三太はチャボのシロを抱き、むしろの囲いの中に入った。
正面には、勝平が黒いチャボをかかえて待っている。
二羽とも目隠しされているので、それぞれの腕のなかでおとなしくしていた。
勝平の戦士は、黒い羽根のせいか三太の目に強そうに映った。
それでも、大人たちのシャモとは体から発する威圧感が比べものにならなかった。
三太は確かめるように手の中のシロを見下ろした。
シロは鶏冠と目玉と脚以外は全身白色で、勝平のチャボより気高く見えた。
知り合いの老人のアドバイスで小魚や貝殻を与えたことが、毛艶の良さにつながっていると思っている。
ただ、それが戦いの場で強さにつながるかどうかはわからない。
シロを戦わせるのは、この時が初めてだったからだ。
戦いの経験はなくとも、囲いの中ではシロも戦士だった。
(おまえには勇気がある)
火の見櫓にぶら下がった純次さんの勇気を、シロに乗り移らせようとした。それが三太の気迫となった。
一瞬、指先に力が入った。
胸前を掴まれたシロが、ピクンと反応した。
三太は勝平を正面からしっかりと見た。
三太とシロは指先でつながった。
「よし、放すぞ」
誰の指示も待たずに目隠しを外し、シロを地面にそっと置いた。
それに応じて、勝平も黒チャボの目隠しを取った。
黒チャボは一瞬きょとんとして、首をかしげた。
勝平はチャボを地面に置かずに、中腰の位置からシロをめがけて飛びかからせた。
「あっ」
見守っていた子供たちが、いっせいに声を出した。
黒チャボは、投げられた勢いのままシロにぶつかったが、わずかに身を躱したシロは奮然と羽ばたいで真上へ飛び上がった。
弾みでシロの蹴爪が相手に当たった。
むしろ驚いたのは黒チャボのほうだった。
シロの一撃を受け、弾き飛ばされた。
優位をねらった勝平の目論見は、黒チャボに不利に働いた。
それでも、黒チャボは体勢を整え、首を引いて戦闘の構えをとった。
次の瞬間、二羽のチャボは飛び上がり、空中で首を反らしたまま躯をぶつけ合った。
互いの蹴爪が、胸前めがけて交錯した。
二合、三合、シロは黒チャボよりもわずかに高く飛び、正確に元の位置に着地した。
黒い和毛が飛び散り、勝平のチャボは身を歪めて後方へよろけた。
シロも前面を鮮血で染めていたが、昂然と目を見張って次の攻撃に備える形をとった。
戦意を喪失した勝平のチャボは、シロに背を向けて逃げようとした。
「勝負あった!」
大人の声がした。
いつの間にか、近所の旦那が様子を見に来ていたらしい。
取り囲んでいた子供たちは、興奮のあまり声を失っていた。
三太は、丸首シャツを脱いでシロをくるんだ。
胸前を染めていたのは返り血のようだった。
抱え上げると、二の腕にシロの鼓動が伝わった。
チャボ同士で喧嘩させることなど、三太は考えたこともなかった。
だから、勝平のチャボと戦うことになったとき、三太は後悔した。
事の発端は、子供たちが集会所の庭で相撲を取ったあと、村の大人のなかで誰が一番強いかという話題になったことだ。
「そりゃあ、やっぱし義夫さんじゃないけ? 月読神社の手洗い石を一人で抱えたって聞いたぞ」
同級生の勝平が言った。
「うん、奉納の鏡餅も楽々運ぶしな」
勝平の意見に、正昭が同調した。
「そうかなあ、俺は消防団の純次さんだと思うけど・・・・」
三太が異議を唱えた。
「なんで?」勝平が訊いた。
「だって、純次さんは火の見櫓の屋根につかまって、5回も懸垂したんだぞ。すごい勇気だと思わないか」
三太は自分の思っていることを率直に言った。
「どう見たって、力持ちの義夫さんのほうが強いんじゃないけ」
勝平の二つ上の兄が割って入った。
「・・・・」三太は口をつぐんだ。
兄弟が連携して主張を押し付けてくるのは、今に始まったことではなかった。
三太にも兄と姉がいたが、年齢が離れているので加勢をしてくれるような場面はなかった。
疎開者と呼ばれていじめられたことは何回もあったが、兄や姉がそれらに介入することなど考えられないことだった。
だから、三太は泣かされても自分で解決した。
担任の大野先生から副級長に指名されたことで、なんとなく言い返せるようになった気もする。
この時も、「俺は力持ちの義夫さんより、純次さんのように勇気のある人のほうが強いと思うけどな」と主張した。
反撃に遭って、勝平兄弟は黙りこくった。
勝平の兄が、目を細めて三太を見た。
その場に居合わせた同級生の一人が、異様な雰囲気に気押されて視線を泳がせた。
「・・・・そうだ、勝平、おまえのチャボと三太のチャボを戦わせてみたらどうだ?」
喜好が思いがけない提案をした。
意表をつく意見だったが、居合わせた子供たちはみな顔を輝かせた。
義夫さんも純次さんも、この場では当事者ではない。
