どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の短編小説『見返り美猫』(6)最終回

2022-08-25 00:08:33 | 短編小説

 十時過ぎに南軽井沢署に到着し、着く早々、満男は刑事と思われる係官の席に案内された。

「朝香さん、あなた妙義荒船林道というのを知ってますか」開口一番、思いもしない質問をぶつけられた。

 その道がどこへ続く道か、満男は地図で調べたことがある。
 軽井沢を起点に、八風山、物見山、熊倉峠を経て、荒船山に至る長野県側『妙義荒船林道』が、活気ある描線で記されていた。
 他に碓氷山中和美峠を経て松井田に至る群馬県ルートもあるが、いま係官が問いかけているのは、軽井沢からルート254に抜ける有料林道のことだ。
 かつて林業盛んな頃は、長野県側のAルート、群馬県側のBルートとも健在で、それぞれの役所の管理下で整備運行がなされていた。
 その後、長野県側は全面舗装され、いまも料金ゲートが設けられて機能している。
 一方、群馬県側は上信越道が開通すると、利用者の減少によって林道としての役割が徐々に衰退していったらしい。現在は倒木・崩落の跡もそのままに、廃道に近い荒れ道になっているとの情報もあった。
 満男は地図で調べただけで、実際に走って確かめた訳ではない。
 有料と知ってとりあえず敬遠した経緯もある。だから、係官に質問されて「知らない」と答えたのはウソではなかった。
 しかし、素っ気なく知らないと答えてしまったことが胸に引っ掛かっていた。「調べたことがある」と、なぜ言えなかったのか。
 覗きこむような視線に苛立って、知らないものは知らないんだと不貞腐れた表情をしたことが、あとから悔いとなって残った。
「知らないか、それもそうだ。仕事で通る場所ではないもんな」
 たしかに、好奇心いっぱいに乗り出していくのは、デート中のドライバーか物好きなライダーぐらいで、仕事で利用するとすればそれこそ林業関係者か道路補修の建設労働者といったところだろう。
 有料の上に、国道254号線に出るには時間が掛かり過ぎる。
 それらを承知の上で質問をぶつけてきた係官と、行ったことがないのになまじの知識を持ってあれこれ応対する満男の心の動きが、微妙にすれ違った。


 軽井沢プリンス通りから、そのまま上信越道の『碓氷軽井沢』インターに向かって直進すると、右手に下仁田に至る県道43号の案内が出てくる。通称、下仁田・軽井沢道路と呼ばれている。
 この道は妙義荒船林道につながるのだが、スーパー林道を利用するのではなく、43号をひたすら駆け下って行くのが下仁田に出る早道なのだ。
 決して人の知らない抜け道ではなく、急峻ではあるが比較的直線的に下仁田へ向かう効率的な道だった。
 それなのに、なぜ遠まわしに妙義荒船林道に話を持っていったのか。満男は、係官の胸中をいぶかしみ、あれこれ詮索した。
「パトロールの者がお聞きした話では、事件があった日の午後二時ごろ、朝香さんは荒船温泉に近い集落で訪問販売をされていたんですよね」
 突然、核心に迫る質問をしてきた。
「あ、はい。そうですが・・・・」
「私、調べていて妙なことに気づいたんですよ」
「何が、ですか?」
「あなたの言うとおり磯部から下仁田に入ったのなら、取っ付きの本宿とか横間あたりから仕事を始めるのが普通ではないですか。・・・・違いますか?」
「さあ、どうでしょうか・・・・」
「それが、あなたは一番奥まった初鳥屋の一軒家から訪問を始めているんですよねえ。.・・・・本当は軽井沢から大慌てで県道を走り下り、目に付いた最初の家に飛び込んでアリバイ作りをしたんじゃないですか」
 最短のコースを通って時間を短縮すれば、事件発生時刻に現場にいなかったと主張できますからね。
「それは誤解です」
 満男は、わざと呆れたように言った。「・・・・ぼくは、この集落と決めたら一旦奥まで行って、そこから入口へと退いていくんです。夕方、営業が終わって引き上げることを考えれば、奥から取り掛かるのが自然じゃないですか」
「・・・・」
 係官は、満男の説明を言い逃れと思ったに違いない。「・・・・まあ、いいでしょう。これから調べれば分かることですから」
 もう捕らえたといわんばかりに、満男の横顔をジロリと見据えた。

 なんだか不如意な気持ちのまま、朝香満男は南軽井沢署を出た。もう、昼飯の時間に近かった。
 中軽井沢駅まで戻って、「かぎもとや」本店の駐車場にクルマを入れた。コンビニで済ますことが多いので、たまには店の椅子に座って食事をしてみたいと思ったのだ。

