた。
「えっ、息子さん家に居ないんですか」
 課長の不満そうな声があたりに響く。「・・・・ええ、金曜日の夜に自宅を出て行ったきり、まだ帰っていないんですか」
 今度は不安げなトーンに変わっていた。
 一体どう解釈したらいいのか、課長が思いあぐねて助けを求めるように周囲の者を見回した。
「はい、はい、愛用のオートバイで出かけたのですか。お母さんにも行き先を言ってなかったんですね。・・・・そうですか、皆目見当がつかないと?」
 課長は首をひねりながら、電話を切った。
「弱ったなァ、何処にいるのか分からないんだ」
 心底困った様子で席を立った。
 吉村は久々に入った通常配達区で、課長席から漏れてくる電話の応対に聞き耳を立てていた。一向に要領を得ないやり取りだったが、双方の行き違いというより実際に早川の所在がつかめない様子なのが気がかりだった。
「吉村くん、先週早川君と食堂にいたよね?」
 あまり友達のいない早川が、山仲間の東条、吉村とニコニコと談笑している姿を、課長は見ていたようだ。
「はい、一緒に飯を食いましたが・・・・」
 吉村は区分の手を休めずに答えた。
「それで彼、キミに何か言ってなかったかね?」
「そうっスねえ。・・・・どこへ行くとか、それらしいことは何も言っていなかったスねえ」
 いくら訊かれても、早川が無断欠勤をした理由は思いつかなかった。
 仕方なく、課長は東条の所属する別の集配課に足を向けた。都心の郵便局とあって集配課だけでも幾つにも分かれているのだ。
 十分ほどして再び課長が戻ってきた。
「東条君も心当たりがないそうだ・・・・」事態を把握できていないことが、課長にとっては不安なのだ。万が一重大な出来事など起こった場合、真っ先に追及されるのはその点だった。
 郵便物の区分を終え組立て作業に移りながら、吉村は考えごとをしていた。休みが二日続けてあったら、自分ならどうするだろう、と。
(昔の俺だったら、どこかの山に向かってたな・・・・)
 先週、郵便局の食堂で、吉村が定食のサバの塩焼きを突っついていたとき、早川は吉村と東条の話を目を輝かして聞いていた。丸い福助人形のような顔で、文字通りニコニコと口元に笑みを浮かべていた。
 あまりにも嬉しそうなので、吉村は乾いて硬くなった焼きサバに苦闘する姿を面白がって見られているのではないかと、早川の視線の先を確かめたほどだった。
(あいつ、滅多なことじゃ本心をしゃべらないからな)
 人が悪いのではない。ずるいわけでもない。稀に見る純粋な男なのだが、自分の本心を明かさず、他人の意見も一切聞こうとしない傾向があった。
 うっかりすると、彼のニコニコ顔につられてとんだ勘違いをさせられることになる。従順そうな見てくれとは違って、梃子でも動かない頑固さにぶち当たって戸惑うことが多いのだ。
 友人が極端に少ないのは、そんな理由もあったからだろう。
 吉村と東条が早川の人間性を理解して付き合っているのは、二度ほど山に同行しているからだ。
 三人で初秋の八ヶ岳縦走をしたとき、彼の体力に驚嘆しただけでなく、隠されていた意外な素顔を知って、感心半分、敬遠半分の思いを抱いた覚えがある。
 発端は、人伝てに聞いていた彼のボランティア活動のうわさを何気なく確かめたことにある。清里からの長いアプローチを行く間に、尽きかけた話題の間に合わせで会話に載せたところ、思いがけず彼の日常の一端を話してくれたのだった。
 晴れ渡った秋空と色付きはじめた木々の様子が目に心地よかったのか、あるいは胸底に届く空気がよほど旨かったのか、重いザックをものともしない足取りのままぼそぼそと答えてくれた。
「大したことはしてませんけど、思いついたときに近くのバス停とか周りの歩道を掃除しているんですよ」
「ほう、・・・・偉いんだね」
 揶揄と間違われるのをおそれながら、吉村は声をあげた。
「うちは母子家庭で、生活保護を受けていた時期もあるんで、妹と二人で町に恩返ししているんです」
 妹がバス停に飾った野の花が人の目に留まって、新聞の地方版に写真つきで紹介されたこともあったという。
 普通なら照れてしまって、以降の行為が負担になるものだが、早川は臆することなく未だにボランティア活動を続けているということだった。
 正しいと思ったら脇目もふらない、純粋で扱い難い性格をそのとき知った。理解者が現れるまでには時間がかかることも納得できた。
 ただ、あのニコニコ顔の下で何を考えていたのか。キラキラと輝く目で人の意表を衝くことを企んでいたのではないかと、妙な警戒心を呼び起こす食堂での会食ではあった。
 
