差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

心臓に悪い

2012年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 1 連日オリンピックの報道がなされているが、戦前の予想に反してわが国の選手達の初戦の成績が芳しくないのは残念である。中後半頑張って欲しいものである。

 ところでハラハラドキドキは心臓によくない。まして負けたときの悔しさは、、、。年のせいもあってか、あるいは性格上からの問題か分からないが競いごとに心の余裕をもって観られなくなった。従って、ライブでは観ない様にしている。

 テレビに集い合って視聴している場面があるが、あれなら耐えられるかな?


夏休み

2012年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

2 昨日は息子夫婦が孫たちを連れてくる。それぞれが林間学校での土産を持参して、午前中の活動を切り上げて駆けつけてくれたので、全員集ったのは午後三時過ぎであった。忙しい中有難う。

 八月には家族4人で富士登山に挑戦するという。家族行事を大切する息子夫婦を見て爺婆としては嬉しい限りである。


フジヤマのトビウオ

2012年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

1 オリンピックが華やかに開催された。テレビ観戦のため生活のリズムが狂わされたようだ。ところで子供の頃のロンドン大会にはいやな思い出がある。敗戦国日本は招待されず世界記録を次々と出した古橋や橋爪選手は参加されなかったことである。確か金メダル選手よりも1500メートルで1分近く差があったように記憶している。

 戦争に敗れ心が荒みがちなとき「フジヤマのトビウオ」と言われた彼らは国民に勇気を与えてくれたのである。今のなでしこジャパンどころの比ではない。次のヘルシンキ大会では選手としての盛りを過ぎ残念な結果となったが、電波状況が悪い中ラジオに噛り付いて聞いた懐かしい思う出がある。今夜もテレビ観戦といくか、、。


煩わしきセミの声

2012年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム

1_2 庭のサクラの木はセミたちの社交場、早朝よりミンミンゼミやニイニイゼミが競って鳴いている。数匹ならまだしも多く集まって一斉に鳴いていると暑さが倍加するようである。やがてクマゼミやツクツクボウシもやってきてるので暫し我慢の時だな。虫の音という訳にはいかない。

 夕刻になって林のほうからヒグラシの声を耳にするとほっとする。


殺生戒

2012年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

1jpgaaaa  このところの日課ならぬ早朝の仕事として嫌な事だが、ぶどう棚にやってくる黄金虫退治がある。多いときは十数匹になる。葉を食い荒らす害虫でも殺生は気分のいいものもない。さらに今朝は庭のテーブル下にアシナガバチの巣を発見、これも駆除する破目になった。殺生戒を知らないわけではないが、、。


つりしのぶ

2012年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム

1jpgddddd 夏の風物詩として親しまれているシノブ玉、これは40年も前に田舎の親父にもらったものである。眺めているだけで夏の暑さを忘れ涼しさを感じさせる。隠居暮らしをしていた祖父の軒先に吊るしてあった鉢かもしれない。3代にわたっての可愛がっていることになる。

 今年はセッコクランやフウランと寄せ植えした玉を4つほどつくってみた。鑑賞に耐えるのは何年後かな?


動画編集

2012年07月25日 | インポート

1jpgssss コンパクトカメラで撮った動画の編集、同僚に教わり理解した積もりだが再びやってみると上手くいかない。再び息子の教えを乞う。今日は孫や福島の兄の動画を編集し送ってあげよう。

 動画と言えば8ミリカメラを購入した頃を思い出す。月給の5倍ほどした機である。操作が面倒なダブルサイズのフィルムを使うのだが、間もなく安価なシングル8なるカメラが発売され悔やんだものである。あのカメラや映写機どこに行ったかな?


大暑も過ぎ

2012年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

1jpgaaaa_2 気象庁の天気予報も近頃あまり当てにならないことが多い。しかし、大暑も過ぎいよいよ本格的な酷暑の夏がやってくるかな?早朝涼しいうちに道路の清掃を日課としているが、修行僧の作務よろしく心が清清しくなる。ちょっとオーバーかな、、、。汗をかいての孫との朝風呂も今日でお終い。帰るという。さて、送っていくか。


夕涼み会

2012年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Dsc02202aaaa 梅雨明け宣言をしたと思ったら、このところの冷夏襲来?と思わせるような日々である。そんな中、集いでは夕涼み会を実施した。月に一度の行事で集う面々は賑やかな語らいと歌やゲームを楽しみ一時を過した。笹飾りの短冊の一枚に「頭も身体も心もいつまでも輝いている毎日でありますように」と記していた。我々老人には誰しもが願う言葉である。

 惜しむらくは参加者が偏り、今後一工夫しないとと反省する。


自助・共助・公助

2012年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

1jpgwww 東北大震災以降、自治会でも様々な対策を話し合われてきたが今日はその一環として班の集まりを実施することとした。果たしてどのくらい集ってくれるかな?「遠い親戚より近くの他人」と言われるようにいざというときは、やはり隣近所である。有効な話し合いが出来るようにしたいものである。先ずは自分での対策、次に隣近所での助け合い、最後に公での、、と言われている。