辰巳ヨシヒロ氏(画像=Aさん撮影)
* 2009年4月18日「劇画誕生五十年を祝う会」にて
(辰巳ヨシヒロ氏をめぐるミステリー)
劇画家の辰巳ヨシヒロ氏(本名・辰巳嘉裕)が3月7日午後6時49分、悪性リンパ腫のため死去した。享年79歳だった。
辰巳氏は1935年、大阪市生まれ。
1951年、長編漫画「愉快な漂流記」でデビュー、次第に大人向けの漫画を模索することになる。
上京後の1959年、さいとう・たかを氏らとともに「劇画工房」を設立し、新進気鋭の仲間8人で活動を始めたが、まもなく活動方針をめぐって意見が分かれた。
マンガ全般を「劇画」と捉え、プロダクション化を念頭に置くさいとう・たかを氏と、自らの作品を『劇画』と称し作家の完結性を主張する辰己氏とでは同床異夢だったのだ。
辰己氏は悩んだ末に8ヶ月後、自ら立ち上げた「劇画工房」を離れ、『ガロ』などに作品を発表しながら独自路線をつらぬいた。
一時期、辰巳氏は発表の場がなくなり、漫画の世界から姿を消したかに思われた。
ところが近年、辰巳ヨシヒロの劇画は各国で翻訳され、海外で高い評価を得ることになる。
2005年にアングレーム国際コミック・フェスティバル(フランス)で受賞したのを皮切りに、翌2006年にはサンディエゴ・コミック・コンベンション(アメリカ)で特別賞を受賞。
2008年、自伝的マンガ「劇画漂流」で第13回手塚治虫文化大賞を受賞、2010年には同作でアイズナー賞(アメリカ)を2部門で受賞した。
「劇画漂流」はシンガポールで「TATSUMI マンガに革命を起こした男」のタイトルで映画化され、人生最晩年で最高のステータスを与えられた。
話変わって、辰己さんが亡くなった3月7日夕方には、ぼくとAさんは長年共通の友人だったK氏の通夜に出席していた。
午後8時ごろK氏と最後のお別れをしたあと、大宮駅まで歩きながら「とうとう二人だけになってしまったなあ」と感慨を深くした。
Aさんとはしょっちゅう電話で話をしているが、会うのは久しぶりだったので駅近くの喫茶店で一時間あまり雑談を交わした。
現在は著名なノンフィクション作家であり、かつては売れっ子の劇画作家でもあったAさんは話題が豊富で、ぼくはAさんから話を聞くのをいつも楽しみにしている。
一方ぼくは、一時期漫画月刊誌『ガロ』に関係する零細出版社に勤めていたことがあり、劇画を共通の話題としてAさんと話すことが多かった。
その夜も、Aさんはかつて面識のあった手塚治虫やさいとう・たかを、楳図かずおや佐藤まさあきとのエピソードを数々話してくれた。
当然「劇画工房」の話も出て、創立メンバー8人のうち現在も生き残っているのは辰巳ヨシヒロとさいとう・たかをと山森ススムの三人ぐらいかなというオチになった。
「辰巳ヨシヒロといえば、実はぼく文京区にあった印刷会社で辰巳ヨシヒロの弟だという人と一緒に働いたことがあるんですよ」
このことは当ブログの2010-03-11 05:06:43 | エッセイ「どうぶつ・ティータイム」112『「劇画通り」行きつ戻りつ』にも書いているので、話題にするのは二度目である。
「だけど、辰己さんはお兄さんの桜井昌一さんと二人兄弟だから、もうひとり弟さんがいるという話は聞いたことがないねえ」
Aさんは即座に否定した。
「そうですよねえ。だから、ミステリーなんですよ。確かに辰巳ヨシヒロの弟と名乗ってたように覚えているんでけど、誰に聞いても三人目がいるはずはないと言われるんで」
謎はそのままの形で放置され、Aさんは2008年に辰巳ヨシヒロ氏と会ったときの話に移っていった。
「・・・・僕と会ったすぐ後に手塚治虫文化大賞を受賞したわけだから、既に決まっていたはずなんだけど辰己さん一言も言わなかったねえ」