 昼休みに『花の百名山』を眺めていて、ハッと閃いたことがあった。
(やっぱり奴は、山へ行ったに違いない・・・・)
 昨年まで百名山のうち半数近くを踏破していた吉村に対して、後発の早川はようやく三十座を越したばかりで、そのことを口惜しがって珍しく口に出したことがあった。
「こればっかりは一気に達成するわけにはいかないのだから、一つ一つ楽しみながら近付いていくしかないっスよ」
 吉村は逸る早川に対して、言い聞かせるような気持ちで答えていた。
 ところが、吉村がバイク事故で山行きを中断し、なおかつ久美との結婚を控えて当分動けそうもないことが、早川の功名心に火を付けたらしい。この機に追いついてしまおうとの思惑が、透けて見えるような気がした。
 今回の無断欠勤も、彼の隠密行動とどこかでリンクしているような気がして仕方がなかった。
(もしも山だとしたら・・・・)
 吉村は、早川の行動を推理してみた。
 仮に家を出たのが夜の十時ごろとする。250CCのオートバイを飛ばして、時速60キロほどで登山口をめざせば、都心から6、7時間で少なくとも350キロメートル圏内に達することができる。
 だとすれば、福島、新潟、長野、岐阜、静岡の一部をぐるりと円で描くことができる。そして円の内側には、早川がまだ登っていない山がいくらでもあるのだ。
 吉村の勘では、いつでも登れそうな単独峰より、夏山シーズンを迎えた南アルプス、北アルプスのどれかに的を絞った公算がつよかった。
 一泊二日で二つ三つのピークをこなせるコースは、早川の目にも魅力的に映っていたに違いない。うまくすれば、一度の山行で複数の百名山を制覇することができるかもしれないのだ。
 吉村の推理は、午後になって最悪の形で的中していたことが明らかになった。
 初めは長野県警から家族への連絡で、早川の遭難が伝えられたらしい。だが、電話口で声を失った母親では埒が明かず、奥穂高岳から西穂高岳へ向かう岩場で滑落死していた状況は、県警から郵便局への電話で詳細に報告された。
「お気の毒ですが、ご家族の方は動転されていてご遺体の確認が無理な状況に思われますので、職場の方へもご連絡させていただきました・・・・」
 夕方から夜にかけて、集配課も総務課も騒然となっていた。
 ある者は早川の自宅に向かい、ある者は管轄の郵政局に出向いて状況説明に時間を費やした。多少、職掌からずれることはあっても、局長以下こうした時の役割分担はうまい具合に機能するものだった。
 吉村と東条が急遽松本へ向かったのは、翌朝になってからだった。課長の指示ではなかったが、協力がなくてはできないことだった。
 ふたりとも担務に入っていたから、それを外して人をやり繰りするところから始まった。休みの扱いをどうするのか、忌引きのような明確な基準もないことから吉村は有給休暇を申し出た。課長の悩む様子を見かねたというより、仲間の死に際して自発的に行動する自然な気持ちだった。
 新宿から松本へ。
 いつもは大きなザックと共に、夜行列車の座席で寝苦しい思いをするのだが、この日は始発の『あずさ』で眩しい光の中へ突入していった。
「なんだか嘘みたいだな・・・・」
 東条が言った。
 たしかに朝八時の特急に乗っている自分たちが信じられなかった。その原因となった早川の死は、もっと実感が薄かった。
 旅行者やビジネスマンが混在した乗客のなかから、早川が笑いながらひょいと現れそうな気がした。
 あわただしい出発準備で、前夜はあまり眠れなかった。
 とりあえず、昨夜のうちに久美にも電話をして事情を説明した。友人が遭難したことと、その確認をするために現地まで出向くことを伝えた。身近な者に自分の行動を知らせておくのは必要なことなのだ。
 久美は心配したが、引き止めはしなかった。やはり黙ったまま難関を避けようとするのは良策ではない。話してしまえば、その分こころが楽になる。
 母親に心配をかけたくないという早川の気持ちは吉村にもよく理解できたが、こうした結果が出てみると逃げてはいけない場合もあるのだと、バイク事故のときの自分を引き合いに反省していた。
 当初、早川の遺体は涸沢にある長野県警山岳救助隊のもとに収容されているとのことだった。その後どこかへ搬送される可能性もあったが、吉村と東条はとりあえず涸沢をめざして最短のルートを採ることにした。
 松本から新島島を経て上高地バスターミナルに到着した時には、すでに正午を回っていた。
 念のために早川の入山届けが出ているか調べてもらったが、「登山者カードは警察の方が持っていかれました」という事務員の答えがあり、昨日のうちに回収されて現在は県警の手元にあるらしかった。
 ターミナル二階の食堂で腹ごしらえをし、もう一度所要時間を計算してこれからの行程を点検した。
 早川がどのようなコースを選んだのかはいずれ調べるとして、吉村はこの日の泊まりを横尾山荘に決めた。東条もそれに同意して、二人は梓川沿いの道を黙々と歩き出した。
 河童橋から明神館までは、登山道というより観光道路と呼ぶのが似合っていて、早くも明神池あたりから引き返してきた軽装の行楽者に、こんにちは、こんにちはと弾んだ声で挨拶されるのが辛かった。
 徳沢園から横尾山荘まで、緑の濃い平坦な道をゆっくりとたどっていった。
 かつて東条とふたり、重太郎新道を通って前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、槍ヶ岳を縦走したときのことが思い出される。
 雨と寒さの中の厳しい挑戦だったが、それだけに岩に取り付く手足の感覚が、いまでも細胞のどこかに残っている気がした。
 折りしも岳沢ヒュッテ側から前穂、奥穂、北穂のルートをたどってきたという数人のパーティーと出会って言葉を交わした。早くも滑落死のニュースは伝わっていたが、今年すでに十件の遭難と二名の死者が各所に掲示されていて、またかという思いが先に立つのかもしれない。吉村の見るところ、他人事として鈍感になっているようであった。何かが起こっても、最後は浮石や落石を憂える声に収斂されていくのだった。
 無理をすればその日のうちに涸沢小屋まで行けたかもしれないが、夕刻遅くなって到着したところで目的が果たせる見込みはないので、一歩一歩を踏みしめながら以前の勘を取り戻そうとしていた。
 天候にも恵まれ、スコンと抜けた空が身にしみた。こんなときに限って、山はとびきり上機嫌な顔を見せるのだ。
 吉村は寄る辺ない気分で、肺の中に山の空気を出し入れした。未だに信じられない思いを抱えたまま、夕暮れの横尾山荘に到着した。

