創立140年になる我が母校、来春の3月で廃校にされるという。火災にあって戦中・戦後の一時期、実家の空き家を使っていた想い出の母校がなくなるということは卒業生としても哀しい限りである。
小学生の頃は百数十名もいて賑やかであったが、現在は児童・生徒合わせて10名という。先生方の数の方が多いそうだ。 この規模でこれまで学校を維持してきたのは、全国的にも珍しい。これも「おらが学校」を守ろうという熱意がそうさせていたのだろう。しかし、時の流れで、、、。
創立140年になる我が母校、来春の3月で廃校にされるという。火災にあって戦中・戦後の一時期、実家の空き家を使っていた想い出の母校がなくなるということは卒業生としても哀しい限りである。
小学生の頃は百数十名もいて賑やかであったが、現在は児童・生徒合わせて10名という。先生方の数の方が多いそうだ。 この規模でこれまで学校を維持してきたのは、全国的にも珍しい。これも「おらが学校」を守ろうという熱意がそうさせていたのだろう。しかし、時の流れで、、、。
村に入るとポツリポツリと廃屋が、、今に始まったことではない。この度の帰省で改めてそれを実感する。田畑を耕し山林に頼って生業を営んでいた時代ははるか昔の話である。
コメの値段は、嘗ての四分の一、苦労して植林して育てた木材は、外材の値に押されて太刀打ちできず、荒れる山が多くなってきている。子たちは働き口を求め町に出て行ってしまう。 今頃になってふるさと創生等と言っている人々に猛省を促したいものである。
そうした中で甥っ子たちは、花卉栽培など創意工夫し踏ん張っていた。厳しい中でも愉しみながら頑張っている姿に救われる。
帰省したらあれもこれも訪れてみようと思ったが、二日間では体力の関係で不十分だった。それでも600㎞近く走破したことになる。久しぶりの帰省で感じたことを暫らく書いてみよう。12歳で郷里を離れて65年になるが、何かにつけて「思ひ出づる故郷」である。これは歳を重ねれば重ねるほど、そう思うのかもしれない。屋敷周りでも旅立った方々のなんと多いことか、、。
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さて今日は、町内の作品展の反省会に招かれている。作品展は、政ではないが皆でこれからも盛り上げるようにしたいものである。
二日間休みアクセス頂いた方々には失礼しました。
きれいに晴れわたった秋の空、百舌鳥の高鳴きがあちこちで聞かれるようになった。庭の一隅にあるセンリョウもいつの間にか、写真のように鮮やかな赤となる。嘗て訪れたセンリョウの名産地、波崎町の栽培農家もお正月にむけて忙しくなるだろうな。
昨日、OB会の一つK会の例会参加者名簿届く。年々参加者が少なくなり淋しい限りである。OB会の宿命か。数ではない、いかに旧交を温める会とするか幹事の一人として工夫しよう。
昨日は、町内の作品展のお手伝いした。会場づくりや展示を話し合ったりと現役の様にみんなで物を成し遂げる機会が少ないので貴重なひと時であり、愉しい時間であった。
今回は、十周年ということで本行事を始めるきっかけとなった牡丹の墨絵の出展を依頼したところ快く受けていただいたので展示することもできた。今日、明日と多くの方々に鑑賞してもらいたいものである。
昨日は、久しぶりにイオンモールに出かけ映画を見る。今、話題のふしぎな岬の物語である。沢山の賞を取ったということで出かけてみたが、期待したほどの作品ではなかった。それとも心動かす力が弱って来たのか。
まあ、シルバー料金1,100円で愉しめる映画鑑賞、時には出かけてその感性を磨くか。子供の頃体験したあのわくわく感は無理だろうが、、、。
さて、今日は町内の作品展の会場準備、出展作品もあるので手伝いに出かけよう。
庭の数少ない花の中で春はから次から次と咲かせているチェリーセージ、元気いっぱいである。本当に花期が長い孝行花である。赤と白とのツートンカラーの花を咲かせるホットリップスは、気温のせいか白花が多くなってきたようだ。影響しているのかもしれない。
花期が終わったら、来春たくさん花をつけるように思い切って切り詰めよう。
鉢で育てたミセバヤ天頂の方はイマイチだがきれいに開花してくれた。しかも葉が紅葉始めた。溶岩に植え付けた日高ミセバヤも色濃く咲いている。町内の作品展にウメモドキの添え物として飾ろうと思う。
さて、週末には作品展である。町会長として始めたこの催し、その後、歴代の役員の協力で今年で十周年になる。昨日始めるきっかけとなった墨絵の作品、再び出品をお願いしたところ快諾を得た。皆様に素晴らしい牡丹の絵愉しんでもらおう。
昨日の「語る会」会員の協力で実のある話し合いができ良かった。今回は、戦争というテーマで回顧談をしたのだが、あの悲惨な体験を語れば語るほど理不尽なことが、数多く出された。その一つに、沖縄戦で部下の兵士を多く戦死させたその責任を取り、自刃された軍人の父を持つ会員の話もあり、戦争というものの酷さを一同新たにした。
その後、日課のウォーキングに出かけ、沈む夕日を眺めながら、世の平和の有難味をしみじみと感じた。