『出前寄席で牡丹燈籠』
男前の彦丸さん
にわか作りの高座 サービスの踊り
7月20日(土)の午後、調布市が市民活動の支援事業の一環として催す出前寄席を覗いてみた。
会場は予想通り椅子席二十五、六の狭い一室だったが、無料と云うこともあって地域の住人を中心にほぼ満席となった。
出演は怪談噺の第一人者・林家正雀の門下で、二つ目の林家彦丸さん。
暑いさなかに御苦労さまとしか云いようがない場所まで出向いてくれて、『牡丹燈籠』のさわり部分を語ってくれた。
それでも予定の時間を三十分もオーバーする熱演で、おおまかにしか知らなかった怪談の細部をある程度理解することができた。
主筋とされる噺は、中国明代の小説集『剪灯新話』に収録された小説『牡丹燈記』に着想を得て、三遊亭圓朝によって落語の演目として創作された怪談噺である。
『牡丹燈記』は、若い女の幽霊が男と逢瀬を重ねたものの、幽霊であることがばれ、幽霊封じをした男を恨んで殺すという話らしい。
圓朝はこの幽霊話に、仇討や殺人、母子再会など、多くの事件と登場人物を加え、それらが複雑に絡み合う一大ドラマに仕立て上げた。
二十二章にもわたる大作で、当然のことながら一席の寄席で語り終えることはできないそうだ。
林家彦丸さんの解説と実演で、なんとなく圓朝という先人の偉大さがわかった。
それにしても、無料の出前寄席で『牡丹燈籠』とは、なんと贅沢な!
月岡芳年の幽霊画 登場人物の相関図
まずは、怪談『牡丹燈籠』の導入部、お露と新三郎の馴れ初めが語られる。
筋を急ぐが、旗本飯島平左衛門の娘お露は、浪人の萩原新三郎に恋したあげく焦れ死にをする。
お露は後を追って死んだ下女お米とともに、夜な夜な牡丹灯籠を手にして新三郎のもとに通うようになる。
その後、新三郎の下働き、関口屋伴蔵によって、髑髏を抱く新三郎の姿が発見され、お露がこの世の者でないことがわかる。
このままでは命がないと教えられた新三郎は、良石和尚から金無垢の海音如来をもらい魔除けの札を張る。
しかし、結局伴蔵の裏切りを受け、幽霊になったお露の侵入を許してしまう。
この辺りは「お札はがし」の章に当たるらしいが、以下は省略する。
(旗本の娘お露、萩原新三郎、関口屋伴蔵、良石和尚など登場人物の相関図=参考・ウェブより)
怪談は、やっぱり真夏に限るようだ。
なかなかの迫力で、ほぼ一時間暑さを忘れて聞き入った。
出前寄席が撥ねた後お茶のサービスもあって、世話をしてくれたボランティアさんには感謝あるのみ。
そういえば、8月16日(金)には、調布市グリーンホールで第107回調布寄席が開かれるそうだ。
冒頭に触れた師匠・林家正雀の『怪談 乳房榎(かいだん ちぶさえのき)』がメインで、他に林屋彦いち、古今亭菊志ん、そして彦丸さんの出演が予定されている。
うまくチラシの画像が撮れるか心配だが、これらを参考に、興味のある方は夕方6時30分の開演に間に合わせて足を運んでいただきたい。
チケットは一般3000円、学生(22歳以下)1500円。
師匠・林家正雀と林家彦いち
調布寄席 『怪談 乳房榎』
なにはともあれ、土曜の午後の一時、楽しい勉強をさせていただいた。
(おわり)
常設の演芸場がめっきり減ってしまいましたので、若手が客の前で演じる機会が少なくなり気の毒です。
でも生の芸を聴きたいお客さんはちゃんといるわけで、こういう場は客・演じる側双方にとって貴重です。
中には窪庭さんのようにこういう暖かいブログで励ましてくれる方もいたりして、うれしいものです。
私も若い頃は『末広』『鈴本』『池袋』など演芸場によく行ったものですが、近年落語をもっともよく聴くのは飛行機の機内チャンネルになってしまいました。
ダメだねーこれじゃ。
第一そこには若手の落語家はプログラムされていないし。すいません。
落語好きの(知恵熱おやじ)さんと違って、末広や鈴本には無縁ですが、こうして『出前寄席』でがんばる若手芸人を見ていると、応援したくなりますね。
このブログが彦丸さんの目に触れて、元気百倍になってくれたら嬉しいですが・・・・。
そのお客のひとりとなって潜り込んだ窪庭さんの愉しみ方が脈々と伝わってきました。
そして、そこに男と女の恋路が投影されており、真夏の夜の物語としては恰好のようですね。
そういえば、三遊亭園朝のお名前は、それとなく記憶に残っていますが、そんな大家の演目が東京の外れ(失礼)で味わえるなんて贅沢(?)な感じもしました。
ありがとうございます !
まあ大した商業施設もなく、野川や神代植物公園に代表される自然派都市ですが、市の方針としていろいろ文化面の催しもやってくれるので、市民もそれなりに楽しんでいるようです。
映画上映に音楽会、絵画展、演芸、その延長上の今回の出前寄席、画像の通りささやかな催しですが、熱演の姿に共感を覚えました。
彦丸さんは、今のところ深夜の寄席とか早朝寄席でがんばっていますが、いずれ努力が報われて真打になる日が来るものと期待しています。