どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

(超短編シリーズ)89 『遠雷を聴くおんな』

2013-05-27 00:27:30 | 短編小説

  

 言問通りの交差点を千束三丁目方向へ曲がったところで、おんなは遠くに雷鳴を聴いた。

 それは梅雨明けをよろこぶ含み笑いのように、西の空を渡って行った。

「カミナリが鳴ると、あたし無性に男が欲しくなるのよ」

 おんなは連れの男を下から見上げるように話しかけた。

「はは、ちょうどお誂え向きか。・・・・あんた、俺でなくともよかったんだろう?」

 五十がらみの太った男が、苦笑いを漏らした。

「あら、そんなことはないわよ。あたしにだって好みというものはあるわ」

 おんなは絡めた腕の肘を軽く張って、男のわき腹をつついた。

 太った男はくすったそうに身をよじって、足下をふらつかせた。

「ほら、危ないわよ。あんた大分呑んでるんだから・・・・」

「へへ、お前ほどじゃないだろう」

 どうやら、男とおんなは、近くの飲み屋の客とホステスのようであった。

「お互い好きなのよねえ」

 おんなが働くスナックの場所は、花やしきの近くにあった。

 まだ看板には間がある時刻なのに、ふたりが店を出て自由行動をとれるのは女将がそれを認めているからだ。

 娘を束縛したところで何の得もないことを、女将は充分に心得ていた。

「ルリちゃん、サアさんの手元が空いているわよ」

 娘が抜けて忙しくなったカウンターに、手伝いのルリ子を振り向けた。

 一方、当のおんなは、太った男を路地奥の古めかしい旅館に引きこんでいた。

 備え付けの冷蔵庫からビールを取りだし、二つのグラスに注ぎ分けた。

「こういうとき、なんと言ったらいいのかしら」

 グラスを触れ合わせながら、おんなは男の顔を見た。

「よせよ、殊勝らしくしても仕方がないだろう」

 男がグラスを空けて口元を歪めた。「・・・・こっちへ来いよ」

「蒸すわね」

 おんなが往なすように男のせっかちな手を外した。

 しかし再び肩を引き寄せられ、抱きすくめられた。

 おんなは逆らうように見せて、すぐに力を抜いた。

 

 襖を開けたところに蒲団が敷かれていた。

 おんなにとっては見慣れた光景だった。

 紅と紫の目立つ上掛けが、おんなの目を癒した。

 男がおんなを抱きあげ、衣装をむしり取った。

 乱暴にのしかかり、おんなの股間に男を押しこんだ。

「ああ、カミナリが鳴っている」

 おんなは目をつむり、体内の奥深くで雷鳴を聴いていた。

 胸も肢も腕も身動きできない重みで押さえつけられ、息も絶え絶えになっている。

「ああ、落ちる・・・・」

 気が遠くなり、頭の中が暗くなるのを感じた。

 その暗闇が、おんなの中から流れ出ていく。

 やがて、あふれ出たものが霧のようにおんなを包む。

 目には見えないが、細かな粒子が静かに動いているようだ。

 肉体を離れた魂は、このような寂寥の中を上へ上へと昇っていくのだろうと思った。

 十年前に堕胎し医師と共に屠った命は、霧の海をいまも漂っているのだろうか。

 おんなは何度も手さぐりし、もがいた。

 男の背中にしがみつき、ときおり両手の指をひらいて空を掻きむしった。

 断末魔のような呻きを喉の奥に呑みこんで、わずかな時間絶息した。

「死ぬ死ぬって、そんなに良かったのか」

 男が満足そうに声をかけた。

 おんなはまだ瞼をひくつかせるだけだった。

「おい、大丈夫か」

 男は不安そうに身体を解き、おんなの様子を窺った。

 軽く頬をたたくと、おんなはうっすらと目をあけた。

「あたし、ずいぶん遠くまで行ってたみたい・・・・」

 浴衣の袖から二の腕が露わに伸び、男の頭を撫ぜた。

 好色な頭頂部を、おんなは愛おしむように何度も撫ぜまわした。

 

