差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

秀麗な白山

2009年11月30日 | 旅行記

044  能登より北陸道を車で南下すると左方に雄大・秀麗な白山が見えた。八合目くらいまで雪を纏っていたが実に美しい山である。その姿からして古より加賀・越前・美濃の国の人々に畏敬の念であがめられてきたことが頷ける。

 一時を通り過ぎる旅人であっても、その美しい白山を眺望すると、そこに山岳信仰(白山信仰)が生まれる必然性が理解できる。ましてこの地の人々にとっては尚のことであろう。そんなことを考えながらレンタカーを走らせ山代温泉郷へと向う。写真は那谷寺、白山山麓にある白山信仰と関わりがある寺として有名。


庭園の美

2009年11月28日 | 旅行記

022 兼六園を、この季に尋ねるのは初めてである。庭園の見事な松などには、ご覧のような雪つりをしていた。大小の枝1本1本に縄をかけられているその様は、技の芸術品とも言える。加賀地方の重い雪から樹木を守るために伝えられた文化、そしてそれらを引き継ぐ庭師の意気込みに感謝したい。

 外国の方も大勢来ていたが、わが国の庭園の美をどのくらい理解できているのであろうか。特に、幾何学模様を主とした庭園の多い西洋人たち、この美しさわかるかなあ。ヴェルサイユ宮殿で感じた私どもとおなじかな。


棚田百選

2009年11月26日 | 旅行記

Photo  棚田百選の中で最も有名なのが、輪島の千枚田(左の写真)である。御覧のように急な傾斜地を開墾し田んぼにしたもので、先人のご苦労が偲ばれる光景である。

 数十年前訪ねた時は、近くにちょっとした店のみであったが、今日では観光スポットとして有名になり、且つ交通網も改善されて(近くには能登空港も出来た)多くの観光客が来るようになったようだ。立派な駐車場やレストランが出来て賑わっていた。

 多くの耕作放棄地がある中で、棚田であるが故未だ耕作されている光景を先人が見たらなんと言うのだろうなあー。


地方空港

2009年11月24日 | インポート

051 能登・金沢方面に2泊3日の旅をする。行き帰りとも飛行機を使い楽な旅であった。能登空港や小松空港は羽田から1時間足らずで着くのである。旅する者にとっては便利この上ない。しかし、両空港とも大変な赤字である。利便性と経済的問題とをどう両立させるか至難の業であろう。その上、高速道路や新幹線網の建設で、ますます競合する事となるのであるから、、、。

 嘗て「狭い日本そんなに急いでどこに行く」というキャッチコピーがあったが。


フリーマーケット

2009年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム

046 過日、フリーマーケットに参加(消極的に)する。車に日頃使わなくなった日用品などを満載し会場に運ぶ。早くもお客さんで賑わっていた。荷物を運ぶなり、客が勝手にダンボールを開け品定めを始め、商売っ気のない者には圧倒される光景である。その道のプロの方もいるのだろう。しかし、多くの客は行儀よく掘り出し物を手にし、喜んで購入してくれた。不用品を新たに使って頂くことは有難いことである。

 今日こうした催しがあちこちで開かれ、互いにリサイクルし合うことは、今流行のエコロジーにつながり大変結構なことと思うが、一面物が有り余る豊かな社会の現象の1つでもある。

  物資不足の子ども時代の頃、物持ちの良い隠居の祖父が、欠けた急須を卵の白身で接着し大切に使っていた頃のことを思い出し、すっかり軽くなった車で帰路につく。

 


サッカー大会

2009年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム

009 孫のサッカーの応援に調布まで出かける。前日の試合を観戦できず残念であったが、今日は快晴に恵まれサッカー日和である。都の大会でベスト4まですすみ健闘したので、父母の応援も熱が入っているようだ。

 応援に応えて準決勝戦は快勝し、いよいよ決勝戦というとき午後の予定が入り観戦できなかった。結果は準優勝との事、キャプテンとしてチームをまとめている姿を見て爺バカ振りでおおいに楽しませてもらった。今度来たら褒めてあげよう。


公務?

2009年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 退職後、齢を重ねるごとに世界が狭くなるのは致し方ないことだし、身軽さを楽しむように心がけているこの頃である。

 しかし、そんな折公的機関から出席されたしの通知が届くと満更でもないから不思議である。人間いくつになっても世のため人のために役に立ちたいというのは習性なのであろう。

 今宵6時半からK市からの召集で会合がある。そろそろ卒業したいと思いつつ出席しようと思っている。的を射た提言ができるかな?いや勉強の積もりで出かけようっと。


雪虫

2009年11月10日 | 田舎の思い出

いつもの散歩コースを歩いていると雪虫が飛んでいた。頼りない飛翔力ながら健気に飛んでいる様を見ていると、懐かしい思い出が湧いて来た。子どもの頃、この虫が飛ぶようになると雪の季節が近いと嬉々としてこのかわいい妖精を追いかけたものである。アブラムシ云々など知る由もなく、、、

 早速デジカメで撮ってみたが、上手く撮れない。ネットにすばらしい写真があるので御覧下さい。


町内会の旅

2009年11月08日 | 旅行記

快晴に恵まれ、まさに旅日和の中で町内会の年1回の親睦旅行が行われた。改めて下見をした通りに日程が進み、計画した者の一人としてほっとする。刺抜き地蔵尊では、おばあちゃんの原宿といわれるように早朝から賑わっていた。今言われているようなシャッター街ではなく、とこの店も繁盛しているように見えた。高齢者の購買力に支えられているのだろう。

 008_3 次の帝釈天では一時ほどの賑わいではなかった。寅さんの映画全盛の時のようにはいかないのだろう。時の移ろいか、、。

 予定通りに帰路に着き、感謝の言葉で散会する。来年も元気で参加してほしいものである。


読書週間

2009年11月03日 | インポート

001 先日、町内のH氏から1冊の本を頂く。先の戦争で苦難の戦を体験された大正世代の方からである。

 故人となられた小柴典居氏が自らの体験を克明に記した天宝山(中国湖北省)での戦記である。読後多くのことを学ばせていただいた。   誤りを反省することなく隠蔽し突き進むことの恐ろしさ、戦の無情さを知る方が少なくなっている現在貴重な本である。

 その1節を紹介しよう。

相対峙する中国軍には、侵略された自国領土の回復という大義名分がある。しかし、局部的に見ると、双方の軍の任務は防衛線の確保だけである。にもかかわらず、なぜこのような無益な殺し合いをしなくてはならないのか。「やななければやられる」原理はそれだけで、いったん戦闘が始まると、個人的に何の恨みもないのに、敵も味方も死に物狂いで殺しあうことになるのである。