 翌朝、本谷橋を経て涸沢に常駐する山岳遭難救助隊を訪れた。
 責任者の話によると、早川は日曜日の午後登山者によって発見され、救助隊に通報された。県警ヘリによる収容の後そのまま松代病院に搬送され、そこで死亡が確認されたという。
 どこかで情報の行き違いがあったらしく、涸沢まで駆けつけた吉村たちの行動は無駄足に終わった。
 しかし、緊急時には情報の錯綜は付き物なのかもしれない。仕方なく救助隊から県警経由で郵便局に電話を入れてもらい、家族への手配を委ねて当面の懸案を済ませることができた。
「現場だけ見ていこうか」
 吉村はバスターミナルの売店で分けてもらった小さな花束を、早川の滑落地点に手向けたいとおもっていた。遺体との対面は正直避けたい気持ちがあったが、その代わり多少の危険は厭わないで遭難現場に立ってみようと決心していた。
「大丈夫ですか・・・・」
 東条が心配そうに吉村を見た。
「奥穂から、いくらも行かない場所だろう?」
 たしかに隊員の話では、早川は奥穂高岳を通過して一時間もしないうちに浮石を踏んだらしい。西穂高岳へ向かう難所に差し掛かってすぐの、小さな油断が早川の命を攫っていったのだった。
「馬の背を過ぎたあたりと言ってたよね」
「穂高岳山荘から西へ向かうとはね・・・・」
 東条が呻いた。二日目は、涸沢岳から北穂高岳を登って横尾へ降りて来るのが普通だと言いたいらしかった。
「間ノ岳、西穂高岳が頭にあったんだろう」
 ここにも早川の焦りが感じられた。短期間で数多くの峰を踏破しようと体力に任せて突っ走った結果、足元の浮石に裏切られたのだ。
 涸沢小屋から穂高岳山荘への登りは、かつて北穂の下りで感じた緊張感と比べればさほどのこともないように思われた。鎖や梯子の難所を避けて、ザイデングラードと呼ばれる短縮コースを選んだのが果たして良かったのか悪かったのか。
 吉村にとっては初めてのルートで、白出のコルに至るガレ場は達成感の少ないコースと判定できた。三点確保の基本さえ守っていれば、女性の体力でも充分に通過できる北穂回りのほうが、精神衛生上は優位だとおもった。
 今回は荷物も少なめで、その点登りは楽だったが、どんなときでも油断は禁物だ。早川の例もあるのだからと、吉村も東条もあらためて気を引き締めた。
 白出の合流点を左に折れて、穂高岳山荘に向かった。ここへは立ち寄る目的があった。早川が土曜日の宿泊をしたことを確認しておきたかったのだ。
 主人に確かめると、早川のことを覚えていた。
「ええ、白い顔のがっしりした人でしたよね」
 土曜日の泊まりはごった返すほどだったが、やはりニコニコと笑顔の多い早川は誰の目にも特別の印象を残すらしかった。
 この山荘での登山者カード書き込みは、どうやらしていないようだった。金曜日の夜はぶっ通しでオートバイを走らせてきたわけだから、翌日は急登の疲れもあってバタンキューだったのかもしれない。
 朝は五時には出発したろうから、記帳の余裕はなかったと考えられる。あるいは出発間際にルート変更を思いついた可能性はなかったか。早川の名誉のためにも考えたくないことだったが、登山計画書を見るまではさまざまな選択肢を消去できなかった。
 あと一日の余裕があれば、吉村と東条が果たしたように百名山の一つ槍ヶ岳へ向かったことだろう。同じ危険を冒すなら、北穂から大キレット越えをめざすのが山男の習性だ。それだけに、北穂高岳を降りて素直に上高地へ戻る気にはなれなかったのか。
 結局、早川は西穂へのルートをとった。難関コースを踏破することで、自分の中の満足を獲得するために・・・・。