勝平の意見と三太の意見のぶつかり合いなのだから、決着をつけるには二人で何かしなければならないのだ。
いきなり殴り合いは無理だから、互いの飼育するチャボに代理戦争をさせるという発想は理にかなっていた。
瞬間、三太は勝平の黒いチャボを思い浮かべた。
勝平も、三太のシロを眼裏に描いたことだろう。
だが、口を開いたのは勝平の兄だった。
「喜好、おまえら用意してくれっか」
「あ、いいよ」喜好が答えた。
同級生同士が相談して、農協の倉庫の裏に手作りの闘鶏場を用意し、翌日の午後1時に集まることになった。
三太は話がどんどん進行してしまうのでドキドキしたが、今更いやとは言えなかった。
「それじゃ、明日連れていく・・・・」
「おお、逃げんなよ」
勝平の兄が冷ややかに言った。
三太は、家に戻ると鳥小屋の中のシロを見つめた。
何も知らないうちに戦いの場に引きづり出される運命が、シロのふっくらした躯に翳りを落とした。
「シロ、外で遊べ」
三太は小屋の扉を開けて、チャボが外へ出ていくのを待った。
シロは首を振って様子を確かめていたが、手を差し出す三太の横を素早く回り込んで庭の隅までのめるように走った。
そこには里山から採ってきた木瓜と山茱萸が植えられていて、とりあえず身を潜めるには格好の場所だった。
飼い主の三太を怖がる行動ではなく、いくら馴れても人間に心を許す気配は見せなかったのだ。
樹木の陰で何かをついばむシロを眺め、三太の覚悟は決まった。
(チャボだって、自分と同じように嫌な運命と戦えばいいのだ)
三太は、なかなか鼓動が鎮まらないシロを愛しく思った。
こいつは弱いと極め付けられていた悔しさを、見事にひっくり返したのだ。
もともとシロは、沼のほとりに住む老人からもらったヒヨコだった。
「そいつはいらないから持ってけ」と、いきなり言われたのだ。
なぜ放棄されたのか、理由は分からなかった。
何ヶ月間か世話をしているうちに、ヒヨコはオスとしての外形を整えていった。
三太は男らしくなったチャボをシロと名づけ、鳥小屋を作って飼育に熱中した。
母親が卵を産ませるために飼っている番いの鶏と、シロは庭で競うことがあった。
土を掘り返してミミズなどをついばんでいる鶏に近づきすぎて、体の大きい雄鶏に追い払われたりした。
それでもシロは敏捷に逃げまわり、隙を見て餌になる草の実や昆虫を探し出した。
無用な争いはしないが、雄鶏を恐れている気配はなかった。
老人はチャボをたくさん飼っていて、本業の鉄屑集めに出かけるとき、リヤカーにチャボの飼育箱も積んで、それらを客に売っていた。
餌はクズ玉蜀黍やクズ米に、貝殻を砕いたものを混ぜて与えていた。
三太も見よう見まねで餌を用意した。
穀類は母親が用意する稗や粟、菜っ葉類は季節によってオオバコやアカザなどの野草を刻んで与えていた。
老人は、オスとメスの番いで売っていたが、シロは一羽だけで三太に譲られた。
だから、三太には初めから選択の余地はなく、それがシロの運命だと決めていた。
ただ、老人が「そいつはいらない・・・・」と言った理由を、頭のどこかで気にしていた。
数ヶ月過ぎて、他の子供たちのチャボと違う色をしているのが明らかになったとき、三太は老人がヒヨコを手放した理由をほぼ理解した。
全身が真っ白なのは、生まれつきひ弱だと聞かされていたからだ。
実際、子供たちからは、白チャボは喧嘩に弱いと馬鹿にされた。
老人は、ヒヨコのうちから色抜けを見抜いていたのかもしれなかった。
しかし三太は、村で多く飼われている茶系統のチャボよりも、自分の白色のチャボを気に入っていた。
(シロはどのチャボよりも綺麗だ)
小ぶりの鶏冠は普通の鶏よりも真っ直ぐに立っていて、それが白い胴体に映えた。
半年が過ぎて成鳥になるころには、尾羽根もこんもりと盛り上がり、止まり木よりも下まで垂れ下がっていた。
いち早くシロの容姿に気づいて、集落の子供たちに吹聴したのは勝平だった。
同級生だけでなく年上の子供も見に来て、初めは羨ましがる者もいたが、次第にケチをつけ始めた。
「こいつ、キョトキョトしてるな。意気地なしみたいだぞ」
結局、聞きかじりの劣性遺伝の話になって、三太のチャボを皆でこき下ろした。
最初はシロの容姿を吹聴していた勝平は、バツの悪い顔をして無口になった。
シロは、鳥小屋の外から覗き込む子供たちの姿に神経質になっていた。
三太も、他の者の言動に神経質になっていった。
見下されていたシロが勝った。
しかも、勝平の策略に打ち勝って・・・・。
シロの鼓動が、三太の脈と同期した。
三太の中で悦びが噴き上がった。
だが、表情は逆に険しくなった。
早くも囲いのむしろをたたみ始めた喜好の脇を通って、勝平とその兄が引き上げようとしていた。
二人の背中に、怒気がべっとりと纏わりついている。
