昨日、故郷の実家を継ぐ90歳の兄から新米届く。有難いことである。
故郷の田んぼを思い出しながらいただくことにしよう。とは言っても子供のころ見たタニシやヒルなど住んでいた湿田は姿を消した。今は機械化されるにしたがって耕地は基盤整備され、むかしを偲ぶ光景はない。勿論ドジョウやフナを掬った曲がりくねった小川は姿を消し、直線的なU字構が無機質に延びているばかりである。ただ不思議なことに夢に出てくる田んぼは、整然と整えられた田ではなく畔の曲がりくねった昔の棚田のような風景である。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
、、、、、、、、、、
複雑な生い立ちの犀星は、このような詩を残したが、爺にとっては遠くにありても近くにありても思うものであり、温かく迎えてくれる故郷であり、帰るところなのである。昔の姿は幻となってしまったが、、、、、。