雨上がり外気温15度、久しぶりに暖房のいらない朝を迎える。庭に出てみると伽羅木の下では、早くもフクジュソウの芽がぽつぽつと頭を出していた。山野草コーナーに植えてあるエンレイソウの芽も昨夜の雨で表土を流されのぞかせている。
まるで今朝の陽気を敏感に感じてのことではないだろうが、彼らはこれから来る厳しい寒さの中でも来たるべき春に向けて着々と生の営みをしているのである。観ていて何故か勇気づけられるのである。
表土を流されたエンレイソウ(延齢草)には薄く土を掛けてやろう。
雨上がり外気温15度、久しぶりに暖房のいらない朝を迎える。庭に出てみると伽羅木の下では、早くもフクジュソウの芽がぽつぽつと頭を出していた。山野草コーナーに植えてあるエンレイソウの芽も昨夜の雨で表土を流されのぞかせている。
まるで今朝の陽気を敏感に感じてのことではないだろうが、彼らはこれから来る厳しい寒さの中でも来たるべき春に向けて着々と生の営みをしているのである。観ていて何故か勇気づけられるのである。
表土を流されたエンレイソウ(延齢草)には薄く土を掛けてやろう。
実家の兄から贈られたモミジ、玄関へのプロムナード傍に移植して40数年になる。場所が場所だけに大きくするわけにはいかない。春の芽吹き時に、ひと芽ひと芽を丁寧に摘んでこうした形にしているのである。伸び伸びと育てていれば今頃大木になっていただろうな、、、。紅葉する今頃は、アップしたように紅葉,黄葉、枯れ葉と入り交じって綺麗に染まることはないが、愛おしんで育てている木である。
今日は、57歳の若さで旅立った母の命日である。12歳での別れであったその日、この年になってもありありと脳裏に浮かぶ、母の愛をかみしめながら歩んできた我が人生である。
親孝行したい時には親はなし、、、。
幹の半分ほど枯れが入り昨年は一輪しか咲かなかったサツキ真如の月、今年は、丹精に面倒見た結果アップしたように蕾たくさんつけてくれた。
これほどつくとは思わなかった予想外、ざっと数えて30個あまり嬉しい限りである。綺麗に鑑賞するために少なからず摘蕾することとなりそうである。何しろ大輪なので花弁が重なるようではいけないので、、、、。これからは、芯喰い虫の発生に気をつけてせわしていこう。
ところで、長いことサツキを趣味にして愉しんでいるが何年たっても満足のいく成果を得られないままである。サツキ展などに訪れては、刺激を受けるのだが、、、。今年は特に薬害症状で少なからず木を傷めてしまった。来年こそは、、、、!!
長いこと可愛がっていた黒松枯死してしまったことは以前記したが、枯れ木になっても捨てがたいと言うことで2つに切り、セッコク蘭とオンシジュームを着生させてみた。そのオンシジュームが枯れ木に花をつけましょうと言うおとぎ話のように健気にも花をつけたのでアップしてみた。在りし日の黒松も、、、
実生のモミジ二年目。小さいながらも紅葉したのでアップしてみた。この木は、比較的早くから紅葉する木の根元で採った種なので親に似て紅葉が美しい。
盆栽仕立てでと早くも針金を掛けて曲げを作ったが、これから数年かがりで作っていこうと思案しているところである。木にとっては迷惑な話であろうが、愛おしんでいくからと我慢して貰うことにしている。こんな細やかのことにも慶びを見出すことが出来る。何年がかりかな、、、?
早朝散歩を暫くやめていたが、早暁の目覚めが早く勿体ないので再び今朝からはじめることにする。ぴりっとした寒さの中で心身とも目覚めさせてくれるので気分がいい。身体の奥深いところにそうさせる源があるのかも知れないな。体調を見極めながら暫く続けることとしよう。
ところで浮いた時間であるが、起きたけど寝るまで特に用はなし とならないようあれこれ手を出し動き回ろう。集いの広報誌編集のお手伝いをしたが間もなく届くとの連絡、会長よりある。
アップしたのは池の上に這わせたシダレモミジの紅葉である。朝日を浴びて朱が輝いているように見える。丸く刈り込んだドウダンツツジも朱く染まり始めている。
昨日は、近所のkさんから手作りのパンとケーキをたくさん頂く。いつも貰うばかりで恐縮至極!! 早速マシュマロのようなふわふわのケーキを味わう。
庭のそこここに種で生えた万両、艶のある朱に染まり始めたのでアップしてみた。
たくさん生えても邪魔にならず剪定を必要としない可愛い奴である。一方縁起物として同じ仲間の千両は、今年は全くの不作、花期に虫害でやられたのか致命的であった。
今頃なると赤い実は、小鳥たちへのプレゼントとなり年明け頃はすべて啄まれることとなるが、小鳥たちの消化管を通った実の方が、発芽率がいいという。朱い実となり小鳥たちを誘い発芽率を高める千両の戦略か、、、それとも小鳥たちの恩返しか、
日課の散歩(7,000歩目標)は、このところ紅葉狩りのようなものである。
あちらのモミジは、こちらはどうかと愉しみながら散歩となる。昨日は、風も強く舞う葉も少なくない。愛でながら、ふと良寛和尚の辞世の句といわれるこんな詩を想い出した。
裏を見せ 表を見せて 散るもみじ
このところ喪中の葉書が届く。そこで旅立たれたことを知ることも少なくない。中には、若くして旅立たれたとの知らせもある。世の不条理をつくづく想うのである。
門構えの藤の古木も枯れ葉を舞うときとなる。9月の剪定した時以来花芽が附きそうにもない徒長枝が繁茂してきたので今年最後の花芽をさせて整枝してみた。
古木の割には繁茂力が旺盛で場所が場所だけになんども剪定しなければならない樹であるが、開花期の花を観ると苦にならない可愛い奴で今年も見事に咲いてくれたので再びアップしてみる。
昨夜の氷雨で枝垂れ桜の枯れ葉はすべて散ってしまい、如何にも寒々とした姿を見せている。これから日に日に寒くなるので木々は目には見えねど寒さ対策を進めていくことだろう。針のような梢でも耐凍性の物質をつくるなどして、、、。
それらに相当なエネルギーを使うのだろうが、と同時に花芽を育てるのだからその頑張りにただただ敬服しながら温かい部屋から樹姿を観ている。
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昨日、娘夫婦がアメリカ旅行での土産を持ってきてくれた。今は、円安で海外旅行も大変なときである。1ドル80円時代もあったのが10年ほど前だったろうか。我国の地盤沈下も甚だしいな、、、。為政者の無策か!! これも寒々とした話である。