どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

煙火茫々(4) 最終回

2008-09-19 00:06:52 | 短編小説

 芳夫には、庄さんのほかにもう一人気になる存在があった。
 前年の秋、集会所の空き地に小屋掛けしたサオリヨウコ一座の開演を待っていたとき、村人の注視を浴びた中年女のことである。
 芳夫がそれと気づいたのは、筵を敷き詰めた客席の後方で早々と集まり始めていた村人たちがざわめきだしたからである。
 ふと視線を向けたダンダラ幕の切れ目に、女は白っぽい浴衣をはだけて茫と立ちすくんでいた。
「あれは、お志麻じゃねえかい?」
「んだ、めったに姿を見せたことねえのに、芝居に釣られて顔出したかや・・・・」
「いつになっても、忘れらんねぇと見えるなあ」
「可哀想に。・・・・地方回りの芝居が来ると、確かめなくっちゃいられねえんだっぺ」
 女たちのおしゃべりが、芳夫の耳にも届いた。
 なんでも娘盛りの頃、村で二晩の公演を張った地方回り一座の若衆に入れ揚げ、あとを追って半月余りも家出していたのだという。
 聞くともなく聞いていると、女たちは子供が近くに居ることなど頓着せずに、あからさまな声色を使って役者とお志麻のやり取りを騒ぎ立てた。
「松右衛門に連れ戻されるとき、お志麻は死ぬゥ死ぬゥと小屋の柱にしがみついたんだとよ」
 どういうわけか、シヌーシヌーというところで嬌声が沸き起こった。
 親の決めた男と強引に結婚させられたお志麻は、一年も経たないうちに気が狂って、五里ほど離れた嫁ぎ先から送り返されてきた。
 芳夫たちが疎開してくる前のことで、その後この地に居ついてから何度か乱れた着物姿で徘徊するお志麻の噂を耳にしたが、芳夫が直接その目で見たのは初めてのことだった。
 お志麻は、松右衛門の長女とのことで、普段は集落の中心部にある屋敷の離れに軟禁されているらしかった。
 竹薮に囲まれて、中の様子を窺い知ることは難しかったが、松右衛門にとっては唯一思い通りにならない弱みを抱えて、日々頭を悩ませていたのかもしれない。
 戦争で一時中断していた旅芝居が復活し、久々に地方回り一座がやってきたことが、お志麻の胸に火を点けた。
 娘時代に起こした駆け落ち騒動と、目の前のサオリヨウコ一座の間には何の関わりもないのだが、お志麻の已むにやまれぬ恋慕の情を掻きたてたことは想像に難くない。
 一度知ったら忘れることの出来ない魅惑の想い出が、お志麻の脳裏にちらついたのだろうか。
 夜の帳を煌々とめくり返した役者の所作が、陶酔のときを甦らせる。・・・・だが、お志麻は二度と旅芝居を見せてはもらえない。
 情を通じ、引き裂かれた若衆が、もしや目の前に現われやしないかと、胸の鼓動を高鳴らせて木戸口のダンダラ幕に張り付いているのだ。
 ひとしきり村人たちの好奇の視線に曝された後、お志麻は松右衛門の使用人に連れ戻されていった。
「お志麻さん、サオリヨウコは女座長だかんね・・・・」
 前の一座の花形は徴兵されて、翌年には解散してしまったから、いくら待ってもここへは来ねえんだよ。
 父と母の会話の通り、使用人はそんな風に説得したのかどうか。
 芳夫は幕の横から縋るように前方を見つめていた女の目つきを思い出したが、狂った女と噂されるほどの恐ろしさを感じなかった。
 庄さんにしろ、お志麻にしろ、自分に忠実に生きようとする者は、なんとなく周囲から弾かれて寄る辺ない境遇に漂うしかないのだと、子供心にぼんやりと悟った気分になっていた。

