♪ あまちゃ あげましょ ささげましょ
きょうは こどもの はなまつり
ちらちら れんげの 、、、、
山アジサイの一種 甘茶が他のアジサイに魁けて咲き出したのでアップしてみた。お釈迦様の誕生をお祝いする花祭りでは、この葉を煎じて作られる甘茶は欠かせないという。この花を見ると、小さなお釈迦様の立像に甘茶をかける絵本とあの懐かしい歌を想い出す。こどもの頃、実際に体験したわけではないが、本やラジオから流れる歌声が脳裏に焼き付いているのである。「天上天下唯我独尊」という言葉とともに、、、
♪ あまちゃ あげましょ ささげましょ
きょうは こどもの はなまつり
ちらちら れんげの 、、、、
山アジサイの一種 甘茶が他のアジサイに魁けて咲き出したのでアップしてみた。お釈迦様の誕生をお祝いする花祭りでは、この葉を煎じて作られる甘茶は欠かせないという。この花を見ると、小さなお釈迦様の立像に甘茶をかける絵本とあの懐かしい歌を想い出す。こどもの頃、実際に体験したわけではないが、本やラジオから流れる歌声が脳裏に焼き付いているのである。「天上天下唯我独尊」という言葉とともに、、、
我が家のサツキたちも早咲きの品種は、既に散ってしまった。今日アップしたには比較的に遅咲きの「一生の春」に近い種(?)である。この木は、いろいろ咲き分けるのが特徴である。主だった花柄を載せてみたが、一つ一つよく観ると微妙に花柄が異なるのである。
ところでサツキのカタログなどみると、系統が「華宝」の枝変わりとか「山彦」と「寿光」の交配種とかの表示されている。今やサツキの品種は、自然に枝分かれして出来た木より人工的に交配して創られた物が遙かに多いこともあって何千種とあるという。一時あれもこれもと追い求めたこともあったが、そういう気持はすっかり萎えてきた。これも、歳のせいであろうと「一生の春」に語りかけるのである。
水捌けがよく日当たりのいい法地に植えてある梅たち今年もたくさんの実をつけ育てている。あと一週間もすれば収穫出来るだろうか。例年予約をされている近所の方々から育ち具合を眺めては「梅もぎ日」の催促がある。その期待に応えるべくしっかり実を太らせてからお知らせしよう。
ところで梅の実は、雨を好みたっぷりと水分を吸収し、陽の光を浴びて育つという誠にこの季節の特徴を利用しているのである。このところの雨と晴れ間は、梅の実達も歓んでいることだろう。入梅とか梅雨というのも頷ける。
赤松の新芽が勢いよく伸び始めている。そろそろ芽摘みをするシーズンとなる。ところで、同じ赤松でも芽吹きの様子は樹勢によってかなり違うのである。アップしたのは、池の中之島に植えてある木と生け垣そばに植えてある5本松である。
池の方の木は、弱々しい新芽で一方は10㎝以上もあろうかという元気いっぱいのようすである。その差は、昨年の芽摘みの仕方にも原因があるのだが、強く切り詰めると池の方のような芽生えになる。これも素人が試行錯誤して学んだことではあるが、弱々しい新芽を見て反省しきりである。樹勢をよく見て丁寧に摘んでいこうか。
今朝は、土砂降りの風雨で目を覚ます。雨戸を開けると窓際のブドウ棚では、開花したばかりの可憐な花が雨に濡れて痛々しく見える。受粉に影響しないか心配である。もっとも葡萄の花は、自家受粉すると云うから大丈夫か、、、
ところでブドウの花言葉には、酔狂と忘却というのがあるそうだ。酔狂は分かるにしても忘却、、、、? 酔い潰れて何もかも忘れさせてくれるからという。花言葉を名付ける方々には敬服!!
玄関へのプロムナードの一角にカルミア(アメリカシャクナゲ)を植えている。移植してから花付きが悪く諦めていたが、今年はどうしたことはすべての枝に金平糖のような蕾をつき開き始めたのでアップしてみた。微かにジャスミンのような香りを放つ白い花である。
ところで、この蕾で想い出すが、瓶に詰められ売られていた懐かしいあの金平糖今でもあるのだろうか。子どもの頃お土産として手にした慶びを今でも想い出す。ラッパのようなあの透明な瓶と共に、、、、。甘い物不足の時代だったことも!!
サツキたちは次々と咲き始めている。アップしたのは晃山という品種である。株立ち造りして数十年経つ。今や我が家の鉢物では古参の仲間入りのものだが、毎年たくさんの蕾をつけ元気いっぱいである。鴇色の花の中で紅色が蕾にチラホラあるところを見ると晃山でも多種系が混じっているかも知れない。
さて、昨日甥からの兄の容態が芳しくないとのメール届く、、、。 今こうして花を愛でていても、何れどなた様かサツキ愛好家へバトンタッチを考えなければならないとの想いが強くなってきたこの頃である。
早暁、ホトトギスのけたたましい鳴き声で目覚める。しばらくはBSのニュースなど見ていたが、天気がいいので5時前に起床しICレコーダーを持って向いの都の里山公園に出かける。ちょっとしたいたずらを試みるためである。
早朝は、野鳥たちも競ってその美声を誇らしげに披露している。今はウグイスの鳴く音がおおい。そこで彼らの美声を断り無く録音し聞かせるためである。それを再生すると仲間がテリトリーに侵入してきたかとレコーダー周辺に近づき鳴くのである。その姿を撮ろうと試みたが葉陰に隠れて動きが速く失敗に終わる。朝飯前の暇人のたわいもない遊びである。
メダカ池脇の中池には、ヘラオモダカやミニ睡蓮など湿性植物を植えている。早くもそれぞれ花を付け始めたが、今朝はヘラオモダカの白い花をアップしてみた。純白で飾り気のない花であるが、爺にとっては懐かしい花である。というのは父母たちが大鎌で牧草を刈っていた湿地に生えていた植物だからである。
ところで、その地は今では「差塩湿原」と名がつけられ観光資源となっている。だが、当時は2万年前の氷河期に出来た低層湿原(海抜500M)で貴重な植物が生えているなどと知られていなかった。氷河期生き残りの植物といわれるミツガシワ(子どもの頃は、牛馬も食べないので毒草といっていた)が開花するころには大勢の人々が訪れるという。いわき市の天然記念物に指定されている。
子どもの頃よく食べたサルナシ(郷里ではコクワといっていた)の花が満開である。晩秋初霜の降りる頃、この実は熟れて柔らかくなり甘い山の幸となりよく食べたものである。
そうした懐かしい想い出をということもあって、サルナシを鉢植えや庭のあちこちに植えている。アップしたのは裏庭のフェンス際の木である。昨年より花付きもいい。いつものことながら、眺めては朋と誘いあって山に分け入った遠い昔を想い出す。
その朋も、一人また一人と旅立ってしまった。この歳になるとそれも宿命と彼らを偲ぶのである。野山を駆け巡った朋の姿を、、、。ちとセンチになってしまったか。