「ほんとにタダでいいのか」

 男が訊いた。

「ちゃんと旅館代を払ってくれたじゃないの。・・・・それに、飲み代も」

 おんなは身仕舞をただすと、さばさばと旅館を出た。

 表通りに出ると、おんなは急に足を止めた。

「あたし送られるのが嫌いだから、先に帰ってね・・・・」

 戸惑った男が、方向を見失った亀のように首を振った。

「どこへ行きたいの。・・・・あっち?」

 おんなが乾いた声で笑った。

「あんた、観音様みたいな女だな」

 男は立ち去りがたい気持ちをぽつりともらした。

「なに寝ぼけたこと言っているの、浅草へ戻りたいんならタクシー止めてやろうか」

 ちょうど交差点を駆け抜けようとしていた流しのタクシーに向かって、おんなは手をあげた。

 キュキュッと急ブレーキの音がして、運転手が値踏みの視線を向けた。

「それじゃあね」

 おんなに促されて、男は仕方なく開いたドアに吸い込まれた。

 街灯のあかりを映して、後部座席のガラスが稲妻のように光を放った。

 

 おんなは勤め先のスナックには向かわず、三ノ輪の方向へ足を伸ばした。

 ときおり、ミュールの踵がぐらついた。

 そのたびに、小指が痛んだ。

 太腿の股も、きゅんと反応した。

 まだ全身の細胞が飛び立ったままだ。

 開いて弾けて、霧となったあと、元の形に集合しつつある感覚はあった。

 こんな時だらんと横になったりすれば、自分というものが溶解してしまいそうな気がする。

 氷の解けた氷嚢のように、べたっと床に貼りつくのは堪えられなかった。

 だから、おんなは歩くのだ。

 いくばくもなく飛不動の前に出た。

 夜の飛不動はひっそりとしていた。

 提灯を掲げた山門をくぐると、連なった赤い幟に迎えられる。

 誘われて細長い通路を進むと、薄明かりのなか先の方に不動尊の狭い境内が見えた。

 ここのお不動さんは、パイロットやスチュワーデスに人気だと聞いていた。

 飛行護りを授かったことがあるが、おんな自身は一度も外国へ行ったことはなかった。

 近ごろでは、キャプテンとかキャビン・アテンダントとか呼ばれる人種のほか、受験生の護符としてももてはやされているらしかった。

 浅草に流れ着いて以来、母親と共に飲み屋という世界しか知らないおんなには、世間の動向などどうでもよかった。 

 一夜一夜が、おんなの生きる必死の舞台であった。

 迷いもあれば過ちもある。

 おんなには、授かった子供を屠った過去がある。

 飛行護りを戴いたのは、そうした時期だった。

 (なぜ、あんな心境になったんだろう)

 躊躇した挙句に掻爬の時期を失し、無理やり頼んでギリギリ形を持ち始めた命を殺めた。

 おんなには、いつまでも後ろめたさが付きまとっていた。

 だから、男との行為によって魂の飛翔を試みるのだろうか。

 自分でもわからない。

 はるかな時空を遡りながら、失ったわが子の軌跡をさぐっているのかもしれない。

 小さな魂に再会したとき護符を与え、無限への旅立ちを見送ろうというのだろうか。

 おんなとは、未だに意識を通わせている気配があるものだから、不憫で不憫でともに冥界を彷徨おうとすのかもしれなかった。

 

 (ああ、またここまで来てしまった・・・・)

 おんなは飛不動尊に手を合わせた。

 不如意なおみくじを木の枝に結んで帰った参拝者のため息が、夜の寂間に白く流れた。

「もう、帰ろうか」

 誰にともなく声をかけて、もと来た道を戻りかけた。

 軒下に紫陽花を咲かせたしもた屋の小窓から、家族そろって一斉に噴き出す笑い声が漏れ出て通りの空気を震わせた。

 おんなは風に煽られたように歩を乱し、眉をひそめた。

 コンビニの一角だけが真昼間のようで、おんなはその前を小走りに通り抜けた。

 国際通りに出ると、むしろ雑多な思念がおんなを慰めた。

 思いつめるとロクなことがない。

 刹那的に生きて、何が悪い?

 寺とストリップ小屋と遊園地と、隣り合わせに棲み分ける街で生きてきた。

 坩堝と云えば坩堝だが、アジア人もヨーロッパ人もアメリカ人も、人種を超えてわかりあう下町の隅で、おんなは蘇生していくのだ。

 遠雷はさらに南へ遠ざかり、隅田川のはるか沖で弱々しく瞬いた。

 どうやら拡散していた細胞が、元の場所に戻ってきたようだ。

 おんなはシャンと背筋を伸ばし、スナックに向かって急ぎ足になった。

 

     (おわり)

 


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