 盆綱を仕切り、綱火に魂を抜かれた年の冬に、もう一つ大変な出来事が芳夫を待っていた。
 暮れも押し詰まった十二月末、寝静まった集落に半鐘が鳴り響いた。
 ジャン、ジャン、ジャンと息もつかせぬ勢いの早鐘だった。
 芳夫は母に起こされ、ネルの寝巻きの上に綿入れを重ねて家の前の道に飛び出した。
 寒気に頬を叩かれて、目が覚める。
 集落の中心部に火の手が上がっている。
 激しく弾ける物音と共に、火の粉が舞い上がる。粒子の粗い黒煙の混じった火炎が、夜空を掃くように横に流れる。
「あれは、松右衛門のあたりじゃねえか」
 隣の家の主人が、大声で怒鳴った。
 ふんどし一丁の裸に、どてらを引っ掛けて出てきたらしい。
「んだな。仕度していってみべぇか」
 芳夫の父が答えた。
「すぐ行くべぇ」
 胸をはだけた姿の怪しさもかえりみず、隣の主人が駆け出した。
 父もあとを追った。芳夫も走った。
 芳夫たちの家から集落の中心部までは、約三百メートルの距離だ。
 途中街灯もなく、屋敷林が黒々と月明かりを遮っていたが、いつもはピタリと閉ざされている母屋の正面入口が半開きになり、すでに主が出動していったらしい。
 中から家人の気配がするのは、あとに続くつもりというより、事態の進展に備えて待機している様子だ。
 男衆は概ね消防団に関係していたから、火の見櫓に登った若者に限らず逸早く現場に駆けつけているのだろう。
 野次馬ではなく、目的をわきまえた出動であることが、残る家人の気配からも察しられるのだった。
 近づくと、火元はやはり松右衛門の屋敷で、黒板塀の内側に手押しの消防車が一台乗り付けられていて、そこからホースが奥へ向かって伸びている。
 防火用水の取水口が近くにあるのだろうが、それにしては放水に勢いがない。
 燃えているのは離れだったが、火の粉が降りかかる母屋の屋根を守るのが精一杯だった。
 風が舞うように立ち上がる。
 火炎が帯となって、のたうった。
 松右衛門の離れは、木組みだけを残してごうごうと炎を吹き出している。
 離れを囲っている孟宗竹の枝が、飛び火したようにパッと燃え上がる。チリチリと騒ぎ立てるのは、焦げた青竹から滲み出る油の燃える音だろうか。
 芳夫は熱せられた空気がときおり流れてくる母屋の庭先に立って、真っ赤に染まった東京の空を思いだしていた。

 あれは終戦の年の春先だったろうか。来る日も来る日も、西の空が紅く染まって異様な光景をつくり出していた。 
 暮れ切った後の夕焼けを不思議がっていると、縁側から同じように眺めていた父が呟くように声を発した。
「あのまま躊躇っていたら、今ごろ命はなかったな・・・・」
 父の言葉に、母は「だから、仕事のことなど気にしないで、とにかく逃げ出してきてよかったのよ」
 どうやら母が急かしに急かした疎開だったらしく、男と女の立場の違いが子供の目にもよく分かった。
 空襲警報を受けて、こんな田舎でも何度か防空壕に走りこんだ。
 サーチライトが雲間から現れるB29の編隊を追って、地上から数本激しく交錯する。
 われを忘れて見上げる芳夫に、防空壕から増幅した声が届く。
「ほら、早く隠れろ!」
 父の叱声を跡付けるように、上空で高射砲の乾いた音がした。
 悠然と飛び去る敵機を見届けることはできなかったが、砲弾がかなり低い位置で弾けることを芳夫は知っていた。
 花火よりも小さな爆裂が、夜空に幻燈風の穴を開けた。
「探照燈で見つけているのに、なんで高射砲が当たらんのかなあ」
 前に父が漏らした嘆きが耳に残っていた。
 幾晩も続いた不気味な火映も、いつしか止んで黒い空が広がっていた。
 その空の下に、どんな光景が横たわっていたのか、芳夫には想像することも出来なかった。
 火映そのもののことも、間もなく忘れた。
 話に聞いた空襲がいきなり立ち現れたのは、夜空を焦がして燃えさかる離れの炎が、ゴウと音たてて崩れ落ちたときだ。
 柱が外に傾ぎ、鳶口をもった男たちが黒い影となって飛びのいた。
 芳夫も後退りしたが、その瞬間母屋の陰から炎に向かって走り寄る者があった。
「お志麻! お志麻はみつからねぇか」
 遠巻きにする男たちの背後から、鋭い声がする。
 消防団といえども、すでに手のつけられない状況となっている。放水の数は増えたが、もはやなすすべもない。
「お志麻ぁ!」
 金切り声に、制止する男の声が重なる。
 羽交い絞めにされた松右衛門の女房が、その場にへたり込んだ。
 前方を見ていた若者の肩がピクリと動いた。刺子の頭巾に、手近の桶から水をかぶり、先刻退いたあたりまで前進する。
 透かし見るように腰を屈めるのは、お志麻の姿を確認しようというのか。
「逃げ遅れたのかよぉ」
「誰も見かけなかったのかい?」
 遠巻きにしていた野次馬が、口々にお志麻の名をささやく。
 失火したのか、それとも・・・・。
 疑念を底に沈めて、お志麻がたどった歳月を思い返す。
 松右衛門はともかく、実母の悲痛はいかばかりか。
 がんじがらめの因習に絡め取られてきた女が、なりふり構わず取り乱す痛ましさが目の前にあった。