 満男を疑う係官の目つきを一蹴するように、彼としては豪勢な天ざるを注文した。ざすがに今日ばかりは酒類に目を向けず、硬めのソバを少量ずつ口に運んだ。電話しておいたので、経理担当者と専務が待っていてくれた。
 失った五万円を自分の預金で補填し、何はさて置き集金額の全額を会社に納めた。すべてのことは、そこからだった。
 事情をかいつまんで説明し、繰り返し謝罪した。明日からの出勤を確約し、これまでにも増して営業に励むことを訴えた。
「だけど大丈夫かね。警察はきみの事をしつこく調べているようだが・・・・」
「濡れ衣です。ぼくは変質者なんかじゃありません。信じてください」
 真剣な表情を目の当たりにして、専務がうなずいた。「・・・・分かった。これからも頑張ってくれ。明日も営業に出てもらえるよう、社長に言っておくよ」
「ありがとうございます」
 万感こもる思いが、胸の奥からこみ上げてきた。
 その夜、彼の眠りは浅いものとなった。不安と恐怖が断続的に襲ってきた。
(オレは女なんて襲ってない! 猫に手を伸べただけだ)
 どこかを撫ぜた感触は指先に残っている。毛並みの美しい若猫だった。品のいい白色の毛に、淡い茶色が混じっていた。
 掌に触れたのは、猫の尻だったろうか。
 ニャーと振り返り、はにかむように逃げていった。そのとき細めた目はどんな意味を持っていたのか。
 逃げるように、誘うように、尾を立てて新築の家の軒下に消えた。
(待ってくれ、どうしたいというのだ)
 追いかけて、抱き上げ、頭や背中に頬ずりをしようと試みたが、捕らえたと思ったのも束の間、するりと抜け出てニャーオと鳴いた。
 美しい猫は幻のネコ。
 幻惑だけを生き甲斐に、この世に生息する。
 その目蓋は、誘惑するように閉じられるが、黄色い網膜は永久に冷ややかだ。
 肉体は、ただの細胞。人も猫でも同じだ。
 艶然と振り返って、見返り美人。
 ニャーオと鳴いたのは、見返り美猫。ネコに取り付かれた男の妄想が夜通し垂れ込める。
「あなたは、セックス・ノイローゼです」
 逃げ出した女房へのストーカー行為を咎められた時期、意を決して訪れた精神科の医師にそう診断された。
 エロ本でも、裏ビデオでも、飽きるまで見なさい。
 別れた奥さんに執着せず、どんどん女性と付き合いなさい。
 抑圧するから、イケナイのです。心を解き放つのです。
 しかし、性格はそう変えられなかった。好きなタイプの女の声、仕草が気になる。
 髪型、肩、背中の肩甲骨、腰のライン、季節の服装。
 少女っぽいはにかみ、熟女の深淵。ほんのり漂う雌しべの匂い。
 夢に見た薬種問屋の内儀に、実演販売で喜ばせた客の女たち、そして水商売の黒いキャミソール。
 ああ、昨夜出会った美鈴はどうしたろう。事件に巻き込まれてさぞや迷惑したことだろう。
 あの女には、もう一度会いたい。なんとしても口説いて、所帯を持ちたい。涼やかな目尻に切られて死んでもいい。

 幾重にも重なる妄念の霧に押し潰され、満男はくたくたになって朝を迎えた。
 会社に近いアパートを出て、八時には出勤する。同僚、上司の机を拭き、板張りの床にモップをかける。
「あら、おはようございます」
 昨夕五時に帰った女子事務員は、一瞬驚いた顔で満男をみつめたが、額に汗を浮かべて働く男に同情して、やさしい言葉をかけた。
「朝香さん、きのうは厄日だったわね。でも、そうそう悪いことって続かないものよね」
「ミヨちゃん、ありがとう」
 寝不足で弾力を失った皮膚を引き伸ばすように吊り上げ、笑顔を作った。
 クルマはちゃんと会社の車庫に入っていた。積んだ荷物もそのままだった。新たに二、三の小物を追加して、緊張の中エンジンを始動させた。
 ハンドルを左に切って、会社の敷地を出た。高崎の繁華街を抜けて、国道17号に向かった。
 きょうはどこへ行こうか。
 いつも悩む楽しい時間だ。クルマで乗り出してしまえば、あとの行程はすべて自分次第。
 ふと思いついて、最初に想定したコースを外れても、誰も文句を言えない。もともと満男の頭の中は、神様以外覗くことはできないのだ。
 渋川から榛名山を目指してみようか。それとも赤城方面か。
 しばらく選択余地を残して楽しみながら、結局あまり得意としない昭和村方面に入っていった。
 このあたりは赤城山の北麓に位置し、寒冷な気候を生かした高原野菜の生産で有名だ。この日も朝のうちから出荷に忙しそうだった。
 ある意味、群馬県西部の嬬恋村にも勝る一大農産地で、コンニャクの栽培でも下仁田に肩を並べる生産量を誇っていた。
 片品川と利根川の合流地点でもあり、夏は北側の沼田市から尾瀬に向かう要衝路となっている。
 しばらくすると街道沿いの土産物店で渋い青林檎を売る季節となるが、家に帰ってから「やられた」と気が付いても、景色のすばらしさに帳消しにされて渋々諦めることになる。はしっこい業者には敵わないのである。
 昨日までの曇り空と変わって、雲の合間から日差しが漏れていた。
 どこへ急ぐのか、満男の後ろにダンプカーが一台ぴったりくっついてきた。道幅さえ広くなれば、スピードを緩めて追い越させようと前方を探った。
 風は爽やかだが、疲れきった肌には少々うるさかった。
 赤城湖のほとりに到着したら、クルマの中で昼寝をしようと考えていた。一度冬季に訪れて、あまりの荒涼さに一巡りして帰った覚えがあるが、この季節ならきっと快適な眠りをもたらしてくれるに違いないと、ぼんやりした眼を開いて行く手にあるものを凝視した。
(あっ!)
 クルマの直前を何かが横切った。
 反射的にブレーキを踏んでいた。
 目の中をよぎる黒い影。小さいながら、衝撃力を秘めたネコの跳躍。
 後輪に鈍い振動が伝わり、続いて圧倒的な衝突音が満男のクルマを押し出した。追突されながら、ブレーキを踏み続ける反射神経ってなんだろう?
 いきなり背中をドづかれたような衝撃があり、右後方からダンプの大量の土砂に押しつぶされた。
 頭の中で、さまざまな思いが分解され、疑われた事件の履歴がバラバラになった。
(こうなりゃあ、警察も手は出せまい)
 半分どこかで望んでいた結果のような気もする。
 あの強姦しそこなった若妻は、執拗に様子を窺うセールスマンの脅威が去ってほっとすることだろう。
 もとはといえば、理解のない女房のせいだ。オレがおかしくなったのは、あいつのせいだ。
 美鈴に会いたい。美鈴こそこの世の憂さを忘れさせてくれる見返り美人だ。
 行き当たりばったりに穢してきた半生は、すべて運転席ごと圧縮された。オレの思い、おれの過去、俺の人生・・・・。
 ダンプの運ちゃんには申し訳ないが、何の見所もない芝居の幕引きにはうってつけの協力者だ。思わせぶりな筋書きも、暗く圧縮された闇に同化していく。
「これが地獄というものか・・・・」
 意識の中の闇が一点に絞られ、消えた。


