暮れなずむ刻、心地よいエンジンの音を響かせながら峠を越え我が故郷に向かう。久しぶりの帰郷で懐かしい山々は温かく迎えてくれる。いつものことながら帰郷するときの心の高揚感(親が元気なればなおさらだが、、、)なんとも言えない。ところが、やがて家々が点在する里近くになると飛び込んでくる光景に心が一変する。<o:p></o:p>
「おや!」いつのも懐かしい光景ではない。そこには、かつて田毎の月などと言って愛でた可愛い田んぼの数々も、小魚を釣った川も、ドジョウを掬ったせせらぎの淀みもみんな潰され区画整理された広々とした水田が広がっているではないか。<o:p></o:p>
翌朝あらためて田畑を見に行くと水浴びをして楽しんだ堰も小さな川のせせらぎもなく大小様々なU字溝で作られた直線的な人口の水路が治水と排水だけを目的にして無機質に流れていた。当然のことながら小魚の影はない。ウグイやフナの産卵するような場所は見当たらない。タニシやエビたちが棲む淀みもない。<o:p></o:p>
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これは阿武隈山地の分水嶺近くの我が故郷、一寒村での数十年前の出来事である。山間の村にも大きな農業機械が活用されるようにと圃場の基盤整備事業で田畑が広げられたためである。今、実家に帰省してもあの思い出の田畑の光景はどこにも見当たらない。田舎といいども時代とともの変化し社会の要請に対応し、生産性を上げるために変革していかなければならないことは頭では理解していても、懐かしいあの光景が失われたのはやはり寂しいものである。郷里を中学生から離れたからなおそう思うのかもしれない。<o:p></o:p>
こんな心情を帰省して吐露し、共有してくれる人々も数少なくなった。行き交う里の大方はあの光景を知らないからやむを得ない。自然も人の世も生々流転、これが自然なのであろうが夢に出てくる里は、昔のままである。そんな夢を見た時は、今でも堪らなく帰省したくなるから不思議である。<o:p></o:p>