 あの年は、ほんとうに様々のことがあった。夏から冬に至る半年間に、目の眩むような出来事が芳夫の前に放り投げられた。
 少年の理解を上回る規模と複雑さを備えていたからだろうか。
 それとも、矢継ぎ早の展開に少年が対応出来なかったのか。
 どちらにせよ、少年は出来事の意味を理解できないまま、丸ごと受け止め、ひたすら感受した。
 いつの日か、すべてが明らかになることを信じたが、成人していっそう目まぐるしい出来事が押し寄せてきて、あの日の記憶は記憶のままに遠ざけられた。
 やっとのこと、父母の法事が立ち止まる機会を与えてくれた。
 煙火の向こうに隠された出来事が、大人らしい顔付きを整えて浮かび上がってきた。
 茫々たる月日の霧が晴れて、少年の日の田園と、削られた山野の変貌が目の当たりにされた。
 お志麻さんの墓にも、線香を手向けることが出来た。
 ダリヤ、葵、グラジオラスなどが誰かの手で供えられていた。
 お志麻さんは、あの離れで、ふと正気に返るときがあったのだろうか。
 もしかしたら、囚われて飼われる惨めさにおさらばしたかったのかもしれない。
 浴衣の布を裂いて灯油を染み込ませ、火をつけて部屋中に撒き散らした。
 腰紐で足を縛り、手も括りつけた。
 火が障子を這い、襖を駆け上がった。天井を舐め、空気穴から屋根の暗闇にもぐりこんだ。
 藁や萱葺きとは違って、瓦の屋根が火の発見を遅らせた。
 充分に屋根裏を舐め尽した火舌が、粘土を突き崩して一気に夜空に躍り出た。
 すべては芳夫の見た白日夢だが、陰鬱な地方の因習を突き崩すのは火炎が一番ふさわしい気がする。
 盆綱も、綱火も、煙火が引き寄せる幻影だ。生きて100年、死んで100年、父も母もいずれ跡形もなく忘れ去られる。
 庄さんの親も、庄さんも、そしてお志麻さんも、旅芝居の若衆も、サオリヨウコ一座も、みんな芳夫の頭の中。
 芳夫が死ぬころには、覚えている人もほとんど居ないだろう。哀れと感じることではなく、いっそ爽快な想い出だ。
「その後、松右衛門の奥さんはどうしてるかな?」
「腰はまがってっけど、元気にしてるど」
「あんなことがあっても、へこたれないものかね・・・・」
「んだ、田舎の女はしぶといかんな」
 またもアハハと笑う姉を目の前にして、姉もまた充分に田舎に同化した女であることを確認させられる。
 やはり自分は、故郷から弾き出される運命だ。・・・・意識することで、父母への未練を断ち切れるかもしれないと思った。
 必要な時が来るまで、すべて煙火の向こうに戻しておいてやろうか。
「あんちゃんに会えなくて残念だけど、いつか会える日もあるよね?」
 芳夫は、長兄にもよろしく伝えておいてくれと月並みな挨拶を残して、ひとり自家用車に乗り込んだ。
 近くのインターから常磐自動車道に乗ろうかとも考えたが、道に迷いそうな気がして思い直した。
 来たときと同じように運動公園の脇を通り、林を抜け、橋を渡り、干拓地に出来た新興住宅街を感慨深く見納めた。
(当分、来ることはあるまい)
 そう言い聞かせた途端に、バックミラーに映る風景がみるみる遠ざかっていった。

     (終わり) 
 


コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 煙火茫々(3) | トップ | どうぶつ・ティータイム(61) »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
小説の面白さはやはり人間描写ですね (知恵熱おやじ)
2008-09-20 01:15:06
最終回に至ってやっと登場してきた松右衛門の長女「お志麻」。

やはり小説の面白さは、どれほど巧みに描かれたとしても風景描写ではなく人間の業を背負ったような登場人物の行動の描写ですね。
お志麻さんの止むに止まれぬ男への想いと、村人たちや松右衛門の視線の痛さに抗い屈折したであろう姿に、強く惹きつけられながら読ませていただきました。

出来ればもっと前の回にお志麻さんが登場していたら、と少し残念でもありましたが。
そうすれば土地に縛られて仕方なしに自分を押し殺して暮らしている村人の本心を代弁するように、一気に好きな役者と跳んだお志麻という女性の強さ脆さの魅力に迫れたかもしれません。

ともあれ4回の連載、ご苦労様でした。
筆力にはいつも感服しています。

またぜひ窪庭さんらしい新しい小説を楽しみにお待ちしています。
知恵熱おやじ
返信する
音楽に喩えれば (丑の戯言)
2008-09-21 22:14:03
この最終章、音楽に喩えると、オーケストラの管楽器と打楽器が高らかに共鳴して、聴く者を妙なる世界に引きずり込むような。

業のある不思議な女が出現したかと思うと、本家の火災。その物語上の動きには、テンポの速い名曲を聴くようでした。

この小説は、しかもバロックの通奏低音のごとく日本の素朴な村落に生きる人たちとその風習が流れていて、読み応え、聴き応えがありました。
返信する
ひとり言ですが。 (窪庭忠男)
2008-09-22 15:08:27
(知恵熱おやじ様)
(丑の戯言様)

いつも、あたたかい目でご批評いただき感謝しております。
書き終わって次に向かう前に、一瞬立ち止まる場を与えていただけること大変うれしく思います。
いただいたコメントを参考に、書き直したりしているんですよ。
前作『見返り美猫』なんかも、いずれ、なんとかしたいと・・・・。
ブログだから、発表しちゃったらハイそれまでよってことないですよね。
あれこれ、たくさんのご指摘待ってます。
返信する

コメントを投稿

短編小説」カテゴリの最新記事