サトウハチロー
〈写真はウィキぺデイア〉より
サトウハチローは詩人でもあるが童謡などの作詞家としてよく知られている。
ぼくの好きな「ちいさい秋みつけた」の歌詞を見てみよう。
1 だれかさんが だれかさんが
だれかさんがみつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋みつけた
目かくしおにさん 手のなるほうへ
すましたお耳に かすかにしみた
呼んでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋みつけた
2 だれかさんが だれかさんが
だれかさんがみつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋みつけた
お部屋は北向き 曇りのガラス
うつろな目の色 溶かしたミルク
わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋みつけた
3 だれかさんが だれかさんが
だれかさんがみつけた
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋みつけた
むかしのむかしの 風見の鶏 (とり) の
ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
はぜの葉赤くて 入り日色
ちいさい秋 ちいさい秋
ちいさい秋みつけた
なんとも郷愁に満ちた詩ではないか。
サトウハチローが布団に腹ばいになって窓の外を眺めていたら、赤く色づいたハゼの葉が目についた。〈自身の言葉〉
<来歴>
父は、小説家の佐藤紅緑]。母・佐藤はるは、現在の宮城県仙台市出身で、河北新報社の創業者(社主)の一力健治郎の義妹(一力の妻の妹)にあたる。この両親の長男として、1903年(明治36年)5月23日、現在の東京都新宿区市ヶ谷薬王寺町に生まれる。
中学に入学後、紅緑が舞台女優の三笠万里子と同棲するようになり離婚する。
父親への反発から中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねる。
1945年に終戦となり、戦後初めてとなる映画『そよかぜ』の主題歌・挿入歌である「リンゴ唄」を作詞する。並木路子の歌により大流行した。
1946年エッセイ「見たり聞いたりためしたり」の連載を始め、およそ10年の間、毎日連載された。
また、同年の12月からNHKのラジオ番組『話の泉』]のレギュラーとなり、1964年(昭和39年)まで出演した。1951年(昭和26年)から1年間は、NHKのラジオドラマ『ジロリンタン物語』の原作を執筆する。
1853年(昭和28年)童謡集『叱られ坊主』を出版し、翌年これにより第4回芸術選奨文部大臣賞を受賞。以後は童謡の詩作に専念し、1955年(昭和30年)「ちいさい秋みつけた」を作詞、1962年(昭和37年)レコード大賞童謡賞を受賞。1963年(昭和38年)NHK放送文化賞受賞。
<主な作品>
童謡
- 秋の子
- お山の杉の子
- ちいさい秋みつけた
- かわいいかくれんぼ
- うれしいひなまつり
- めんこい仔馬
- スカンクカンクプー
- 子狸ポポンコの話
- アイウエオの歌
- カブトガニの唄
詩集
- 爪色の雨
- いとしき泣きぼくろ
- 僕等の詩集
- 少年詩集
- 少年詩歌集(編著)
- 好きな人のうた
- 友だちの歌
- おかあさん
- タムタム・ナムナム
- 生活の唄
- 美しきためいき
- あすは君たちのもの
- 愛を唄うそ
- たっけだっけの歌
- もずが枯木で
- まっすぐに愛して
- 悲しくもやさしくも
- おかあさんその後の花束
- ある日のうた
- 母を唄う
小説
- エンコの六
- 赤い顔黒い顔
- 父の顔母の顔
ユーモア小説
- 男・女
- 小唄と絵
- 俺の故郷
- 公園三人衆
- 貧乏行進曲
- 青春列車
- 若者行進曲
- 俺の仲間
- 若い雨
- 愉快な溜息
- 青春街道
- 青春音頭
- 養女なんてお断わり
少年少女小説
- ユーモア艦隊
- ムニャムニャ玉
- おさらひ横町
- 空は青いぞ
- 子守唄倶楽部
- 青春五人男
- たんぽぽ倶楽部
- 僕等の拍手
- 三色菫(パンジー)組
- 青空学校
- ベレーの合唱
- それから物語
- 西遊記
- おさらい横町
- しくじり日記
- あべこべ玉
- 足なみ揃えて
- 九人物語
- 愉快な友だち
- バットをにぎれば
- 春を握る
- ポロンポロン物語
- げんまんものがたり
- 本塁打(ホームラン)クラブ
- トコちゃん物語
- 青春相撲日記
- 少年巨人軍
- 少年野球夜話
- とんとんクラブ
- ぼくは中学一年生
- チャア公四分の一代記
- ガブダブ物語
- 旗のない丘
- 踊るドンモ
- トコちゃんモコちゃん
- あべこべ物語
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます