どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

どうぶつ・ティータイム(83)

2009-01-01 17:04:33 | 小鳥

     利口な小鳥たち

 動物の中には、なかなか知能の高いものがいて人間を楽しませてくれるが、近頃ますますそのような種が増えて、ペットの幅が広がってきたような気がしている。
 中でも鳥類の能力には、かなりの驚きを感じている。野生のままなら当然の能力として受け入れてしまうのだが、人間と触れ合う機会が増えて予想もしない発見があるようだ。

 虫たち、とりわけアリやハチの作り出す世界は別格だ。独特の集団を形成し、種として生き延びるための知恵を授かっている点においては、神の配剤と考えたほうが納得がいく。
 人間も及ばぬほどの社会秩序を維持し続けている彼らの能力は、この際脇へ置いて話を進める。

 もう二十年も前の話だが、娘が目白にある病院にかよっていた頃、通り道に当たる雑貨店の軒先に吊るしてあった鳥かごの九官鳥と、すっかり意気投合したことがあった。
 期間はせいぜい一ヶ月間ぐらいだったろうか、通るたびに娘が声を掛けるものだから、恋人同士のように馴染んでしまったのだ。

「キューちゃん、かわいいね」
 赤いコートを着た五歳ぐらいの女の子が、鳥かごに顔を寄せて繰り返ししゃべりかける。
「ありがと・・・・」
 褒められているのを分かっているように、九官鳥が答えるのだ。

 しかも、九官鳥は小首をかしげ、はにかんだように向こうむきになって「ありがと」と言う。
 真っ黒な体をねじり、チラッと黄色い目を覗かせるところが、人の仕種に似ていてなんとも可笑しくほほえましかった。

 とはいえ、そうしたやり取りをいつまでも続けているわけにはいかない。
「ほら、もう帰るよ。鳥さんにバイバイしなさい」
 娘は仕方なく親に従う。
「キューちゃん、バイバイ・・・・。また来るね」
 なごりおしさが、小さくあげた手と肩ににじんでいる。

 そこからが大変、毎回大騒ぎとなる。
「ギャー、ギャー」
 ばたばたと鳥かごにぶつからんばかりに羽ばたく。
 さっきまで淑やかに背中を向けていたのが嘘のように、大慌てしている。
「帰っちゃいやだ、行かないで!」と叫んでいるのは、誰の目にも明らかだった。

 それから十年ほど経ったころ、今度は家内が三日ほど続けてインコに朝早く起こされる出来事があった。
 ピピッ、ピピッと雨戸越しに呼ぶ鳴き声を聞いて、「きっと、あの鳥だわ」と言うのだから何かの因縁があったのか。
 訊けば前日、家の前の電線に留っているのに気がついて、何やら声を掛けたらしい。たぶん可愛いとか何とかいったのだろうが、餌の介在なしにインコのほうから声を掛けてきた様子を知ってびっくりさせられた。

 おそらく脱走したインコだろう。
 黄緑色の体色だったから、ペットとして飼われていたセキセイインコが野生化したものと思われる。
 飼われていたころ言葉も覚えたし、人間との接し方にも馴れる機会があったに違いない。
 だからこそ、アクティブに呼びかけを行ったのだろうと解釈した。

 テレビの動物番組は何より大好き。
 いつか飼い主の手から落ちたインコが、慌てて拾い上げようとするおばあちゃんに「大丈夫、大丈夫」といったのには度肝を抜かれた。
 単なるオウム返しや口真似ではない。
「オハヨウ」とか「行ってらっしゃい」のレベルではない時代に入ってしまったのだろう。

 人とペットの関係は、人間不信の時代に更に深まることが予想される。
 今度は「どうぶつ」の純真さを、勝手なペット感覚で損なわないことを願うばかりである。
 年頭にあたり、動物たちの安泰と、彼らに接する人間のやさしさ、聡明さを、心からお祈りするものである。

 


 

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1 コメント

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やさしい眼差し (丑の戯言)
2009-01-02 13:26:10
新年おめでとうございます。

年替わりを期してブログの装丁を一新されたようですね。わたしらの頭から離れない古き良き時代の日本の住みかが思い出されます。

その図柄と合わせたような、ご家族の動物=鳥との心温まるふれあい。いいですねえ。

今年もいろいろと楽しませてください。
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