どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の連載小説『折れたブレード』(9)

2023-11-19 00:59:00 | 連載小説

     (逃げ水)

  

 艶子と父親が並んで写っている写真を見た夜、正孝は三番町の事務所で仮眠をとり朝を迎えた。

 調査会社からもたらされた資料は、もう少し精査する必要があったが、正孝の関心はまだ見ぬ村上紀久子の存在に移っていた。

 艶子に送った彼女の礼状から、柏崎市にある老人福祉関係の病院に入っている父親を見舞ったことが判明した。

 松江で不祥事を起こした「おやじさま」が、妻と子供を残して失踪したのが約20年前、それ以来傍で支えてきたのが村上紀久子と思われた。

 安来節の師匠であった芸者が彼女で、無一文で放り出された「おやじさま」を長年支え続けたものと推定できる。

 (彼女に会ってみたい・・・・)

 艶子と父親の写真を撮ったと思われる人物と、直接言葉を交わしてみたい。

 撮影者の姿こそ見えないが、被写体に向ける親しみの感情が、波動となって伝わってくる気がするのだ。

 一度感情が動くと、もう止めるものはなかった。

 手早く毛布を片付け、滝口から受け取った資料のすべてを備え付けの金庫に放り込んだ。

 簡単に交通経路を確認し、上越新幹線に乗るべく東京駅へ向かった。

 長岡に到着したのは、昼前の比較的に早い時間帯だった。

 10分ほどの待ち時間で在来線に乗り換え、柏崎駅に着いた。

 駅構内の案内所で老人福祉病院への交通経路を尋ねると、バスの時刻と乗り場を案内してくれた。

 おおよそ把握したところで、正孝は駅前の喫茶店に入った。

 いつもの通り、コーヒーとサンドイッチで腹ごしらえをした。

 急いで目的の場所に向かうのではなく、いったん立ち止まって考えるのが正孝のリズムに適っていた。

 いずれにせよ、面会を許されるのは午後に入ってからだろうと見積もった。

 艶子の父親を見舞うというのが建前であったが、付き添いの村上紀久子との面会が主だとの意識もあった。

 彼女が、窮地に陥っていた「おやじさま」を庇うことに、どんな理由があったのか。

 愛情なのか、意地なのか。

 艶子の母親への面当てといった、女にしかわからない感情の動きも考えられる。

 あるいは、芸者ならではの感性が介在していたのかもしれないと、コーヒーを口に運びながら女の心の内を推し量った。 

 

 一息入れたあと、正孝はタクシーを拾って把握したばかりの行き先を告げた。

 受付で村上辰夫に面会を申し込むと、しばらく名簿を確かめた上で、「そいう方は、居られないようですね」と返事が返ってきた。

「えっ?」

 一抹の不安がないわけではなかったが、いざ直面してみると心が騒いだ。「・・・・退院されたのですか」

「いや、そういうことでは・・・・」

「だって、居ないんでしょう?」

「ですから、お名前が抹消されているということです」

 歯切れの悪い答えだった。

「弱ったなあ。緊急に伝えたいことがあるのですが・・・・」

 争っても無駄だと思ったので、正孝は途方に暮れた様子を見せた。

「それじゃあ、ナースセンターで聞いたらどうですか」

「ああ、それはいい。教えていただけますか」

 正孝が下手に出ると、4階にあるナースセンターへの順路を説明してくれた。

 エレベーターを降り、少し右手へ行ったところに一際明るい一角があった。

 覗くと、忙しい時間帯なのか看護師が出払っている様子だった。

「すみません。ちょっと、お伺いしたいのですが・・・・」

 正孝は、がらんとした部屋に残っていた二人に声をかけた。

 手前の椅子に座っていたナース帽の女性が振り向いた。

 帽子の形状から、責任ある立場にあることが一目でわかった。

「実は、こちらに居られた村上辰夫さんを訪ねて来たのですが、どちらに行かれたのでしょうか」

「あら、村上さんねえ。あの方、この病院で亡くなられたんですよ」

「えっ、いつごろですか」

「一ヶ月ほど前かしら。市内の老人病院から運ばれてきて一週間もしないうちでした」

 頭の中で何かが弾けた。艶子が見舞った際の写真は、ここではなかったのか。

「娘さんが、見舞いに来られたと思うのですが・・・・」

「さあ、どうだったかしら。・・・・主任さん、あなたも村上さんを担当したでしょう、覚えてる?」

 そう言って、奥のガラスケースの前で医療器具をいじっていた若い看護師に声をかけた。

「ええ、一旦ここに入院されたのですが、何日か経って容態が急変したのでICUに移されました」

「それで、娘さんは?」

「奥様は付き添っておられましたが、そのような方は見かけませんでしたよ。ねえ、婦長さん」

 主任の看護師が、婦長に同調した。

「村上辰夫さんが、別の施設に居られたことは間違いないんですね」

「ええ、市内の老人福祉病院です。そちらからこの医療センターへ移ってきました」

 (そうか。わしはすっかり勘違いしていたようだ)