 奥穂高岳山頂から西穂高方面を望むと、砦のようなジャンダルムは指呼の間だった。しかし、そこから先は飛騨側から湧き起こる霧に覆われてよく見通せなかった。
 ときおり谷底から巻き上げてくる風が、綿アメをちぎるように気流を動かし、ノコギリの歯を連想させる峰々をほんの一瞬だけ垣間見せた。
「ガスも濃いし、風もありそうだ。・・・・すぐ引き返して来るんだから、あの岩陰にザックをデポして行こう」
 吉村は久美の顔を思い浮かべながら、東条に声をかけた。
 ザックの天辺に結わえ付けておいた花束だけを手に持って、穂高連峰でも最大の難所といわれる痩せ尾根に足を踏み出した。
(こんなところを焦った気持ちで行ったら、ひとたまりもない・・・・)
 奥穂から北穂にかけてのガレ場と違って、ここにはなんの支えもない。頼りになるのは自分の手足と張り詰めた神経だけなのだ。
 早川とて、この痩せ尾根の危険性は知っていただろうに、ザックのバランスや風のあおりを計算しきれなかったのかもしれないと思った。
 隊員の説明どおり、馬の背を越えロバの耳に差し掛かる尾根の左下方に、ヘリコプターを誘導したと思われる赤い目印が確認できた。ペンキなのか、テープなのか、谷底まで一気に滑落したさまが想像される。
 吉村はおもわず身がすくむのを覚え、尾根の岩に手を添えて小さな花束を道端に置いた。撫子に似た赤むらさきの花だけを表面に出し、束ねて紙を巻いた茎にはザレ石を載せて重石代わりにした。
(いい奴ほど、先に呼ばれるな・・・・)
 早川のミスに対して批判めいた気持ちが拭えなかったが、いま遭難現場まで来てみて定められた運命のようなものを感じていた。
 早朝にここで滑落したとしたら、なぜ午後まで発見されなかったのか。
 日曜日の登山者数はかなり多かったはずなのに、なぜ発見が遅れたのか。
 おそらくその時刻、早川と同じコースをたどる者が少なかったか、ガスに視界を遮られたのだろう。
 そして西穂高岳山荘を出発した登山者が、西穂独標、西穂高岳、間ノ岳、天狗ノ頭、ジャンダルムを越えてくるまで、何時間も何時間も谷底に横たわっていたのだ。
 ほんとうのところは判らないが、岩に叩きつけられて襤褸切れのようにしぼんだ早川の肉体を想うと、あまりの悲惨さに胸が震えた。
 もう一度谷底に目をやり、合掌したのち二人は声もなく引き返した。
 山行の楽しい想い出の裏に、人に背負わされた慙愧の念が貼り付いている。山の澱とでも言ったらいいのか、これまでに感じたことのない疲れが靴の中いっぱいに溜まり始めていた。
 デポ地点まで戻り、奥穂高岳をあとにした。紀美子平を通り重太郎新道をまっしぐらに下った。
 どのルートを使っても、気の抜けない山だった。
 年々人臭さが増してきた穂高連峰に、山本来の神霊が戻る日はあるのだろうか。かつての修験者のように、山そのものを清め、浄められる山行を取り戻せるのだろうか。
 人口に膾炙した『日本百名山』の功績は認めつつ、人の功名心に影響を与える弊害にも気付かされた今回の事故だった。
 吉村自身、今の今まで百名山の呪縛に掛かっていたことを反省した。
 山に優劣などあろうはずがないと気付けば、悠々と自然が放つ幽玄の気を楽しむことができるのだ。
 あと少し下れば河童橋に帰り着くことができる。重い荷を背負って難行苦行するだけでなく、梓川の清流に感嘆の声をあげる生き方もある。
 久美と約束したとおり、事故もなく帰り着ける歓びが湧いてくる。
「こんにちは」の響きが、一日経ったいま耳元でやさしい音色となってよみがえった。

