どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)96 『やもめの大往生』

2013-11-24 05:57:33 | 短編小説

 

 私鉄駅から徒歩数分の場所にある老朽アパートのオーナーがとうとう亡くなった。

 太平洋戦争では予科練に憧れていたが、15歳に達していなかったのでやむなく断念したという愛国少年だった。

 二年遅れて海軍に入隊し、南方戦線で補給任務にあたっていたものの、アメリカ軍の爆撃を受けバシー海峡に六昼夜漂ったという戦歴を刻んでいる。

 九死に一生を得て帰還してからは、親の残した土地に木造のアパートを建て、結婚もして妻とともに長年アパート経営に専念した。

 町内会の役員として奉られたこともあったが、妻亡きあと70歳を目前にある会社の共同経営に参加し、見事に失敗したところからいっぺんに権威を失っていた。

 単に事業が行き詰まっただけなら名誉をなくすこともなかっただろうが、その事業がアダルト・ビデオ制作会社だったとバレて家主の信用はがた落ちになったのだ。

 しかも、家作であるアパートの一室を撮影用に使用させ、なかんずく家主自身が男優として出演しているのだから世話はない。

 出演に至るまでの顛末は関係者のみの秘密事項だが、老作家シリーズで共演した女優の美奈に惚れてしまい、プロデューサーと交渉して美奈を占有物にしたのだった。

 その代償としてアダルト・ビデオ制作会社『M』への資本参加を応諾し、その後も事業存続のために土地を担保に追加の債務保証をしたのだった。

 一時は老作家シリーズの成功で順調だったアダルト・ビデオの販売も、やがて飽きられたのか売上が落ち回転資金もままならない状態になった。

 そうなると目端の利くプロデューサー兼監督はトンズラし、一時アパートに住まわせていた美奈も家主の前から姿を消した。

 家主の老人はさすがに落胆したが、もとより元AV女優の美奈がまともに自分の連れ合いとして収まってくれるとは信じ切れないでいた。

 だから、事の成り行き次第でこんなこともあろうかと覚悟していたところもある。

 美奈との関わりで生じる遺産相続の紛糾を避け、報酬や手当は現金と生命保険に設定してある。

 ビデオ制作会社『M』の債務保証は、会社倒産時に土地の一部を処分して清算してあったから、残る財産は一人息子に渡るようになっていた。

 実質的に、彼は地主でも家主でもなくなっていた。

 一旦姿をくらました美奈は、結局内妻として家主の死を見守るのが得策と悟ったか、半年後には老人のもとに戻ってきた。

 ただし老朽アパートはすでに解体され更地になっていたから、ひと駅離れた駅前に賃貸マンションを借りての擬似通い婚という形だった。

 美奈との関係を維持するには、細心の注意と日々のメンテナンスが必要だったのである。

 (カモメは、カモメ・・・・)

 家主は自分を孤独なカモメになぞらえたことがある。

 『かもめのジョナサン』は、群れから外れ、ひとり天空を目指して飛翔する道を選んだが、自分もまた常識の枠から離脱して想像もつかない領域に飛躍を試みたのだ。

 アダルト・ビデオ出演・・・・偶然に導かれたあれよあれよの展開。

 神が支配する光の国は、スースーするほどの解放をもたらしてくれたようだ。

 どこが天なのか地なのか、見分けがつかない崇高な撮影現場・・・・。

 裸の尻から照明を当てられ、羞恥も逡巡も一瞬のうちに昇華する。

 損得勘定を超えた後の爽快な収支決算、代々の地主としての使命と義務が雲散霧消して、突き抜けた独居老人のみが残される。

 (やもめは、やもめ・・・・)

 ジョナサン同様、自分もいずれ、こうなる気がしていた。

 『M』のプロデューサーがトンズラしたあと、多額の使い込みまで発見されたのもご愛嬌だ。

 あの時、老人は一人焼酎を呷りながら、自分がカモメになったあと果てしない天空に向かって墜落することをイメージしたが、今はそれが誤りだったと気づいている。

 かもめのジョナサンは、おびただしい光に包まれ遂には光の国に迎えられたのだ。

 (すべては、あの日から始まった・・・・)

 天地開闢の第一日がはっきりと分かる幸せは、確かにその他の不幸を補って余りあるものだった。

 先祖伝来の地主である威厳が潰えても、健全な家族構成の体面が保てなくなっても、そんなものはすべて混沌に飲み込まれてしまう。

 美奈の失踪も時間によって解決され、老人が夢見た愛の形象が具現している。

 たとえ十全な愛を得られなくても、老人にとっての愛の対象がそこに存在していれば甲斐があるのだ。

 かつて、光の国にぽっかりと開いた闇に向かって白いカモメが墜落する姿を思い描いたが、そのような悲観すべき感慨はもう微塵もなかった。

「美奈ちゃん、一緒にお風呂入ろうか」

「先生、おいたしちゃだめよ。あたし、いつまでも長生きしてもらいたいんだからね」

 美奈は今でも劇中の老小説家役が気に入っていて、老人のことを先生先生と呼ぶのだ。

 彼もまた今ではそう呼ばれることに慣れていて、先生と呼ばれることで陶然とした気分が醸成されるのを愉しんでいた。

「美奈ちゃん、ぼくは今のところ役立たずだが、必ずきみを悦ばせてあげるからね」

 浴槽の中で戯れながら、老人は何度も美奈に謝るのだった。

 

