差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

朝飯前

2011年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

1_2  午後老人会の「秋を愛でる会」を予定しているので早朝、涼しいうちにと思って前から気になっていた藤の剪定に朝飯前に取り掛かる。しかし、予想外に繁茂し時間が掛かり「朝飯前の仕事」ではなかったが、さっぱりした木を見て満足する。

  話は変わるが子供も頃、親の朝飯前の仕事する姿を見て「朝飯前」と言う言葉が、本来の意に反して寸暇を惜しんで働くというイメージを持っていた。

 さあ、会場を飾るススキの穂でも採りに行くこととしようか。

 


朝顔も

2011年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

1 今朝の外の気温は16度、涼しさを越して寒さを感じるようになった。春、この気温では温かさを知る陽気であろうが、酷暑の夏をたっぷり体験した身体がそうさせるのであろう。朝顔たちも急いで種の保存に取り組んでいる。中には大きく咲けず筆リンドウのような花をつけたのもある。なんともイジラシイ、、。

 広報誌完成し会員に届ける。投稿に感謝。

 


人災

2011年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

1  過日 、わが散歩道の天災について記したが、人災もある。如何なる理由で7~80年生きてきた古木をかくも無残な姿を晒すようにしたのか私には判らない。こんな無謀な剪定すれば枯れることが素人目にもわかろうに、、、。

 見事に紅葉するモミジであったし綺麗に咲いた山桜であった。もう見られない。通るたびに腹が立つ。


たった一輪の彼岸花

2011年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

1 庭の雑草が繁茂し見苦しいので草むしり(方言かな)をする。風鈴仏桑華の鉢を動かすとその陰で彼岸花が一輪咲いていた。この花は実をつけないというから球根で殖えると言う。昨年も一輪、今年も一輪(?)日高の巾着田のようにはならないな。もっとも狭い庭、そうなっても困るが、、。


台風の爪痕

2011年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

1 過日の台風は多くの災害をもたらしたが、わが散歩道でも根こそぎ倒された大木があちこちで見られる。この地に移り住んで30年半ばになるが、こんな風景を見るのは始めてである。   60年、70年とそこで生長してきた木が一瞬にして無残な姿にされているのを目の当たりにして、  天災の恐ろしさを改めて思い知らされた感がする。


見知らず柿

2011年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

Dsc00333 福島の会津地方には、柿の仲間で実を木が折れるほどたくさんつける「見知らず柿」と言う品種がある。我が家の柿も数本の枝だけだが、ご覧のように沢山実を付けた。でも枝がしなり折れそうなので添え木をして支えている。当に身の程知らずである。(甘柿で品種名は不明) 先日の台風で落果したのは無駄にせず干し柿にした。これから柿色になるころヒヨドリのパトロールが始まるので油断できない。

 それにしても近頃の農家では、柿の恵を野鳥などに提供し、収穫しない家が多いように思う。昔では考えられない風景である。食生活が豊かになったからであろうか。


電送写真

2011年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Sany0084  子供の頃は空想の世界でしかなったことが、日常的に利用しているものが数限りなくある。メールもその1つである。小学生の頃、外国で起きた事件などの写真がまもなく新聞などに載るのが不思議で仕方がなかった。「電送写真だよ」といわれても、、。電送写真なる言葉も今では死語かな。

 写真は義弟のうちのサッシで何時間も行儀よくしているアマガエルである。じっと見ていると、物悲しげに考え事をしているようでもあり、こちらの心が読まれているようでもあり、孤独を楽しんでいるようでもありで絵になっている。弟にコンパクトカメラで撮って貰いメール(電送写真)で送ってもらった。皆さんはじっと見てどう感じますか?


広報誌の編集

2011年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo  広報誌のことだが、会員から募った貴重な原稿、ようやくパソコンに打ち込み終わる。今回は市の課長さんに依頼した文も載せることができたし、詩の初投稿もありと多彩なものになると思う。書記のKさんに校正を依頼したので済み次第印刷にまわそうと思う。

 それにしてもパソコンの長時間利用は年寄りには健康的ではないという。過日、目の調子がおかしいので医者に行くと「長時間のパソコンの利用は目に悪いですよ」と言われた。気をつけようっと。

 写真は苦労して作成した広報誌の標題です。


墓参

2011年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

1 富津市に墓参に出かける。義兄弟たちも皆元気に集うことが出来先祖様たちも慶んでくれたことと思う。ところで今日は、どうしたことか往きも帰りも道路が混雑していて普段の倍もかかってしまった。島の旧家の長男である友人が、お墓を子や孫たちのため移そうかと真剣に語っていたが「仏様が遠路で眠っていると墓参も容易ではない」という彼の気持ち、実感として、、。こんなこと記すのは仏様に失礼かな。


よる年波の かさなりて

2011年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夕は、2年ぶりに「よる年波のかさなりていつしかこうべのしも白く」になった5人の寮生仲間で酒宴をあげる。互いの健康のこと、家族の近況、参加できなかった友の動静など語り合い旧交を温めあった。天衣無縫の青年も、武勇伝の数々を披瀝していた若者も会う度にみんな好々爺になってくる。とりわけ、孫の話などでは、、。

 連れ合いを見送って一人暮らしをしている友二人の話には「そうか。もう君はもういないのか」を書いた篠山三郎のエッセイそのものであった。しんみりと聞き励まし、これもまた人生と自らに言い聞かせつつ帰路に就く。