負けた黒チャボに非があったわけではない。
まともに勝負させたら、シロが勝てたかどうかわからないと三太は思っている。
そのことを、勝平兄弟は分かっていない。
シロの前で敗走の気配を見せた黒チャボの惨めさは、人間の惨めさだ。
そのことが、三太の心に拭えない恐怖をもたらした。
勝平と兄が、このまま引き下がるとは考えられない。
事実、返り血を浴びたシロを、あいつのほうが負けたと周囲に訴えた。
子供たちの動きを確かめに来た旦那の「勝負あった」の声がなかったら、強引に言い張ったかもしれない。
見ていた者は、誰も信じないとしても・・・・。
「おお、三太のチャボ強いなあ」
子供たちは、口々にシロを褒めたたえた。
誇らしさとともに、以前いじめに立ち向かった時とは異なる陰鬱な気分を味わっていた。
三太は、チャボのシロが戦いに勝ったことを、沼畦に住む老人に報告に行った。
初夏の太陽が、ようやく傾き始める時刻だった。
老人は朝早く近隣の村々へ屑鉄類の回収に出かけて、帰るのはおおむね夕方になることが多かった。
三太は、この日も老人の帰宅時間を予想して立ち寄った。
すると老人は、バラック小屋の軒下で回収してきた廃品の整理をしていた。
「李さん。李さんにもらったヒヨコが、きのう闘鶏で勝ったんだよ」
「ヒェッ、闘鶏だって?」
「うん、シロも雄鶏になって、もう一年過ぎたからね」
「ヒェーヒェー、びっくり、ノルラッソヨ。あんたら子供が闘鶏だって?」
李さんの関心は、三太とは別のところにあった。
「うん、それで李さんに聞いてもらいたいことが・・・・」
三太はチャボ同士を戦わせることになったいきさつを話し、相手の兄弟が恨みを持ったらしいこと、どんな仕返しをされるか不安なことなどを伝えた。
「そうよなあ。三太のアッパは立派な人だから、相談するがいいよ」
父親に相談しろというのだ。
「俺は、やだ・・・・」親に心配はかけられない、そういう気持ちを伝えた。
「それなら自分、曲げるなよ。ケンカになっても、手を出す、いかんよ。正しいこと、強い。逃げないこと、強い」
李さんの言葉を聞きながら、三太はシロの怯まない目を思い出していた。
飛び上がって蹴り合いをしたあと、シロはちゃんと元の位置に降り立った。
一寸も下がることなく、かと言って不規則に前方へ突っ込むこともなかった。
相手が敗走した時も、シロは追い討ちをかけることをしなかった。
三太の父親は、鉄道員として東京管区で助役を勤めていたが、3月10日の大空襲前に辞め、家族全員を引き連れてこの地に疎開してきた。
住まいは親戚の蚕小屋を借りて雨露を凌いだが、食料は思うように調達できなかった。
そこで沼に生息する鮒やウナギや雷魚に目を付け、にわか川漁師になった。
田舟を借りたり、仕掛けを作ったりする際に、父親は李さんの助言をもらったらしい。
「アッパは偉いのに、偏見もなくワタシのいうこと聞いた。苦労はお互いだ。だから心を見せること、できる」
三太は幼い頃、父親が採ってきたザリガニや貝で命をながらえた。
田舎では雷魚でさえあまり利用していなかったから、好きなだけ捕獲できた。
沼で漁れるものは、すべて泥臭いと軽視されていたが、父親は生簀に幾日か置いて泥を吐かせ、料理法にも工夫していた。
シジミ、どじょう、からす貝、イナゴ、赤ガエル、なんでも食料だ。
ザリガニや雷魚は、三太にとってのご馳走だった。
父親が地元の農協に就職して、川漁師的な生活からは遠ざかった。
それまでの間、李さんと父親はいろいろなことを教え合ったという。
「チャボは、喧嘩の鳥ではないよ。あのイロヌケが、強くなるとはノルラッソヨ」
三太が帰りかけると、李さんは「チャボかあんたか、どっちが似たんだろうな」と笑った。
日に焼けたしわくちゃだらけの顔が破れて、口元から白い歯がニイっと覗いた。
三太はその瞬間、シロのことを誇らしく思った。
シロと自分は一心同体なんだと、これまでにない自信がみなぎってきた。
(おわり)
決着がついたところから、そこに至る心の葛藤がもつれた糸をほどくように解き明かされていき・・・・
ついには都会から引き揚げてきたよそ者としての一家の様子が描かれて時代背景が視えてくる。
上手いですねー
短編小説のお手本のような切れ味です。
大いに楽しませていただきました!!!
久しぶりに本腰を入れて短編小説に取り組んだので、いつもより時間がかかりました。
気楽にアップして、あとから修正するスタイルでやってきましたが、最近いろいろな名作を読んで、推敲の大切さに気づきました。
とくに屋台骨であるプロットは、あとからではなかなか直せないので、ない知恵を総動員してがんばりました。
というわけで、本当に嬉しかったです。
ありがとうございました。