政治家の会見などでよく使われる「スピード感をもって」という言葉遣いが気になってしかたがなかった。
なんという曖昧な、いい加減な言葉だろうと、あまりの節操のなさに半ば呆れ腹が立っていた。
国民に向けて、口当たりがよくて、しかも責任逃れの意図がプンプン匂ってくる言い回しだ。
この言葉が各界で頻繁に使われている現状に、日本の病弊の深さを見る。
要するに、なあなあに慣れ切ったいい加減な社会、政治家はもとよりだが、経済界のトップも、この言葉を平気で使っている。
マスメディアも咎めることなく容認し、国民も大多数〈私的な感覚だが〉が違和感すら抱かない。
野党の党首までが、平気でこの言葉を使っているのを見て、世も末だと嘆いていたのだが・・・・。
ところが、今夕〈11月10日〉、岸田首相の会見を見ていたら、なんと政策の遂行を「スピーディーに進める」というではないか。
数日前まで「スピード感をもって」と言っていた本人が、なんと「スピーディーに」という言葉を使ったのだ。
どんな風の吹き回しなのか、たまたま口にしただけなのか、それとも草稿を作成した役人が「スピード感をもって」のうさん臭さに気づいて避けたのか、ぼくはたぶん後者だろうと思っている。
そもそも「スピード感をもって」という言い回しには、どんな意味があるのだろうか。
ひとりで憤慨していたが、一般的にはどのような受け止めをしているのか、この機会に調べてみた。
すると、『ニコニコ大百科』という現代用語辞典にぴったりの解説が出ていたので、そっくり引用しておく。
<スピード感>
「スピード感をもって対応」「スピード感を上げて作業」と言われるが、実際上がることはほとんど無い。
「速度を上げて対応」や「素早く」「迅速に」と言われれば(1mmぐらいは)作業を上げようかと考えるが、「スピード感」は、その表記のごとく「感じる」ことが重要であり、それで速度が上がるとは何一つ言っていない。
もしも速度が上がったのであればそれは当人たちの意識が変わったから上がったのであって、例えば手続きに10やら100かかる印鑑含めた承認作業を「『スピード感』をもって」の一言で上がるのなら、今頃世の中はもっと電子化されているし市役所や税務署などで3時間待たされることはない。
というわけで、「スピード感をもって」のうさん臭さを、見事に言い当てている。
岸田さんの草稿を書き上げたであろう役人さんも、首相会見の場で「新しい資本主義」の構想を発表する総理が、少しでも真摯さを感じてもらえるよう、意図してスピーディーの語を選んだと思っている。
「スピーディーに」と明言した以上、政策を少しでも早く遂行する責任がある。
高市早苗氏を幹事長に押し込もうとした〈安倍ごり押し〉を拒否し、第二次岸田内閣では林芳正氏を外務大臣に起用した〈脱・安倍と言われている〉岸田総理に一筋の光明がほほ笑むかもしれない。
国内の経営者にも、アメリカの投資家にも人気のない岸田氏〈分配という発想が気に入らないらしい〉だが、国民は少しずつ評価を上げている。
志を曲げないで、さまざまの抵抗を押しのければ、案外長持ちするかもしれない。
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