どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の短編小説『枕の下』

2022-09-25 00:57:16 | 短編小説

 静かな庭が広がっていた。
 一面の芝生に、月光が降り注いでいた。
 正孝は、蚊帳の中から外を透かし見た。
 もうすぐ、彼のいる離れに艶子が忍んで来るはずだった。
 京都の夏は暑い。
 承知で秘書と出かけてきたのは、自然エネルギーの有効利用に関するシンポジウムが、二日間にわたって開かれたからだ。
 この夜は、艶子とともに学会の疲れを癒すつもりだった。
 めぼしい発表を分類整理したあと、夜をこの老舗旅館で過ごすことにしたのだ。
 原子力発電所の事故以来、原子力政策の行き詰まりは顕著になっている。
 いまこそ、一層の代替エネルギー開発を進めなければならない時期である。
 それを承知の上で別なことに気を取られる自分を、正孝は冷ややかに眺めていた。
 (埒もないことを・・・・)
 いい年をして、女にうつつを抜かしている。
 それだけなら一時の戯れと笑うこともできるが、なお原子力発電を推し進める勢力からのアプローチが心に重くのしかかっていた。
 三十代のころから、「水神の次は『風神、雷神』の出番・・・・」を標榜してきた。
 <現代の俵屋宗達>をキャッチフレーズに、水力発電に加えて、太陽光、風力、地熱、雷などの利用研究を推進してきた。
 伊能正孝は、科学者でもなく、技術者でもない。
 口の悪い評論家には、「エコの衣を着た詐欺師」と呼ばれている。
 たしかに、自然エネルギー利用一筋の主張を弱め、時の権力に迎合したとみられた時期もあった。
 しかし、そうした批判に正孝は動じない。
「何もわからん癖に小賢しい。一筋縄にはいかんのだ」
 実際に政治家を動かし、投資家を動かし、事業者を動かし、曲折しながら国のエネルギー政策に影響を与えてきた自負がある。
 善悪を超えた怪異な存在として、海外からも注目される人物だった。


 本館に続く小道に、かすかな草履の磨り音がする。
 水を打ったような静けさを分けて、艶子の足音が近づいてきた。
 もうまもなく姿を現すはずだ。
 だが、艶子は物陰で様子をうかがうように息を潜めている。
 (あいつ、焦らすつもりか・・・・)
 そのように教育してきたのが自分であることを意識しつつ、正孝は女の会得の速さにかすかな疎ましさを覚えていた。
「何をしているのだ、おまえは・・・・」
 正孝の呟きが届いたかのように、再び草履の磨り音が動き出す。
 幾多の虫の音に紛れていても、聞き分けられる密やかさを帯びていた。
「遅くなりました・・・・」
 開け放した障子の裏に影がさして、女が現れた。
 青い月明かりに染められて、首のあたりが華奢に抜き出て見える。
 秘書の仕事を続けながら、二十歳代の体型を保っていることは称賛に値する。
 その上、三年という歳月が培った肌の貯えが円味となって浴衣の下に隠されていた。
 (ほう・・・・)思わずため息を漏らす。
 つぎつぎと女を代えていく男たちと違って、正孝は艶子を育てていくことに生きがいを感じていた。
 艶子を称えることは、同時に自分を褒めることでもあった。
「艶子、蚊帳の外で裸になってみてくれ」
 一瞬、女の動きがとまる。
 青蚊帳の網目を透かして、正孝の心を探ろうとする気配があった。
「はやく・・・・」
 焦れたように正孝が声を強める。
「はい」
 心を決めて、艶子が向こうむきになり帯を解いた。
 半幅帯のすべる音につづいて、綿ちぢみの浴衣が両肩からはらりと振り落とされた。
「こっちを向け」
 一呼吸あって、艶子が正孝の正面に立った。
 背後からの余光が、蚊帳の目をくぐって及んでいた。
 ほの明かりの中、艶子のシルエットが霞む。
 なだらかな肩、つんと上を向いた胸、白砂浜のような胴と砂丘をおもわせる臀、そして吊るしたての大根に似た太ももから脚の湿り・・・・。
 正孝は、目をつぶっていてもなぞることができる艶子の肢体を、膝立ちでにじり寄りながら貪欲に確かめた。
 蚊帳をめくり上げて、艶子の足首をつかむ。
 老人とは思えぬ強い力を感じて、艶子は自ら膝を崩した。
「あっ」
 ライオンに引き倒されたインパラが諦めの声を発するように、うつぶせの腕の下から艶子のくぐもった吐息が漏れる。
 真新しい草原の中央で、しばし肉の饗宴が繰り広げられた。


 この夜の趣向は、正孝が考えたものだった。
 いまどき、前世紀の遺物のような蚊帳を持ち合わせる宿はどこにもないはずだ。
 それを承知で難題を吹きかけた正孝に、嵐山の老舗旅館は見事に応えた。
 もちろん電話をかけたのは艶子である。
 獲物である女が、蚊帳の効用も知らずに言われるまま依頼したはずだ。
 おそらく宿の者は、怪訝な反応を示したに違いない。
 百戦錬磨の女将だけは、正孝のたくらみに気づいたかもしれないと思うと、それもまた隠微な愉しみの一つであった。
 単純な行為や思考には、もう昂りどころか嫌悪しか感じられない体質になっていた。
「あの男、半島の風力データを高値で買うと言ってきた・・・・」
「それで、どうなさるんですか」
 艶子は夏掛けを首まで引き上げて、隣に横たわる正孝の呟きに反応した。
 事後のけだるさの中で、まともに問いかけている声音ではなかった。
「さあ、どうするかな」
 秘書相手とはいえ、簡単に本音を漏らす男ではない。
 国の機関から大学に多額の調査費を出させ、風岬に最大限の風車を設置した場合の発電量をすでに算出してある。
 効率のよい家庭用風力発電機の研究も進めている。
 そうしたデータを自然エネルギーの開発に資するはずが、原発推進派と目される人間から取引を持ち掛けられ、いま駆け引きの道具にしようとしているのだ。
 <あの男>とは、正孝同様に色あいのはっきりしない人物である。
 原発を推進してきた役所の出であり、外郭団体に天下って有力企業の中枢に影響を及ぼしてきたことは多くの人が知っている。
 その後、国の有識者会議や諮問機関に名を連ね、中立的な立場に立つ意見を表明してきた。
 国民の目には、良識派の一人として映るほど、枯れた印象を身につけてきていた。
 (岩場の蛸が化けの皮を剥がしやがった・・・・)
 色も模様も岩そっくりに擬態していた水だこが、魚の接近を察知して目玉をぎょろりと動かした瞬間だ。
 すげなく断ることもできるが、一度睨まれたからには無下に断れないことも心得ている。
 (さて、どう返答するか)
 大学の研究者には、次の調査費や開発費を約束して、しかるべき機関への資料提供を納得させることができる。
 データそのものは無色だが、誰がどう使うかでエネルギー政策の方向性を決めるほどの可能性を秘めている。
 <あの男>に渡せば、おそらく費用対効果を前面に据え、原子力発電所の優位性を主張する道具にするだろう。
「風車の騒音は、クリーンエネルギーどころか、新たな公害を生み出す元凶だ! ここにあるデータからも、風力推進など夢物語にすぎないことが分かった」
 そう腐したうえで、「原発事故については率直に反省し、今後は地震だけでなく、津波にもテロにも耐えられる構造物を作らねばならない」と訴える。
 旧式の原発が持つ欠点と安全対策さえ見直せば、原子力の利用に勝る方法はない。
 アメリカやフランスがやれることを、我が国が一度の失敗で止めてしまうのは、永久に後進国の地位に甘んじることを認めることだ。
「この苦境を、国民が一丸となって跳ね除けようじゃないか。黙々と復興に立ち上がる被災地の方々のためにも、弱音を吐いてはいられないんだ」
 正孝は、<あの男>のすり替えを想像し、苦々しい思いで青い世界を仰いだ。
 四角い蚊帳の、なんと美しいことよ。
 青蚊帳は仕切られた空間などではなく、宇宙大の広がりを持っている。
 クーラーなど絶って自然の風を招き入れれば、なんとか暑さを凌げるはずだ。
 昔の人は、団扇や打ち水で涼をとった。
 葦簾や暖簾で陽光をさえぎり、家の裏口まで風を抜けさせる工夫をした。
 正孝が真に望むことは、彼自身でも可笑しくなるほどの懐古趣味らしい。
 (ここまで欲と楽との二人連れで来て、いまさら引き返すことはできまいが・・・・)
 自嘲の笑みが、正孝の口元をゆがませた。


「せんせい、わたしのマグマを煽っておいて、そのまま眠ってしまうなんてひどいわ」
 目を閉じかけた正孝に、夏掛けから身を乗り出した艶子が覆いかぶさった。
 一瞬、左手が枕の下に伸び、何かを差し込んだ。
 長時間作動のICレコーダーが、ふたりの喘ぎを拾い始めた。
 このあと、艶子の誘導で正孝が何をしゃべるのか。
 延々と続く睦言の合間に、男の冷めた言葉が紛れこんだ。
「わしだって、原発がこれほど危険なものとは思わなかったよ。・・・・いや、増長した人間が、これほど無茶な危険を冒すとは・・・・」
 電力会社が、命綱ともいえる電力を、自らの発電所に供給できなった事実は、払しょくできない人間不信をもたらしていた。
 予備電源や幾重もの安全対策といった次元の問題ではない。
 人間はうっかりし、勘違いし、物忘れといったミスをする。
 安全管理者を二重に配置し、厳重なチェックを施しても、人任せや馴れ合いが必ず生じる。
 そこへ欲が紛れこんだらどうなるか。
 正孝には、悪魔の元素の高笑いが聴こえる気がした。
「ふふふふ、せんせい、わたしを持て余してるんでしょう?」
 樹木の奥から、川のせせらぎがクスクスと囁きかけてくる。
 心地よい安心をもたらしていたものが、いつ巨大な脅威に変わるかわからないのが自然の素顔だ。
「やっぱり、断るしかないな」
 正孝が独りごちた。
 二度の戦いに疲れ果てた正孝の枕元から、ICレコーダーが引き抜かれた。
 正孝か眠りに落ちるのを待って、艶子は厠に立つ。
 蚊帳の外に脱ぎ捨てられていた浴衣をまとい、キュッ、キュッと帯を締める。
 その帯の中に、艶子の掌からペンシル型の機器が移されたことを、正孝は知らなかった。


     (おわり)



(2011/04/11より再掲)

 

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2 コメント

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Unknown (クリン)
2022-09-25 07:28:56
やっぱり国の大きなプロジェクトにかかわるような重要人物はよくよく身の回りに気を配ったほうがいいということですね!
それにしてもさすが「嵐山の旅館」です✨🐻
返信する
ひとつの世界 (tadaox)
2022-09-25 11:52:08
(クリン)さん、コメントありがとうございます。
架空の物語ですが、クリンさんにそのように感じてもらえてうれしいです。
ぼくが京都で実際に泊まったことがあるのは、ちんまりした町屋の民宿とか、お寺さんの宿坊とかが多かったなあ。(ショボン)
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