勝浦の夏は観測史上一度も猛暑日(35度以上)がないらしい、そのため観光に訪れる人や移住者が増えているのだそうだ。
理由は海岸には絶えず海風が吹きこんで内陸より気温の上昇が抑えられるらしい。
菅家一家は船橋に住んでいたころ行楽と言えば千葉の各地をドライブすることだった。
なかでも勝浦がお気に入りで、「ホテル三日月」の前の砂浜で子供を遊ばせ、昼になると道を渡ったところにある食堂に入って新鮮な魚介類の刺身や天婦羅を注文することが多かった。
「ここの天婦羅はおいしいね」
海老好きの菅家が妻や子供に同意を求める声が聞こえていても、店主の料理人はニコリともせずに黙々と包丁を動かし続けた。
この店の壁の上部には、岩礁を配した海の絵がかかっていた。
菅家はいつも椅子席の絵がよく見えるところに座り、黒々とした岩礁に当たって砕ける波しぶきを心地よく眺めた。
空の色も光の粒をはらんで希望に満ちていた。
勝浦にも有名無名の画家が住んでいたらしいから、たぶんそうした画家の一枚だろうと想像しながら箸を進めたのだった。
聞いてみたい気もしたが店主が無口なのでつい声をかけそびれた。
その時から数年たち、子どもが小学校の高学年になったある夏、久しぶりに勝浦へドライブしようということになった。
例年のように「ホテル三日月」近くの駐車場にクルマを乗り付けようとすると、その場所が柵で封鎖されていて停められない。
仕方なく街中に戻って駐車場を探し、食堂までブツブツ言いながら歩いた。
食堂は暖簾も看板も割烹ではなく中華系に変わっていた。
寡黙な印象の店主の姿もなかった。
「あれ、ご主人は?」
いつもお盆を運んでいた奥さんらしい女性に聞いた、
「去年亡くなりました。割烹は無理なので中華メニューで店を続けています」
「そうでしたか。惜しいことをしました。まだお若い感じでしたが・・」菅家は今度も刺身と海老の天婦羅を注文しようと思ってきたのでそちらも残念な気持ちを抱きながら「それじゃ中華そばを三つとかき氷を一つお願いします」
子どもが目ざとく見つけて指差すのを注文に載せた。
「そういえば以前お店に飾ってあった海の絵が勝浦らしくてよかったですよね」
「ああ、あれは主人が画学生だった頃に描いた絵なんです。勝浦が好きで公募展に応募する作品をここで制作していたものですから」
「そうですか、ご主人の絵でしたか、思い出になりますね」
「一度諦めた絵ですから、火葬のとき一緒に焼いてもらいました」
思い出に浸るのではなく、未練を断ち切る方をえらんだらしい。
菅家は言葉を失った。
勝浦で夏を過ごすうちに下宿先の食堂の娘を見初め(あるいは見初められ)、絵描きを諦めて料理人になったのだろうか。
店主だった男の寡黙の理由の中には、少なからず無念の気持ちがあったのかもしれない。
菅家は店主の存命中に直接聞かなくてよかったと思った。
世の中には思い通りにならなかった話がゴロゴロしているのだろう。
みんな自分の人生に蓋をして、何もなかったような顔で日を送っているのかもしれないと思った。
(おわり)
近くの鴨川は、海水浴にシーワルドや鯛の浦があって、何度か行きましたが、勝浦は行った事がないですね。
「ホテル三日月」は、CMもあって有名ですね。
勝浦は有名になっちゃいました。
今年も30度を超えた日がないんだって。
人が来ますよね。
鴨川シーワールドには何度も行きました。
ペリカンショウが面白かったです。
クジャクを崖の上から飛ばすショウも怖いけど面白かった。
昔の思い出です。
そこまで読み取っていただき感謝しています。
短い文章の場合は読んでくださる方の想像力に助けられることが多いです。
自分の習作の絵を飾っていた店主と、絵を一緒に火葬にした奥様の心の動きがミソですね。
ほんとにありがとう。