 だいたい、駅前案内所の女性係員が、いい加減な案内をしたのが間違いの始まりだと腹が立った。

 ところが偶然の成り行きで、総合医療センターまで引き寄せられてきた。

 それにしても、なんという啓示だろうか。

 正孝は、自分の思い込みも間違いの一因だったことに思いを馳せ、いたずらを仕掛けた運命に恭順の意をを深くした。

「村上さんのご病気は何だったのですか」

「糖尿病が原因の脳梗塞でした」

 主任看護師が、婦長の顔色を窺いながら答えた。

 死んだとはいえ、プライバシーに関わることは自制しているようだった。

「老人病院でのケアが悪かったのですか」

「そんなことはないでしょう、昔の不摂生が祟ったんですよ。血管がボロボロだったと先生が言っていましたもの」

 婦長が、横から会話を引き取った。

 (なるほど)と、正孝も納得した。

 この婦長は、村上夫妻に対して、あまり良い印象を抱いていないように思われた。

 何があったかは分からないが、場合によっては正孝の知りたいことを聞き出せるかも知れないと思った。

「村上さんの奥さん、ずいぶん献身的だったと聞きましたが・・・・」

「そうですか? 待合室でプカプカ煙草を吸ったり、評判良くなかったみたいですけど」

 婦長の権威が、抑制のくびきを打ち破ろうとしていた。

「ああ、元は芸者さんだったと聞きましたから、仕方がないんじゃないですか」

 正孝は、後ろめたさを感じながらも、情報を引き出すために小さな罠をしかけた。

「道理でねえ」

 婦長は満足そうに息を吐いた。「・・・・なんでも、死亡診断書を書いてもらうのに、いろいろ煩いこと言ったみたいですよ」

「どういうことですか」

「どうせ、生命保険のことが心配だったんでしょう」

 なるほど世間はシビアだなあと、妙なところで感心した。

 それで分かったこともあった。

 愛情や意地ということもあったが、健康なうちに入らせた生命保険があったとすれば、それも連れ添う要件の一つであったと考えられる。

 婦長は、日常的に当たり前だと思われる生命保険の存在が気に入らなかったのか。

 もしかしたら、彼女は独身だったのではないかと、どうでもいいことが頭をよぎった。

「そうそう、村上さんは、亡くなったあとどちらへ引き取られたのでしょう」

「それは、病院出入りの葬儀社に訊いてみたらいかがですか。ご遺体は奥様のお宅に運ばれたようですから」

「ご住所はわかりませんよね」

「主任さん、ちょっと教えてあげて。・・・・こちら、村上さんのこと調べているらしいの」

 指示された看護師は、浮かない顔でナースステーションを出て行った。

「すみません、お手数おかけします」

 正孝は、二人に頭を下げた。

 

 村上紀久子の住まいは、柏崎市内にあった。

 柏崎駅に近い、柳橋町というところだった。

 正孝はタクシーに乗ったまま、運転手とともに地番をたどった。

「ああ、ここですね」

 運転手が、電柱の住居表示を見てクルマを停めた。

 バス通りから一本入った住宅地だった。

 タクシーを降りて少し奥の方へ行くと、すぐにメモした名前の茶色の建物が見つかった。

 村上紀久子に渡そうと東京から持ってきた手土産が、いよいよ役に立ちそうだった。

 (居るかなあ)

 当然アポなしだから、買い物などで外出していることも考えられる。

 そのときは、どこかで時間を潰して、再度訪問する覚悟だった。

 小規模マンションのとば口に、管理人室があった。

 ガラス窓の内側から、正孝の方を覗う鳥のような目があった。

 瞬きのない視線に気づいて、思わずそちらへ歩み寄った。

「あのう、村上辰夫さん、いや、村上紀久子さんは、何号室にお住まいでしょうか」

「ああ、あの方ねえ、旦那さんが亡くなったとかで、二週間ほど前に出て行かれましたよ」

 あっと思った。

 村上紀久子は、行く先々で姿を消す。

 (まるで、逃げ水のようじゃないか)

 正孝は、妙な因縁を感じた。

 医療センターにせよ、マンションにせよ、正孝が会えなかったのには正当な理由がある。

 だが、そうした理屈では割り切れない、負の連鎖といったものを感じ取ってしまった。

「そうですか、がっかりですねえ。・・・・転居先は残して行かれましたか」

「いやあ、家賃は振込ですし、出て行かれる方の連絡先も、こちらとは関係ありませんから」

「そうでしょうねえ。・・・・がっかりです」

 さすがに、正孝も希望を失いかけた。

「そうそう、運送屋ならトナミ運輸でしたよ。あとは、市役所で住民票でも調べるしかありませんね」

 管理人は、案外親切だった。

 正孝は、丁重に礼を言って、その場を離れた。

 慌ただしくしているうちに、午後の陽も傾いてきた。

 日本海沿いの街は、季節の移ろいがけっこう足早だ。

 凪が止んで、風が動いてきたようだ。

 (わしは、何をしにここまで来たんだろう?)

 疲れを感じて、このまま電車に乗ることも考えた。

 だが、せめて市役所に行って、村上紀久子の異動先を確かめてみようと思い直した。

 わからなければ、わからないでいい。

 それまでの因縁だったのだ。

 正孝は、駅前へ戻るらしいタクシーに手を挙げ、「市役所まで」と告げて乗り込んだ。

 

     (つづく)

 

(2016/03/27より再掲)

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2 コメント

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遅々として (ウォーク更家)
2023-11-20 19:09:22
有能な探偵の調査で、事件は一気に解決へ向かうかと思ったのですが、主人公の行く先々はほとんど空振りで、遅々として進展がありません・・・
まあ、現実はこういうものなのでしょうね。

リアリティのある描写に引きずられて、次回が待ち遠しいです。
返信する
もうすぐ最終局面が見えてくる (tadaox)
2023-11-20 22:07:12
(ウォーク更家)様、コメントありがとうございます。
ストーリー展開がもどかしいかもしれません。
次回もまだ解決には至りません。
しかし、最終局面へ導かれていきます。
そう遠くない時期に結末が見えます。

リアリティ・・嬉しい評言を頂き励みになります。
返信する

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