      (完)
  

 

(2008/06/29より大幅加筆のうえ再掲)

 



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6 コメント

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面白く読みました・・・ (koji)
2022-08-25 07:33:53
全編無駄の無い自然な文章がとても読みやすく、最後の秀逸なネタばらしまでストーリーを一気に追うことが出来ました。
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まるでサスペンス映画のシナリオ (ウォーク更家)
2022-08-25 10:13:09
出だしから、主人公と妙に色っぽい猫との出会いが、どんな事件に発展していくのか、引き込まれました。

そして、まるでサスペンス映画のシナリオを読んでいる感じで一気に最後まで読んでしまいました!

松本清張の映画の様なリアリティがあり、映画の場面がくっきりと浮かび上がりました。

駐車違反を契機に、住宅地での強制わいせつ事件の犯人と疑われ、歯車がどんどん悪い方向へ急加速しているあたりは手に汗を握ります。

結末は、多分、主人公の行動からすると、虚しい結果になるだろう予想はしていましたが、想像以上に悲惨でした。

信濃追分、浅間山の裾野、旧道沿いの中軽井沢など、中山道踏破のときにの風景が蘇りました。
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文章もリフォーム (tadaox)
2022-08-25 11:17:31
(koji)様、嬉しいコメントありがとうございます。
そうですか、読みやすい文章はいつも気にかけているところなので、そう言っていただけて(よかったア)と胸を撫でおろしました。
この小説、かなりリフォームしたので、若い時の欠陥を少し手直しできたのかもしれません。
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多少は良くなったかな (tadaox)
2022-08-25 11:55:02
(ウォーク更家)様、おはようございます。
ぼくも松本清張は最高に好きな作家なので、サスペンス的な要素を取り上げていただき、すごく嬉しいです。
先にも触れましたが、この小説は約15年前に書いたもので、ずっと不満を抱いていましたので、今回リフォームして多少なりとも良くなったと言っていただけた感じで、再掲もまんざらじゃないなと思いました。
信濃追分、中軽井沢など浅間山麓の風景は、更家さんの中山道踏破と重なりますよね。
雰囲気出てますか。
短編とはいえ、全6回の話を興味をもってお読みいただき、ありがとうございました。
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Unknown (クリン)
2022-08-26 09:22:44
パンチのあるお話でしたね!!🐻ラストは坂を転げるような展開でした~~⚠(でもぶたいが軽井沢とかステキなところだったので全体が軽くなってますよね⤴✨やっぱロケーションって大事ですよね!それにコンニャクの話とか挟んであるし💛)さすがくぼにわさま・・✨✨✨✨
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ロケーション (tadaox)
2022-08-26 11:57:54
(クリン)さん、ありがとうございます。
軽井沢での駐車違反をとがめられた一セールスマンが、ラストで追突事故に遭う、終始クルマ絡みのお話でした。
次第に追い詰められていく主人公の活動場所を、軽井沢周辺や草津温泉など周知の場所にしたことで、興味をつなぐことができたとしたらよかったと思います。
クリンさんのいう通り、ロケーションは大事ですよね。
これからも意識していきたいと思います。
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