(手妻師)
翌朝、伊能正孝は、7時10分発のJAL便で、羽田から出雲縁結び空港へ向かった。
約1時間30分のフライトで、宍道湖に突き出た滑走路に着陸すると、到着ロビーの端に空港派出所と表示された一角を見つけそこに立ち寄った。
地元警察の管轄だろうから、ここで聞けばある程度の見当を付けられると思ったのだ。
「出雲署に山根さんという方はおられますかな」
「さあ、合併以来大所帯になりまして・・・・。本署に電話してみましょうか」
「いや、それはご厄介でしょう。直接こちらから連絡してみますよ」
「番号、わかっているのですか」
「へえ」
どことなく要領を得ない痩躯の老人を、係官が胡散臭げに見上げた。
正孝は、たしかに自分でも怪しげだと思いながら、頭を下げてターミナルビルのエレベーターで三階に向かった。
うまい具合に、簡単な食事が摂れそうな喫茶店とレストランが開いていた。
正孝は「神在」といういかにも出雲らしい名前の喫茶店に入り、紅茶とミックスサンドを注文した。
一息ついて、それから今日の行動を組み立てるつもりだった。
今しがた山根の名を出して訊いたのは、昨日の電話が間違いなく警察からのものだったことを確かめる正孝流の用心深さからだった。
あらかじめ山根という男の実在を確かめることはできなかったが、これから出向いてその男に逢えばはっきりするので問題はない。
それよりも、艶子の周辺で何かが起こっていることの方が不気味に感じられた。
変死に至った状況を、警察はどのように把握しているのか。
艶子が言っていた、入院しているはずの母親のことも気がかりだった。
警察署で事実関係を調べたあとで、正孝は艶子の実家へも回ってみるつもりだった。
刑事課で待っていた山根の説明では、弥山の変死体発見現場は登山道から外れた標高の低い山中とのことだった。
昨夜のうちに福田艶子の母と連絡が取れ、身元確認も終わったと意外なことを口にした。
「えっ、お母さんが見えられたのですか」
「はい、遺体にすがって取り乱しておりましたが・・・・」
年齢の判りづらい角張った顔を、正孝に向けた。
「私の方には、バスが悪路でバウンドして、後部座席から転げ落ちたと言ってました。怪我をしてませんでしたか」
「ハハ、いかに田舎でも道路の舗装率は上がっていますからねえ」
山根は、即座に正孝の心配を否定し、母親が怪我などしていなかったと太鼓判を押した。
「そうですか・・・・」
正孝は返事をしたものの、今回ばかりは艶子が作り話をしたことを認めざるを得なかった。
(あいつ、なぜ嘘を言ったのだ)
すべてを正孝好みに調教したはずが、それが彼の思い込みに過ぎなかったのかもしれないと心が揺らいだ。
艶子は、初めから従順さを装って彼を欺いていたのか。
それとも、心ならずも正孝の意に反した行動をとったのか。
もちろん、艶子が単に休暇引き伸ばしのために嘘をついた可能性もある。
どちらにせよ、事件の核心からは程遠いもどかしさを感じる。
艶子の変死は、どう考えても納得のいかないことだった。
現場からは大量の睡眠導入剤の容器と空のペットボトルが見つかり、薬物の過剰摂取による服薬自殺が疑われる状況だった。
しかし、周辺には複数人が踏み荒らしたと思わせる痕跡があり、通常の事案とは異なる想定も排除できなかったという。
医師に処方を受けた記録があるのか、解剖の所見はどうだったのかと山根に質問したが、死因についての明言を引き出すことはできなかった。
捜査中でもあり、すべてが明らかになるのはもう少し時間がかかると、言葉を濁した。
逆に正孝に対しては、会社における福田艶子の役割や、正孝との関係を遠回しに探りを入れてきた。
正孝もまた訊かれることには答えるが、事実の裏にある疑念を吐露するつもりはなかった。
たがいに中途半端な会見となったが、一部見せられた現場周辺の写真に、正孝は得体の知れない胸騒ぎを覚えた。
(こんなに荒れた山中で・・・・)
弥山もまた、神の棲む出雲の山である。
登山道から外れているせいか、ボロボロの岩肌と木の根が写っている。
シラガシと思われる常緑樹に覆われた林にも、歩き辛そうな傾斜地が見える。
こんな場所で、艶子はなぜ死ななければならないのか。
正孝の知る限り、艶子は山登りにも睡眠薬にも無縁のはずだった。
山根の言うとおり、現場まで他の誰かと一緒に来た可能性もあり、自ら自死を選択するのは不自然との見方も残っている。
(もし、艶子が無理やり連れてこられたとすると・・・・)
警察も、当日の目撃者など調べているのだろうか。
いや、その前に、遺体は死後幾日ぐらい経っていたのか。呼吸が途絶えたのは何月何日頃だったのか。
