
信州路寄り道ドライブ(1)<嬬恋~菅平~須坂>
先日、お天気に誘われて、まだ一度も行ったことのない野沢温泉までクルマで乗り出すことにした。
季節は初秋だが、まだまだ太陽は壮んで、差し込む紫外線に腕をジリジリと焼かれてのドライブとなった。
北軽井沢方面からは、嬬恋村の大笹に出るのが早道で、そこから国道144号を西へ走り、県境の鳥居峠を越えて菅平口をめざすのである。
群馬側の緩やかな登りに比べ、長野側は急坂のカーブが多い。このあたり六文銭で知られた真田藩の領地だったのか、地名にその痕跡が残っている。
猿飛佐助や霧隠才蔵が、この山深い里で修行したり、間道を通って暗躍したりしていたのだろうか。
詳しくないので勝手な想像だが、このまま上田方面へ向かえば穀倉地帯の真田町が広がっているのだから、まんざら見当違いでもないか。
ともあれ菅平口で144号とおさらばし、鋭角に国道406号へ右折して、スキーやスポーツ合宿で有名な菅平高原へ向かう。
きょうの目的地は遥か先なので、いい空気だけ戴いて通過する。
「おいおい、おまえは空気を汚すだけかい?」
内心、首をすくめてスルーする。
片側二車線の快適な下り。同じ急坂、カーブの連続でも、先刻の鳥居峠越えとはスケールが違う。大笹街道は、信州と江戸を結ぶ要衝路とされているゆえんが実感できる。
途中いくつもの集落を過ぎて、なにやら物々しい街に入ったところが須坂市だった。
どういったらいいのか、道沿いの建物がみな立派で、蔵あり商家あり、江戸期のセットを見るような不思議さに、ハンドル持つ手がおろそかになった。
「へえ、こんな街があったのかい・・・・」
とりあえず、デジカメの出番となった。
須坂藩という名は聞いたことがあるが、詳しいことはまったく知らない。しかし、この町は信州における政治・経済・宗教の大動脈の役割を担っていたのだろう。
大きな土蔵の写真を撮って、この町のかつての繁栄を想像する。
現在も商売を営んでいるらしい問屋、店舗をみながら、生活の場面ではけっこう肩肘張っているのかななどと余計な心配をするのだった。
(つづく)
窪庭さんの写真のアングルがその美しさを見事に切り取っているからなのでしょうが、ここまで来ると一種の前衛ともいえますね。
今川崎市で機械工作の技術士として頑張っている私の甥は若いころ、金型技術の先達である父親に命じられ機械工作の職人的技術を身につけるため須坂市の機械工作の現場に数年間修行にやられていました。
たまに会うと何かの折に、「須坂」で身に付けたことが今の自分を支えている、と漏らします。
須坂というところには精密機械の技術が根付いているようです。
この土蔵の直線の美には、近代になって入ってきた精密機械の合理的美しさと重なる何かが秘められているのかもしれません。
そんなことまで感じさせる素晴らしい写真でした。
知恵熱おやじ
土蔵の直線美を、近代の合理的美しさと重ねて受け止める感覚にびっくりしました。
甥御さんの修行の場が須坂だったとは・・・・。
通りすがりの目では発見できない緻密さの一端が、よく理解できました。
今度行ったときには、『歴史的建物園』ほか、この街のことをじっくり見て回りたいと思います。
だったら、楽しみが増しますね。
山越え野を走り、都会から見たら秘境の地を快適にドライブする筆者の姿が浮かび上がります。
心の浄化にはもってこいでしょう。
「須坂」なんて、どこかで聞いた気がしますが、そうですか、江戸期の面影を濃厚に残しているようで、行ってみたくなります。
しかも、知恵熱さんがおっしゃるように精密機械で知られた地区だったとは!
あと、注文をつけさせてもらうと、窪庭流の小説のように人間臭さが道中の挿話としてあれば、もっと惹きつけられるかも。
それでもあと二、三回つづきますので、どうぞよろしく。コメントありがとうございました。