 フィットネスクラブに足を運び若さの回復を試みた老人は、思うような成果が得られないと悟るや別の方法を模索し始めた。

 スポーツ新聞の広告で知った怪しげな錠剤を4錠3万円で購入し、美奈には内緒で事前に服用する計画を立てていた。

 当時はまだ、バイアグラなどのED治療薬を簡単に手に入れられる状況にはなく、アメリカから輸入したと称して1錠7,500円もする高額で頒布されていたのである。

 それでも老人はバイアグラの錠剤を持ち歩き、美奈のマンションへの訪問一時間前に服用した。

 例によってテレビを観たり、出前の鰻重を食べたりの団欒の後、老人シリーズ華やかなりし頃の思い出話にかこつけて、ソファに美奈を貼り付け開脚させたのだった。

「あっ、先生無茶しないで!」

 美奈の慌てた声を聞いた途端に、老人は血脈が一本切れたのを感じた。

 いや、そう感覚したのは彼の錯覚で、逆に脊髄を熱い感覚が走ってへその下に何かが到達したのを感知した。

 それは長期間滞っていた脳からの伝令が、改修された狭い道を通って下腹部に司令を送り届けたことを意味していた。

 (よし・・・・)

 確信したとおり、老人のエンタシスは屹立していた。

 横倒しになった無用の石柱ではなかった。

「美奈・・・・」

 ちゃん抜きの気迫に満ちた呼びかけに、美奈もある種の啓示を受け取ったらしく、目を見開いて老人の迫り来る股間を凝視した。 

「うわー」

 間投詞を発した後「・・・・どうしたの?」と問いかけた。

 (うるさい!)

 余裕のない老人は、返事をする間も惜しんで美奈に覆いかぶさっていった。

 自分でも奇跡と感じているさなかだったから、奇跡の理由など説明出来る訳はない。

 いや、本当はバイアグラ・・・・と一言いえば済むものを、まだ信用していないグレーの感情があったのだ。

 つまり、この怪しげな錠剤は、効いているうちに早く実行しないと夢のごとく泡のごとく消えてしまうのではないかと恐れていたのだ。

 だから、彼は性急に事を運んだ。

 受けなれた美奈の優しさに包まれて、老人とも思えぬエンタシスは文字通り直径を増していった。

 旧地主だった男は、多くのものを捨て去ることによって空を飛ぶ翼を得た。

 ついにカモメになったのだ。

 ただのカモメではなく、天を目指す異端のカモメになったのだ。

 もちろん偶然に導かれ、先駆者ジョナサンの軌跡を追うことを示唆された。

 (ぼくは、やもめのジョナサンだ)

 半信半疑だった自分の生き方が、美奈を天空にまで持ち上げる奇跡の力を秘めていのだと確信できた。

「美奈、ぼくはもうただの老人じゃないよ。若者よりもよほど能力を発揮できる超人になったのだ」

 ある種の信仰にとらわれた老人は、自宅敷地の端にぽつんと取り残された住まいへの往き来にも臆することがなくなった。

 昂然と胸を張り、通勤者の人ごみを掻き分けて美奈のマンションから朝帰りした。

 (あと二錠残っている・・・・)

 バイアグラの数が彼の自信を裏書していた。

 だから終いには十錠、二十錠とまとめ買いし、辟易し始めた美奈が婉曲に諌めるのも聞かず、かつてのAV男優に張り合うごとく長時間奮闘した。

「先生、こんなことしていたら、すぐに寿命が尽きるわよ」

 昔から、一生の間に食う米の量は決まっているとか、生涯に排泄する精子の量も決まっていると言われている。

 『養生訓』を紐解くまでもなく、なんでも過ぎたるは及ばざる理屈である。

 案の定、それから数週間経った真夏の午後、かつての地主で町内会役員だった男は、美奈の上でウッと呻いたまま顔をこわばらせ倒れ込んだ。

 腹上死だった。

 美奈は慌てることなく老人の体を引きはがし、自分は身支度を整えた上で緊急連絡した。

「もしもし、旦那さんの様子がおかしいので、すぐに来てください」

 119番通報だ。

 おそらく事切れていると思われたので、余計な介抱はしなかった。

 立場上、多少の疑義は差し挟まれるかもしれないし、ことによったら司法解剖ということも考えられた。

 あとは救急隊員とお巡りさんに任せればいい。

 どういう問いかけがなされようと、ありのままを話せばいいのだと自分に言い聞かせた。

 勘が働いたというのか、美奈はこのマンションに引っ越してくるとき、自分の方から交番を訪ね住まいの環境や自身の立場を話しておいた。

「わたし旦那に養われている身で、普段はおんなの独り暮らしなの。この辺って治安は大丈夫なのかしら・・・・」

 覗きとか、下着泥棒とか、変な事件起こっていません?

