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信州路寄り道ドライブ(3)<小布施>
北斎が小布施を訪れ、この地に数多くの肉筆画を残したおかげで、われわれは現在その恩恵にあずかっている。
それもこれも、高井鴻山という資産家で芸術・文化に理解の深い人物が小布施に居たからである。
メディチ家の昔から、芸術・文化の発展にはパトロンが大きく関わっている。
北斎にしても、居心地のいい住まいとアトリエまで提供してくれる高井鴻山は、存分に才能を発揮させてくれる後ろ盾として大いに頼りにしたことだろう。
小布施~江戸を股にかけて活躍する高井鴻山の存在に、今さらながら興味を持った次第。
ミステリー小説『北斎殺人事件』(高橋克彦著)では、このあたりの背景も投影されているようだ。
鴻山は、距離的に近い松代に蟄居させられた佐久間象山らと親交があったことからみても、当時としては進歩的な考えを持った人物だったようだ。
幕府の隠密が鴻山の周辺を窺っていたという説がある。
突飛だが北斎自身が隠密だったと唱える人もいて、なにやらミステリアスな雰囲気を醸し出している。
撮ってきた写真には『高井鴻山記念館』東門入口と書いてあるのが読める。
ここをまっすぐ行けば、鴻山邸を見られたのである。残念なことに、券なし、時間なし、頭になし。
記念館になっている建物が、からくり屋敷としての仕掛けを持っていたと知ったときには、後の祭り。
くやしいから「無知は最大の浪費」とか、新ことわざを作っちゃおうか。
信州は奥深い。
岩盤に掘ったトンネルを分け入り、幻の『大本営』予定地を見学したのは十数年も前のことだが、手掘りの痕がなまなましい現場に行ってみて、さぞや秘密に巻き込まれた地元住民もいたのではないかと疑ったものだ。
商売は番頭扱いの弟に任せ、幕末の動乱を見据えて自分はひたすら学問・思想・芸術に情熱を傾けた高井鴻山には、信州人としての奥深さが感じられる。
葛飾北斎と高井鴻山。
鴻山の江戸遊学時代に知り合ったといわれる二人の関係が、北斎の晩年になって花開き結実した。
人間の出会いとは不思議なものだ。
感慨を抱きながら大樹に掛けられた案内板に別れを告げ、まだ見ぬ野沢温泉をめざして小布施の街を後にしたのであった。
(つづく)
北斎の肉筆画に着目し生活を支えた鴻山の眼力に感謝です。
優れた芸術家の多くは生活費を稼ぐという世事には疎い、というかそんなものには無頓着で作品製作だけに集中するわけで、パトロンさま様です。
知恵熱おやじ