どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

リュウの憂鬱(5)

2006-10-05 05:22:20 | 短編小説

 白い犬からは、精気が失われていた。毛色も白というより、脂が抜けて灰色がかって見えた。
 早春の張り詰めた空気を払いのけて、とつじょ現れた日のリュウの躍動が嘘のようだ。
 野生の残る純粋さが、媚びない気品を感じさせたものだ。
 その時の子犬が、いま打ちひしがれた姿で目の前にいる。檻に囚われた罪人のように、記憶を探る気力も萎えた顔で立っている。
 真木男は、リュウを救い出せない自分の非力に、落胆していた。
 若いころから、ここ一番で勇気を示すことができなかった。齢を経て、またも苦い思いを味わうことになりそうだった。
(リュウ、助けてやるぞ・・・・)
 なぜ、そんなことを思ったのだろう。成算があったわけではないが、なにかの手段で、状況を変えることができそうに思えた。
 最も過激なやり方は、このまま敷地に侵入し、犬小屋の鍵を壊してリュウを解放することだろう。
 それは、おそらく不法侵入罪や窃盗罪に問われることになりそうだった。あげくに、リュウを連れ出したところで後の処置に困る。
 山中に放置すれば、さらに別の罪が加算されるだろうし、犬にとっても死を宣告されるに等しい。貰い手を探しても、現状のリュウの姿では引き受け手がいそうには思えなかった。
 ならば直接飼い主に抗議をするか。
 あるいは、説得を・・・・。
「何を抗議し、なにを説得するの?」
 自問自答の声が聞こえた。「・・・・飼い主に、手術の費用を出せと言うのかい。それともお前が代わりに負担できるのか」
 リュウを前にして、気持ちが萎えるばかりだった。
 真木男は、山荘に戻って密かに保健所の所在地を調べた。電話をかけて、動物愛護に関する業務を行う<衛生>部門があることを教えられた。
 翌日、真木男は二十キロほど離れた町の中心にある保健所まで出向いた。近くにあるフラワーセンターへも立ち寄る約束で、妻を誘い出したのだった。
「あなた、保健所に行っても、身元が分かるような話はしないでよ」
「わかってるよ。これから自分で犬を飼うような顔をして、一般的なことを聞くだけさ」
 事実関係も明らかでないのに、いきなり告発をするようなことはできない。だからこそ、ペットに関する法律や条令を調べたかったのである。
 保健所の若い男性職員は、真木男の言を信じて、好意的な応対をしてくれた。
「まあ、あんまり肩肘張らずに、普通に可愛がってくださればいいんですよ。しかし、狂犬病の予防接種など飼い主の義務もありますから、お客さんのように法律を押さえてくれる人が増えるのは、われわれとしてはありがたいですねえ」
 そう言いながら、『動物の愛護及び管理に関する法律』の抜粋を数枚の紙にプリントし、ホッチキスで留めたものを渡してくれた。
 真木男がすばやく目を通すと、<基本原則>という項目の中に、どきりとする一文が盛り込まれていた。
(動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。)
 まさに、真木男が求めていた回答だった。
 どのような事情があったとしても、獣医の手を経ずに飼い犬の脚を切断することは、動物虐待にあたるのではないだろうか。
 <罰則>の章には、みだりに殺したり傷つけた者は、一年以下の懲役か百万円以下の罰金に処すると明記されていた。
「すでに、飼いたいペットの目星はついているんですか」
「ああ、いいえ、これからですが・・・・」
「なんなら、うちで斡旋してあげますよ。主に犬ですが、引き取った犬猫の里親を探すのも、仕事の一部になっていますから」
 係りの職員は、それがベストの方策だと信じ込んでいるのか、真木男の目を覗くようにして熱心に勧めた。
 真木男ひとりであったら、危うく押し切られるところだった。妻に脇腹をつつかれて、ハッと思いとどまった。
「・・・・でも、もう少し検討してから、あらためてご相談にお伺いさせていただきます」
 ミイラ取りがミイラになるとは、実に上手い喩えがあったものだ。
 保健所の職員は、もう一歩で客を落とし損ねた自動車セールスマンのように、無念の思いを隠してお義理のパンフレットを手渡してよこした。
 カラー刷りの、見開き二ページの印刷物だった。内容は、不幸なペットを出さないための飼い方アドバイスで、可愛い犬のイラストがちりばめてあった。
 真木男はトイレに寄り、ほっとした気持ちで通路に出た。すると、いきなり腕をとられて、玄関先の植え込みの陰に引きずりこまれた。
「な、なんだよ。どうしたんだよ」
 頼りない亭主に腹が立ったのかと、真木男は動揺しながら妻の真剣な表情を読み解こうとした。
「ちょっと黙ってて!」
 視線は、敷地の端の駐車場に向けられている。数呼吸置いて、引きずられるように自分のクルマに戻ったとき、妻が助手席のリクライニングシートを倒して、呻くように言った。「・・・・あの男がいたのよ。職員用の駐車場に、あの男がいたの。あぶなく鉢合わせするところだったわ」
 猛獣から身を隠すミーアキャットのように、首だけ擡げて外の様子を窺った。

   (続く)
  


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« リュウの憂鬱(4) | トップ | リュウの憂鬱(6) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短編小説」カテゴリの最新記事