どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)123 『伝説の諏訪』

2019-07-23 00:11:15 | 短編小説

        (1)

海面から三千尺も高いところに、諏訪の湖水がある。腹を赤く塗られた汽船が、花の頃も青葉の頃も水に浮かんでいる。この湖水は今から三百年(言い伝えからさらに百年経過)ほど前までは、今の倍もあって、高島というお城が海の中に立っていた。湖水の底には武田信玄の石棺が沈んでいる。小坂の観音様の下には鐘が沈んでいる。そして蛍の飛ぶ頃になると、その鐘が夜な夜な、ありし世を恋うて鳴る。

神代の大昔、建御名方命(タケミナカタノミコト)が神宮寺(しぐじ)というところに住んでおられた。女神の八坂研耳命(ヤサカタギシミミノミコト)が、離縁されて下諏訪の方へ去られる時に、男神の建御名方命は仰せられた。「何なりと、欲しいものを持て。」

けれども、これといってほしいと思われるものがなかったので、女神はただ打ち萎れて、宮の傍らに湧いている温泉を、綿に浸して持って行かれた。そこから下諏訪まで行かれる途中、陸路はもとより、船で湖を渡らるる間にも、綿からはポタリポタリと、涙のような温泉の雫が滴った。その滴ったところからは、やがて温泉が湧き出でた。畑の中にも、田の中にも、大きな深い湖の中にも。冬のさなかのどんなに厚く氷の張る時でも、湖のところどころに「釜」といって凍らない所がある。あれが即ち女神の御手から温泉の滴り落ちた所であるという。それからというものは、神宮寺の辺りには温泉が涸れて、上諏訪、下諏訪の方へ移ってしまった。上諏訪の土地は、井戸さえ突けば、どこでも白い透き通った温泉がふつふつと湧きだしてくる。

湖水の表面を氷が張りつめて、それが堅くなりきると、男神の宮の方から女神の宮の方へかけて、一直線に、厚さの一尺も二尺もある氷がミリミリと裂ける。里人は「御神渡り」といって、これを合図に氷の上を通行しはじめる。

明治の初めまで高島城の城主であった諏訪氏は、この神様の子孫である。諏訪の七不思議というのも、七つの石というのも、七本の木というのも、みなこの神様に関係した伝説の断片である。

大国主命が国々の神を出雲に集めて国民の結婚の相談をされる時には、諏訪の神もきっとそこへ出かけられる。ある時、大国主命が諏訪の神に「尾は」と聞かれた時に「尾は高木の尾掛松」と答えられた。「大和(おおわ)」と「高木」とは相並んだ湖の岸の村である。尾掛松は惜しいことにこの頃枯れた。また、湖の東蓼科の山頂には諏訪の神様が須佐之男命に逢いに行かれたという冥界の国に通ずる穴がある。この神様は恐ろしい蛇体の神であったが、神功皇后三韓征伐の時、そのままの姿で先陣に立たれたということで、後に朝廷から「日本第一大軍神」という名をお許しになった。この地方から兵士に出る人びとの家では今も大きい幟に、その通り書いて武運を祈ることになっている。

       (2)

湖水の東によって、広い広い火山の裾野がある。秋は尾花の穂綿の散る頃になると、そこから澄み切った空を透して、遠く富士の小さな初雪姿を望むことができる。この裾野の中に大泉山(おおずみやま)、小泉山(こずみやま)という、形も大きさも同じ山が、二町ばかり離れて並んでいる。この山だけは、諏訪には珍しい古生層である。

昔、デエラボッチという大男が麻稈(おがら)の天秤に燈心の縄で、この二つの山をここまで担いできた。一休みしてヤッコラサと立とうとすると、天秤棒がポッキリと折れた。デエラボッチはおおいに弱って、神の原、子の原と、村から村へ、代わりの棒を探して歩いたがもらわれず、粟沢まで来て、やっとのことで手に入れた。喜んで帰ってみると、もう山々に根が生えて動かなくなっていたので、仕方なく、山をば粟沢にやって、西の方へ立ち去ってしまった。その立ち去った時の足跡が沼になって、今に残っている。塩尻峠を大股にまたいだ時に、睾丸の圧力で窪んだ跡が、諏訪湖になったのだという。粟沢で麻稈をやった家は、今もちゃんとわかって残っている。

       (3)

この地方の川はみな流れて湖水に入るが、一筋だけは甲斐に流れて釜無川となる。釜無川に流れて入る川は、ほかに一つもない。この釜無の源は非常に深く、五日や六日で極められる谷ではない。その奥深い谷は誰も知らない谷である。雪が溶けて春になると、真っ赤な芍薬の花弁が青白い水に浮かんで流れてくる。中には径一尺に余る花弁がある。山奥に久しく住む者でも、山でこの花を見たことはないという。里でばかり、流れでばかり、それも、情にあつい里人ばかりが、春の暮れ行く黄昏時にのみ見るのである。

       (4)

裾野の村々では、夏の巳の日に菖蒲と蓬との湯をたてることになっている。

今は昔、この里のある少女が、夏の一日、山に草を刈っていた。そして草の中で眠っているうちに、夢とも現ともなく、一人の美しい若者に逢った。女はやがて身重になった。途方に暮れて泣いていると、森にいる老人が、菖蒲と蓬の湯をたてて入れと教えてくれた。女はその日のうちに湯を立てて入った。入って上がると、白色、黒色の小蛇が、幾匹も幾匹も、死んでぞろぞろと生まれてきた。その若者は蛇だったのである。

菖蒲と蓬の湯をたてるのは、これから起こったので、蛇除けのためだということである。

狐が出るという森は伐りつくされ、生首の飛び出すという坂は開墾され、赤い煙突はしきりに煤煙をを吐き、汽車がゴウッと地響きをさせて、村から村へと通る今日でも、なお、かような話を信ずる人があって、お茶や煙草の間の興をつないでいる長閑な世の中が面白いではないか。

 

      (おわり)

 

 

 

 * この民話は、昭和十七年発行の『日本伝説集』(五十嵐力著)から引き写したものである。

   長野県は地形的にも文化的にも成り立ちが複雑で、本編のタイトル「伝説の諏訪」にもあるように民話や昔話も多彩である。

   隣接する地区でありながら、代々受け継がれる伝統や風習が異なっている例が少なくない。

   急峻な山や谷に隔てられて交流ができなかったといえばそれまでだが、それぞれの地域に住まう民の気質も一様ではない。

   それだけに、採集された資料は興味深く、この稿ではあまり手を加えることなく再録したので楽しんでいただきたい。

   

   


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