差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

老人力も

2011年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

Dsc01374 年度末にあたり目下広報誌の編集を楽しんでいる。原稿集めも、かつては原稿用紙に執筆されたものを不慣れなパソコンに入力し編集を進めたものであるが、今日ではUSBメモリーで届ける方やメールで原稿を添付される方も居られ、当方としては楽に編集することができるので助かる。

 かつて「コンピューターお婆ちゃん」という歌が流行ったが、我が老人会も遺憾なく今日的技術を学びその力を発揮しつつある。その内、投句もメールでということになるかな?


優しい仲間たち

2011年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Aaa 郷里がいわき市というこもあって仲間たちから電話やメール・手紙などでお見舞いを頂き恐縮している。有難い事である。実家は阿武隈山系の分水嶺に近くなので地震は大Aaaa丈夫だったが 、原発が心配である。早く落ち着いて欲しい。 近くの夏井川渓谷はヤシオツツジの群生地があり、開花期には例年のように地元の方々が楽しめるといいのだが、、。


馬酔木その2

2011年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

Zzz_23月2日にも記したが我が家の馬酔木、今満開である 。つぼみの時と違ってシロバナ馬酔木のように白くなる珍しい品種である。

磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなく ー万葉集ー

 過日、末の義妹Sが旅立った。小学校低学年の時、事情があって父が養女に迎えた児である。(父は三人の娘を養子にしそれぞれ嫁がせたが、その中の末っ子)兄弟会の旅や催しには積極的にリードし名幹事、何事にも全力投球する姿が偲ばれる。昨秋、娘の祝宴の席がお別れになろうとは、お別れ式には、この度の災害事情で出席できず田舎の兄弟たちにお願いした。合掌

                                 


納豆不足

2011年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Dsc01355 どこのストアも納豆は品切れ。健康食として毎日食べている者にとっては困ったことである。今日もあちこち駆けずり廻ってようやく購入した一品である。お一人様一品のみという。いつまで続くのだろう。    要領のいい人は再び並び直して買っていた。これって買占めじゃないかな。そんなことを思って納豆1パック手にして帰る。

 納豆と言えば母が自家用に作っていたのを思い出す。夜、大豆を茹で藁づつに入れて竈の隅にいれて置くのである。竈の余熱で納豆菌が活発に働き翌朝には食べられるのである。

 葱をたっぷり入れて食べるのである。すべて自家製、ご馳走の1つであった。


LPレコードの寄贈

2011年03月25日 | インポート

_aaaa     勤めから 帰宅すると玄関に昭和歌謡60年史のLPレコード20枚届いている。会員の方から老人会に寄贈するとのこと、早速御礼をし有難く頂くことにした。戦前の懐かしい「サーカスの歌」や「丘をこえて」などから昭和60年代の歌まで240曲収められている。鑑賞会の企画も考えなくては、、。

 われわれの世代はSPレコードに始まり、高価なLP盤と音楽鑑賞したものである。懐かしい歌をみんなで楽しもう。


義捐金

2011年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

_dsc0776_2 町内自治会でも、この度の災害について義捐金を送ることとなり我が家でもささやかではあるが協力した。報道を目にすると全国的な共同体意識が発揮され大きな力になっているという。実に心強い。当に頑張れ日本である。!!

  ややもすると今日の社会は、共同・連帯意識が希薄になったとか言われがちだが、このうねり見ると厳しい中にも光明を見ることが出来る。信じよう。


サークル発表会

2011年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

_dsc0788  こんな時期なので老人会のサークルの発表会中止しようかと考えたが、楽しみしておられる方もおり思案したが実施した。停電もなく皆楽しんでおられたので安心した。

 嬉しいことに町内のIさんは会員ではないのに「皆さんの会のために」とフラワーアレンジメントの作品を届けてくれ会場を賑やかにしてくれた。(写真)ありがたい事である。感謝申し上げたい。

 心配した余震もなく楽しい一時が何よりのご馳走、時節がら仰げば尊しの歌を合唱して散会する。


計画停電

2011年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

125318485711  計画停電その都度お知らせがあるが、わが町は市内で多くの地域が停電しても幸いに免れている。これまで1回のみである。今日もどうやら免れた。該当地域のことを考えると喜んでもいられない。

 また、戦後の話になるが停電はよくあった。その都度ランプをつけていたことを覚えている。ランプのほや磨きは子供の仕事である。それを怠ると暗い夜を迎えることとなり、父に叱られたものである。当時は停電になってもランプでこと足りたが、今日はそうは行かない。早く解決して欲しいものである。