シャイなのか、長年の苦節の後で慎重になっていたのか、二人にしかわからない心の動きがあったのだと推測される。
「ところで辰巳さんて、ちょっと背が高くて角ばった顔をしてませんか」
ぼくは、ぼくが知っている辰巳ヨシヒロの弟と名乗る男の風貌を思い出しながら、A氏に確かめた。
本当に弟だったら、どこかしら似ているはずだと思ったのだ。
「うん、どちらかというと長身で、顔つきも角張っているよね」
「そうですか、それでボソボソという感じの喋り方をしませんか」
「そうそう、兄貴の桜井さんはよく喋る人だけど、辰己さんは口数が少ないというか訥々とした喋り方をする人だよね」
そうか、やはり全くの他人ではなさそうだと、ぼくは強く思った。
Aさんから聞く辰巳ヨシヒロ氏の印象は、ぼくと一緒に仕事をした弟を名乗る男と特徴がかなり似ているのだ。
「謎だよなあ、やっぱり。・・・・ぼくは1960年代の半ばから70年代の初めまで『ガロ』に関係していたんですけど、その後文京区の印刷会社に入ったんですよ」
「辰巳さんは、劇画が衰退して仕事が途絶えたあと、古本屋をやったものの上手くいかなかったようだね」
Aさんの説明によれば、マンガ界は激しく揺れ動き、青春コミックとかスポコン漫画が主流になっていったらしい。
「・・・・だから辰己さんも、いろんなところでアルバイト的に働いたんじゃないかな」
少しずつ辰巳ヨシヒロの弟という前提がぐらつき始めていた。
Aさんは、居るはずのない弟の存在より、むしろ辰己さん本人だったのではないかと思い始めているようだった。
「とすると、印刷会社で働いていた可能性が出てきますね」
「ないとは言えないね」
「・・・・そうか、辰巳ヨシヒロ本人とは言いづらくて、ぼくには弟だと名乗ったのかな」
半信半疑のなかで、ぼくは次第にAさんの見方を受け入れていった。
「辰己さんが手塚治虫文化大賞を受賞したのを記念してDVDが出ているから、その映像で辰己さん本人かどうか確かめてみたら?」
後日送ってもらったDVD『劇画ゴッドファーザー辰巳ヨシヒロ』~マンガに革命を起こした男~を見ると、ぼくの思いは迷いを残しながらも本人説に傾いていった。
「やっぱり辰己さん本人だったんだ」と納得しながら、「もう少し、やつれていたような気がするんだが・・・・」の惑いは完全には払拭できなかった。
(1970年代に印刷会社で働いていたかどうか、直接確かめられればいいんだけど・・・・)
実は、ぼくの願いはDVDを観る前に断たれていた。
DVDが届く前日に、Aさんから辰巳ヨシヒロ氏の訃報を伝えられていたからだ。
しかも、K氏の通夜に出席していた時刻に、辰己さんが亡くなっていたとは・・・・。
ぼくの場合、不思議な因縁などと仰々しく言える立場にない。
ただ、同業の一人だったAさんにとっては大きな驚きだったようだ。
よりによって喫茶店での一時間あまりは、辰巳ヨシヒロ氏が死去したとも知らずに劇画の話題で盛り上がっていたのだから・・・・。
結局、辰己さんに関わる長年の疑問は、わずかながら残ることになった。
(やはりミステリーのままか・・・・)
限りなく辰巳ヨシヒロ氏本人だったとの認識に近づいてはいるが、100パーセント確信が持てない以上、ぼくの胸中にしこりは残ったままである。
こうして、ぼくの日常は細部に若干の齟齬をきたしながら、人生の締めくくりへ向かって進んでいくようだ。
友人のK氏も、辰巳ヨシヒロ氏も、宇宙モデルとして示される網の目状の想像図の一点に印をつけられ、その線上でAさんやぼくと交わったに違いない。
