ブルーに続いて淡い薄紫の菖蒲も咲きだした。残るは黄花と思って探してみたが、その株が見当たらない。雑草と一緒に抜いてしまったのだろうか。そういうポカが多くなってきたか。
さて、今日はU様から昼食会へのお誘いを受ける。チビ孫たちも来るという。日頃の気遣いに感謝し、日頃の無沙汰を詫びつつ出かけることにするか。
ブルーに続いて淡い薄紫の菖蒲も咲きだした。残るは黄花と思って探してみたが、その株が見当たらない。雑草と一緒に抜いてしまったのだろうか。そういうポカが多くなってきたか。
さて、今日はU様から昼食会へのお誘いを受ける。チビ孫たちも来るという。日頃の気遣いに感謝し、日頃の無沙汰を詫びつつ出かけることにするか。
昨日は久しぶりの雨、乾いた庭はしっとりと濡れていて気持ちがいい。そんな時を待っていたかのように小さな一年生カエル多数が、池より這い出してきた。陽射しが強くならないうちに隠遁の術を発揮してよい棲みかを見つけてほしいものである。
そんな中、紫の花に続いて涼しげなショウブの大輪が咲きだした。
さて、今日は経営協力者会議で召集されて出かけなくてはならない。助言どころか学んでくることのみ多くなったのだが、、。
サツキ盆栽の棚下でイワタバコがひっそり咲いているのを見つけアップしてみた。わずか数日で萎えてしまう花だが、小さいながらも精一杯咲いているのが愛おしい。
ところでタバコの配給時代の話であるが、イワタバコという名がついているのでタバコの代用品になるのではと子供の頃思っていた。実際はイタドリや椿の葉を刻んでその代用にしたという。語る会での話。
暫らく愉しませてもらったサツキの花期もそろそろ終わりである。種子を作らせると木が弱ってしまうので花摘みをしなければならない。数があるのでぼちぼちはじめようか。アップした木は「松波」と言って郷里福島に多く、農家などの庭先などによく植えられている。
さて今日は、5人組恒例の集いがある。国分寺周辺を散策し往時の天平文化の香りでも味わうこととするか。国分寺史跡周辺など様変わりしているだろうな。
子供の頃、甘味料不足で甘さに飢えていた時代、甘茶の葉を乾燥させ湯を注ぎ飲んだものである。その甘茶が咲き始めたが、この花を見るとそんなことを想い出す。今では飲んでいる人などいないだろう。
語る会では、戦中戦後のあの混乱した時代は、物不足でも大変な苦労を強いられたことなど話し合っている。例えば甘味料不足では、サッカリンやズルチンなど、それが発癌物質だなどとつゆ知らずに代用したことなど話題になったばかりである。サッカリンの甘さは衝撃だった。
何種類かあるショウブの中で、待ち焦がれていた花が咲いてくれた。たった一輪だけど真っ先に咲いたものである。好きな色この紫は、なんとも穏やかな気分にさせるし、懐かしさも感じさせるのである。早朝のひと時、暫し愉しむ。間もなくブルーや霜降りの花も咲くだろう。
さて、このところ語る会での録音を聞きながら原稿に起こしているが、素人には思いの外時間がかかるものである。今日も頑張ろう!
日陰が恋しい季節になってきた。見晴らしが良かった庭の一隅が枝垂桜の葉に覆われ、まるで緑のカーテンを垂らしたようになった。その下で今朝もサツキの植え替えを2鉢ほど済ます。爽やかな風が通り朝食前の作業も捗る。
老体には強い陽射しには応えるので、ブドウ棚の下同様格好の作業場となり助かる。
アップしたサツキ「涼風」は、根上げして溶岩に根を絡ませ石付き仕立てで愉しもうと目下挑戦中の木である。5,6年もすれば一応の作品になることを夢見て、、、気の長い話である。
そろそろ花も終わり、サツキたちの植え替えで忙しくなる。まあ、時間はたっぷりある作業を愉しもう。
さて今日は、第九回「語る会」である。当時の戦争時のあの苦労話など話題にする予定である。昨今のきな臭い動きを、諸先輩はどう見ているだろうか。当に適宜な語らいになるのでは、、、。
贈答用に頂くアジサイの鉢、毎年庭に植えて7,8種になる。そうした木々は、園芸店で売られているようにはまだ咲かない。その中で、山野草として溶岩の塊に植え付けたミニアジサイ数センチの花だけど早くも咲きだした。小さいながらも律儀に毎年咲いてくれるのがいい。
しかし、園芸種は地植えにするからか鉢で売られたようには咲いてくれない。中には花芽すらつけないものもある。アジサイの季節、毎年同じような想いでむかえるのである。
郷里の差塩湿原では、今ごろ氷河期の遺存植物と言われるミツカシワの花も終わるころだろう。昔は考えられなかったが、今ではバスを連ねて見学者が来るという。今年もたくさんの人々に鑑賞されたことだろう。
この花が終わると間もなくアヤメやカワラナデシコなどが咲き乱れるのである。そんな光景も久しく見ていないな。 庭に咲いたカワラナデシコは、そんな懐かしい田舎の風景を想い出させるのである。