遠い遠い祖霊がお正月には、歳神様になって訪ねてくれるという。我が家ではその準備というほどの大げさなものでがないが神棚に榊を供え、米とお塩そしてお神酒を上げて迎えることとしている。今年も家族一同健康で新年を迎えることができる幸せに感謝しながらその準備をしよう。
新年には、歳神様にどうしても聞いてもらわなくてはならないことがある。困ったときの神頼みではないが、我が家の祖霊は聞いてくれる筈である。
さあ、飾り物など買いにでかけるとするか。
盆や正月を迎えるとき、沢山のお土産を抱えて帰省する人々の様子を空港やターミナル駅で報道するのがTVの定番となっている。今朝も喧噪のなかで放送していた。
そこには、久しぶりに帰省できる愉しみと同時に、お正月を迎え子たちの健やかな成長を親に見せる慶びが嘗て自分がしていたように看て取れる。
そうした懐かしい旅も父母が旅立ってからは、めっきり少なくなった。その代り、今では嘗て父母がしていた振る舞いをする立場である。子や孫たちを迎え、賑やかに新年を迎えたいものである。
以前にも記したが、狭山丘陵の松林は松くい虫が運ぶマツニノザイセンチュウに痛めつけられ年々減少し、多摩湖南湖畔の林は壊滅状態である。その影響か、わが街中の庭木の古木も枯れてしまったのも少なくない。
50年も前、分譲地に植えられたわが庭の松はその影響もなく目下のところあれこれ弄ばれているわりには元気である。
林を散策するたび黄葉した大木を眼にするのは淋しいものである。
今年は長期予報で暖冬とのことだったが、どうやら予想に反して寒波に襲われれている地方が少なくない。夜半の強風のプレゼントの後始末、落ち葉掃きを厳しい寒さの中で済ます。暖冬なのかな。
サツキ盆栽たちも、そんな寒さに耐えるべく余分な葉を黄葉させスリムな姿になってきた。そんな中、鉢にこぼれ種のビオラ、寒さにめげず綺麗に咲いている。透き通るようなその紫、なぜか懐かしさを感じさせる。
ボランティア活動は、参加することによって心をより豊かにしてくれる。毎日サンディーの身、大いに関わりたいと思っている。今日は防犯活動の一環として町内歳末パトロール最終日である。犯罪の少ない街ではあるが、最近の世相から大事な行事の一つとなっている。
今更、老体がという気もないではないが、若い方々との交流から元気をもらうという余徳もある。パトロールが終わって情報交換の場も、、。
我が家で2番目に大きい山茶花、紡錘形にしていたが、大きくなりすぎ自分では手入れできないことや花付きがイマイチなので、昨日天頂を止め、枝を思い切って切り詰め透かしてみた。 見た目には不恰好になってしまったが、陽の光をいっぱい浴びて来秋には蕾をたくさんつけてくれるだろう。
この木は、息子の753の祝いに健やかな成長を願って植えたものだが、転居したため、その後移植した我が家の記念樹の一つである。それにしても大きくなったものである。それもそのはずである40年余りたつのだから、、、。
庭の落葉樹の木々、すっかり葉を落とし明るくなった。ただ唯一芳香を放つ柏の葉だけは、木枯らしから身を守るかのように枯葉一枚落とさず頑張っている。
しかし、春になり新芽が動き出す頃、散り始めるのを見ると実は次への世代を守っているのだろう。そこに、代を途切れることなくつなぐ縁起物の木として植えられているのだろう。
この木は義父の庭に生えてたのを移植して20数年になるがこの期になると眺めては、我が家の代も、、、。
北国は大雪とのことだが、今日も快晴に恵まれ何か申し訳ないような気がする。日本晴れである。そんな陽の光の恩恵を受けてわがやの懸崖梅たち(8本)、今年もたくさんつけた蕾が目立つようになってきた。気が早いが春が待ち遠しい。
さてさて、春よりお正月を迎える準備が先か、サンデー毎日の身そろそろ取り掛かることとするか。そんな大げさなことではないが、、。