内海桂子師匠が亡くなって
ふと思い出したことがある
先輩が作った桂子師匠の本が
本棚のどこかにあるはずだ
あった 『人生は七転び八起き』
三味線片手の桂子師匠の表紙絵が目印だ
何十年も前の本だが今でも売れてますよ
師匠のもとへ通い詰めた執念の作が・・・・
先輩は あの頃は日の出の勢い
手がけた企画がすんなり通る
社内でも抜きん出た敏腕編集者
師匠の「言葉で絵を描きなさい 」を実践した
ひとりでいるのが寂しくて
自分宛に年賀状を書いたという師匠
塙や小朝の披露するエピソードの原点は
とうに『人生は七転び八起き』の中にある
先輩 師匠の手すきを縫って
よく 根気よく聞きだしましたね
相方の内海好江さんが亡くなったあとも
体当たりの舞台を続けた桂子師匠
台本がなくたって話すことはいくらでもある
客さえいれば 内海桂子そのものが台本だ
さあ 三味線鳴らして始まるよ
先輩が道を均した七転び八起きの始まりだ
ゲストは夫でありマネージャーの成田氏でした。
20歳以上、年下の成田氏と結婚した時の言葉
「棺桶担ぎ」 「墓守をやとった」・・・だったと言いますから、一種の照れから来た言葉だったのでしょうか。
それを聞いた時、大先輩に対して憚られますが少女の様な可愛い心を持った方だったのだろうなと思いました。
と同時に私もそう有りたいと思いました。
あの語り口、今でも耳に残っております。
ラジオ深夜便で、成田さんがそんなことを言ってましたか。
「棺桶担ぎ」とか「墓守をやとった」とか、いかにも桂子師匠らしい言い回しですね。
照れ隠しの裏のはじらいが可愛らしい。
持って生まれた人間味が、笑いのツボだったんでしょうか。