 


   (第九話)

 

(2007/03/02より再掲)


     
 

コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 紙上『大喜利』(43〉 | トップ | 思い出の連載小説『吉村くん... »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今年もどうぞよろしくお願いいたします (koji)
2024-01-04 19:12:10
深田久弥とNHKから、百名山を踏破しようという山岳ファンは増え続けているんでしょうね。
百名山へ対峙する際の心構え、百名山制覇に取り憑かれた方々への警鐘みたいな今回のお話しでした。
返信する
百名山に惹かれて (tadaox)
2024-01-05 02:50:04
(koji)さん、ありがとうございます。
NHKで「百名山」が放映されて以来ファンが急増しましたね。
腕(足)に覚えのある山好きはこぞって深田久弥の取り上げた山峯を制覇しようと躍起になります。
なかには危険な山もありますからあの時のブームには警鐘を鳴らす人もいました、
百名山シリーズは何度見てもいいんですがね。
返信する
人間の不可思議さが、、、 (知恵熱おやじ)
2024-01-05 03:38:09
山に挑んで命を失った人のことを聞いて、ふっと思うことがあります。

命を懸けるほどの何がその山にあったんだろうか、、、と。
でもその当人には、それでもそこに登ってみたい何かが確かにあったのかもしれない。
ならば、ご本人にとっては案外本望だったのではないかなあー

いや、それは山だけのことではないのだろう。
絵が好きで好きで、それで食っていけるほどの才能じゃないんだからやめておけと言われても、一生そこにしがみついて無名のまま、それでも描くことに満足して生涯を全うしていく人もある。

自分が86歳というこの歳になってみると、やりたかったけれどできなかったことが後ろに死屍累々だ。
それでもふと気付く私。
思い通りにいったかどうかは大したことじゃない。
好きなことをやり続けて一生を終われたら、御の字じゃないか、、、と
返信する
Unknown (tadaox)
2024-01-06 04:13:46
(知恵熱おやじ)さま、、ご挨拶が遅くなりました。
正月早々風邪をひいて咳き込んでいました。
ぼくは7回目の甲辰を迎えめでたいんだかめでたくないんだか。
山に関しては「山がそこにあるから」の名言の前には引き下がるしかありませんが、他のことで「思い通りにやれたか」と問われるとぼくの場合は全然ダメですね。
<好きなことをやり続けて一生を終われたら、御の字じゃないか、、>
知恵熱おやじさんの励ましを胸に今年も頑張ってみます。ありがとうございました。
返信する
お大事になさってください (知恵熱おやじ)
2024-01-06 07:19:32
風邪のよし、、、どうかお大切にどうぞ。

ある年齢を超えてからの風邪は、油断大敵ですね
怖い怖い
返信する
奥穂高 (ウォーク更家)
2024-01-10 08:48:02
私も、独身時代の1週間休みで、唐沢から入り、奥穂高に登りました。
そこから、西穂高の方向へ進もうとしましたが、雨が激しくなり、足元が滑って滑落しそうになるので、引き返し穂高山荘に1泊しました。
その夜、私が西穂高の方向へ進もうとしていた少し先の岩場(ジャンダルム?)で、穂高山荘に向かおうとしていた登山者が滑落して死亡したと山荘の主から聞きました。
ゾッとして怖くなりました・・・
返信する
奥穂高・西穂高 (tadaox)
2024-01-10 11:39:12
(ウォーク更家)様、本格的な山登りもやっていたんですか。
ぼくは河童橋の先の広場から見上げただけで登ったことがりません。
奥穂高や西穂高は名前を聞いただけで足がすくみます。
まして雨は大敵ですね。
引き返して佳かったと思います。
何人も滑落していて怖い場所のようですから。
返信する

コメントを投稿

連載小説」カテゴリの最新記事