夕方、帰宅した飼い主は、さぞや慌てたことだろう。
幾日もかけて作った三畳一間ほどもある犬小屋も、リュウの孤独を慰める手段にはならなかった。
困惑の中で、飼い主がどう思ったか。真木男には、それを確かめる方法もなかった。
トタン屋根の上から丸太で押さえつける応急手当てを施して、休日を待ったようだ。土曜日になると、終日ノコギリ、金槌の音がして、犬小屋の改修工事が進められた。
翌週、飼い主が出勤したのを確かめてから、リュウの家を見に行った。
犬小屋は、さらに頑丈になっていた。それまでの木組みの外側にぐるりと金網が回らせてある。トタン屋根の下には、垂木が倍量補強され、リュウがどれほど暴れても脱出不可能の収容所が出来上がっていた。
これなら飼い主は安心して出勤できるだろう。
いまごろ、どこかの会社で同僚と談笑しているかもしれない。
一方リュウは、真木男が呼びかける声に反応してむっくりと起き上がり、当てにならない訪問者の方を無表情に見つめていた。
(こりゃあ、諦めているよ・・・・)
真木男は、リュウの目の色を見てそう思った。無邪気に跳び付いてきたときの輝きとは、様変わりしていた。
犬にも、自分が置かれた環境は分かるのだろう。朝夕の散歩の時間以外は、終日その小屋に閉じ込められることを、受け入れざるを得ないのだ。
暗い目になるのも無理はないと、真木男は我がことのように落ち込んだ。
慰めるつもりで接することは、かえってリュウを痛めつけることになる。またも決心しなおして、真木男はリュウには近付かないことにした。
夏が去って、久しぶりに訪れた山荘への道が、リュウとの遭遇の場所となった。閉じ込められてはいても、元気に過ごして欲しいと願っていたのに、リュウに何かの異変が起こったことは明らかだった。
関節から折るようにして鈎状にたたんだ左足は、なんの意味があってそうしているのだろうか。黒い布に隠された謎が、真木男の疑念を刺激した。
初秋の山荘は、地の虫の声に覆われる。
春から夏にかけての蝉の合唱とは異なり、控えめで、しみじみと脳にしみいる営みの音だった。
リュウも虫の音を聞いているだろうか。
あまり人になぞらえるのも気が引けるが、近頃テレビや映画で見聞する動物たちの生態をみていると、つい思い入れを深くしてしまうのだ。
これまで人間より一段低く見ていた<どうぶつ>の能力が、知恵にしても愛情にしても、想像外の愕きをもたらすことがある。人への迎合ではなく、犠牲を厭わないひたむきさに、真木男も心を打たれることが多くあった。
夜、闇の中で、リュウは虫の音の向こうに森の動物が徘徊する気配を感じ取っているのかもしれない。眠りながら、ときおり耳をぴくつかせ、飼い主のために備えているのだろう。
リュウが、自分の自由を奪う仕打ちに不満を持っていようと、結局は飼い主に屈することになる。昼、夜を通しての番犬とのみ認識しているらしい赤ら顔の男にとって、リュウは献身に囚われた服従者なのだ。いずれ全面的に屈服させられると、高を括っていたのだと思う。
黒い布に隠されたリュウの前肢の謎は、その時の滞在中には突き止めることができなかった。真木男たちとばったり顔を合わせて以来、再び散歩のコースが変えられて、詳しく観察するチャンスが訪れなかったのだ。
それだけに、道端に身を寄せクルマをやり過ごしたときの、バツの悪そうな表情が浮かんでくる。リュウを人目から隔離したいとの焦りの様子が思い出され、ますます真木男の疑念を膨らませるのであった。
秋も深まったころ、真木男たちは再び山荘を目指していた。道沿いのススキの穂が、銀色から白色に変わっていた。
女郎花や桔梗の花が顔を覗かせていた辺りに、鬼薊がひときわ抜きん出て咲いている。ホタルブクロの淡い彩色から始まった秋の調べが、しだいに色を濃くして季節を追っているようだった。
森の一郭に滑り込み、外周路を一回りして山荘に向かうつもりだった。
そろそろ自生の栗が実をつけるころだろう。去年は不作で、ほとんど拾うことができなかった。クルマをゆっくりと転がしながら、路傍に視線を走らせる。栗のイガは落ちていたが、まだ未成熟のものがぺしゃんこに踏みつけられているばかりだった。
瞬間、連想が稲妻のように閃いた。
青いまま踏みにじられた栗のイガが、リュウの痛々しい姿と重なってみえたのだ。真木男はため息をつき、なぜかこの日のうちにリュウと出合いそうな気がしていた。
いつもの近道を通らず、大回りのコースを選んだ。
前回、リュウを連れた飼い主と顔を合わせた小道を、無意識のうちに避けていたようだ。
だが、運命は皮肉なものだ。真木男の予感が、はやばやと的中した。町道を左折した途端に、ヒョコヒョコと三本足で先を行くリュウと飼い主の後ろ姿が、目に飛び込んできたのだった。
(続く)
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