「社長さんが電話をしたのは、いつごろでしたか?」
「艶子・・・・いや、福田さんの携帯電話に残っている通信記録の日付と照らし合わせてください」
正孝は、山根の尋問口調を押し戻すように、ショルダーバッグからアイホーンを取り出して見せた。
「ああ、恐れ入ります・・・・」
一応受け取ったが、正孝が示した履歴をちらりと見ただけで、すぐに返却した。
通話履歴など消そうと思えば消せるものだから、あまり重要視していないという立場だったのか。
本当に必要なら、艶子のケータイから調べたほうが確実との思いがあったのかもしれない。
「最近は、厄介な事件が増えましてね」
司法解剖に回した事実からも、事件性が疑われていることは確かに思われた。
弥山の遺体発見現場にも行ってみたかったが、一日の滞在では無理だろうと諦めた。
それよりも、艶子の実家を訪れるのが先ではないかと考え直した。
あらかじめメモしてきた実家の住所をもとに、タクシーを呼んで山陰自動車道を松江市に向かった。
出雲とは、宍道湖を挟んで反対側にあるのが松江だ。
艶子が生まれ育った家は、松江城からあまり遠くない仕舞屋だった。
築年数の古そうなしっかりした造りで、格子戸を開けてセーラー服姿の艶子が飛び出してきたらどんなに可愛いかと、この場にふさわしくない想像をして軒先を見た。
まだ悲しみに昏れているのか、あたりはひっそりしている。
人の出入りがないのは、葬儀の準備に取り掛かる気力も萎えてしまったのか。
正孝は玄関に近づき、おそるおそる引き戸の横のブザーを押した。
しばらく待っていると、内側から掛けがねを外す音がして、着物姿の女性が顔をのぞかせた。
訪問者が誰なのか、訝しむ様子で正孝を見つめた。
「こんにちは」無言の女性に気おされながら正孝が口を開いた。「・・・・突然お伺いいたしましたが、、わたし艶子さんに働いてもらっていました薫風社の社主です」
あらかじめ手にしていた名刺を、読みやすいように逆向きにして渡した。
女性は、「はあ・・・・」というように、息を漏らした。
「この度は、艶子さんが大変なことになりまして・・・・」
「おみゃはんは社長さんですか」
艶子の母と覚しき女性が、正孝に対して腰を折った。「・・・・けわしいところを、よう、ござっしゃいました」
「警察からおおよそのことを聞きましたが、まだ信じられない思いでして」
偽りのない心境だった。「・・・・休暇中に何があったのか、お母さんからも少し伺えればと思いまして」
正孝の心配そうな表情に心を開いたのか、艶子の母は彼を家の中に招き入れた。
磨きこまれた一枚板の座卓の前で正座すると、正孝はバッグから見舞いの熨斗袋を取り出し母親の前に滑らせた。
「実はお母様が怪我で入院されたとお聞きしたもので、お見舞いするつもりで用意しておったんですよ」
言わずもがなのことと思ったが、艶子の死が彼にとっていかに予想外のことだったか、印象づける必要があったのだ。
「そげなこと、せんとってください」母親は押し戻そうとした。
「いやいや、今となっては艶子さんの御霊前に、ということになってしまいましたが・・・・」と、さらに押しやった。
疑問に思っていた艶子の行動を事細かに訊きだすためには、避けては通れない質問をぶつけなければならないのだ。
「艶子さんには、どうしても休暇を引き延ばす理由があったのでしょうか」
嘘とは言わないまでも、母親の怪我まで拵えて休もうとした事実は、艶子の変死と何らかの関わりがありそうだ。
「おかしげなことばかりで、おぞいわ」
母親は、ふっと顔を曇らせた。
「何か、あったのですか」
すかさず突っ込むと、艶子の母親は彼女が帰省した翌々日に、誰かと会っていたことを正孝に告げた。
「どんな方か、心当たりはございませんか」
すると、電話をうけてそわそわと外出する艶子を見送ったときに、遠目ではあったが男の姿を見たのだという。
その印象を尋ねると、何年か前に市民会館で観た江戸手妻の手妻師にそっくりだったと答えた。
「ほう。手妻師ですか・・・・」
正孝としても、意表を突かれる証言だった。
驚きのあとで、手がかりを得た喜びがふつふつと湧いてきた。
(調べれば、艶子を誘い出したのがどんな男かわかるはず・・・・)
何はともあれ、すぐにもここを辞して市民会館に行ってみようと決断した。
(つづく)
(2オ16/02/07より再掲)
山登りに睡眠薬。
休暇を伸ばしての密会?
少しづつ解明がすすんでいるようですが、展開が見えません。。。(笑)
警察も事件性を視野に動き出しました。
まだ闇の中。真相が見えるのは最後の方です。
しばらくお付き合いください。
いつもありがとうございます。