その痕跡は、あっという間に消え去ってしまうだろうが、不如意な思いで口にした日常という塊も、やがてモソモソと喉元を通り過ぎていくのかなと思うのであった。
(おわり)
人は皆それぞれの人生曲線を描きながら生きていくんですね
その生き様の軌跡はいつかどこかで誰かと一瞬だけ交わって、また自分の曲線を描きながら進んでゆく
ときには一心同体のような妻と同じ軌跡を描いてゆく男もいるでしょうが、たいていは夫婦でも微妙に違っていて、何十年も先には相当に離れてしまったことに気づき呆然とします
それはたくさんの列車の軌跡をグラフに描いたダイヤグラムに似ているのかもしれません
窪庭さんの人生ダイヤのある時期に「劇画の名付け親」と接点を持った可能性が高いということなんですね。
遠い時間の体積に埋もれてそれが確かに辰巳ヨシヒロ氏だったのかどうかあやふやに感じておられるようですが・・・それも良しで一つのロマンですね。
でも、辰巳さんがお亡くなりになった日に、昔印刷屋でたまたま会った背の高い男のことをふと思い出して話題にしたこと自体が辰巳さんだったことの証拠と考えていいのでは?
私も年を重ねるにしたがって、理屈では割り切れない「説明のつきにくい偶然」が多くなってきたようにおもうのです。
あれは何なのでしょうかね
体の感度が、何か目に見えない意識のつながりが起きやすい状態になってきているのかなあーと・・・
そんなことを思わされるエッセイでした。
DVDを観たり写真を見たりしているうちに、当時の記憶もクリアになってきて、ぼくの抱えていた謎にも解明の道筋が見えてきたように気がします。
この文章を書いていて気付いたのは、人間の記憶の中核を為すものは、些細な仕草や声の抑揚、そして何気ない匂いや、辺りを包んでいた空気の揺らぎといった、「これ」とはっきり指摘できない存在の反照ではないかということでした。
もちろん、受信機としての性能の衰えはあります。
一方で、通常の記憶回路と異なる第六感的なものが、つながりやすくなっている気配も感じます。
「とうとう二人だけになってしまったなあ」
このような会話は
若い時には考えられなかったのですが
最近は身につまされるようになってきました
歳を取るということは
いろんなことを味あわないといけないのですね
せつない事の方が多いような気がします
時間があると
若い頃に読んだ本やビデオをよく見るのですが
断片的にその当時の色の記憶や匂いまでも
思い出すのが不思議です
作家さんは凄いです
読者は本を読むことで
永遠に記憶の中で生き続けられるのですから・・・と
思うようになりました
上手く表現できなくてすみません
ありがとうございました
歳をとるということは、あながち悪いことばかりではないようですよ。
一年ごとに諦めに近い感情が色濃くなる一方、絞り込んだものへの意欲が強くなって、迷いが断ち切れる気がします。
長年生きてきて、たくさんの岐路に出合いながら、とどのつまり選び取ってきたものには、真の意味で「後悔」はないのだと思います。
自分を許す・・・・一見ゆるい生き方に思えますが、多くの人にとって、これが老いるということであり、達観することではないかと考えるのですが・・・・。
むかし読んだ本や、観たビデオなどに寄せる(aqua)様の感慨には、まったく共感いたします。
映像による記憶は単独では不完全であって、それを匂いや皮膚感覚が補強することによって、より鮮明な記憶の浮上が見られるのではないでしょうか。
本に例をとれば、作家と読者が共同で作り出した世界ですから、そこにそれぞれの悦びがあるような気がします。
すっかり春めいた一日、普段あまり考えもしなかったことに、思いをいたしました。
ありがとうございました。