 三十代前半の比較的若い巡査だったので、なんとなく興味を引くように申告しておいた。

 数ヶ月経った頃、その時のお巡りが分厚い台帳を抱えて早速住民調査にやって来た。

「どうですか、気になるようなことありませんでしたか」

 パトロールは増やしているのですがと、美奈の身辺に気を配っているというサインを投げかけた。

「あら、ありがとうございます。・・・・それが最近、旦那が頻繁に来るようになっちゃって、かえって目立って興味を引くんじゃないかと心配しているの」

 お巡りは何となく物問いたげに美奈の顔を見ていたが、「奥さんみたいに綺麗な方は、女優さんに間違われそうだから、よくよく気を付けたほうがいいですよ」

 一瞬ドキッとした美奈だった。

 だが、もしも彼女が出演したアダルト・ビデオを観て覚えていたとしても、その時はそのときだと腹をくくっていた。

 まあ、何が災いするか幸いするか計算したわけではなかったが、今となれば旦那の腹上死という珍事に際して、ある程度開示しておいた内情がプラスに働く予感がした。

 

 警察の処理が終わったあと、美奈は家主の息子の家にも電話した。

 親父のことは半ば公認の事実であったから、息子夫妻が美奈を非難することはなかった。

 ただ世間体をはばかって、妾のような女のマンションで腹上死した事実は伏せられた。

 家主の財布からバイアグラ二錠が発見されたこと、二千五百万円の生命保険がかけられていたことなどから死の状況が明瞭でなかったが、司法解剖だけは免れた。

 息子をさて置いて、美奈が全額受け取りの名義人になっていたから、予想したとおり疑うむきがあるのはやむを得なかった。

 疑問を解くため行政解剖の承諾を求められ、その結果死因は狭心症による突然死と診断された。

 バイアグラの過剰な摂取がどのように評価されたかは、美奈にもわからない。

 死体検案書が遺体とともに息子に渡されたから、その時点で美奈の存在はいよいよ妾のような位置に置かれた。

 息子が喪主の葬儀は、近くの寺で行われた。

 美奈も参列したが、ずいぶん近い他人のような扱いになった。

 そのことで不満どころか、むしろホッとしていた。

 (先生、ありがとう。可愛いかったですよ)

 お金絡みの取引みたいなところもあった関係だが、心情的に美奈もこの老人を愛していたと思う。

 少なくとも心を偽って付き合っていたのではないし、老人が何に倦んで何を求めていたかわかる気がしていた。

「ぼくは少年の頃から、空に散ることに憧れていたのかもしれないなあ」

 意に反して海に叩き落とされ、そこで死ぬのが堪えられなくて六昼夜の漂流に耐えたのかもしれないと漏らしたことがある。

 思い出して美奈はフフッと笑った。

 勃起を取り戻した最初のとき、美奈のマンションを出ていく後ろ姿が見たこともない自信に満ち溢れていた。

 そのことがあってからは、ピンポーンとやってくる先生の表情がいつも輝いていた。

 (男の人って、バイアグラ一つでこんなにも変わるものかしら)

 可笑しいやら、気の毒やら・・・・。

 美奈に気づかれていることに、全然気づいていないのだ。

 歳をとっても少年のままの先生を、自分の腹の上で死なせてあげられてよかったと、美奈はつくづく思った。

 昇天した魂はどんどん上空へのぼっていって、ついには光の帯に吸収されるのだろう。

 先生がそんなことを言ったのかどうか思い出せないが、予科練への郷愁ともいえる懐旧談のなかに、いつも天空を目指していた印象が色濃く漂ってくる。

 家族のことも情婦のことも、良く出来た息子だとか心の妻だとかなんとなく納得させ、世間とのしがらみも凸凹調整しながらなんとなく高さを揃えて文句を言わせない。

 そのくせ自分の我儘は見事に通しての大往生だ。

「やもめの大往生・・・・」

 みんな、みんな、先生にしてやられました。

 さいなら、さいなら、さいなら・・・・。

 こちらが言うのか、先生が言うのか、ひとりぼっちなのか、大勢がひとかたまりになっているのか、美奈もいっとき死の楽しさにたぶらかされそうになっていた。

  

     (おわり)

 


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