過日、フリーマーケットに参加(消極的に)する。車に日頃使わなくなった日用品などを満載し会場に運ぶ。早くもお客さんで賑わっていた。荷物を運ぶなり、客が勝手にダンボールを開け品定めを始め、商売っ気のない者には圧倒される光景である。その道のプロの方もいるのだろう。しかし、多くの客は行儀よく掘り出し物を手にし、喜んで購入してくれた。不用品を新たに使って頂くことは有難いことである。
今日こうした催しがあちこちで開かれ、互いにリサイクルし合うことは、今流行のエコロジーにつながり大変結構なことと思うが、一面物が有り余る豊かな社会の現象の1つでもある。
物資不足の子ども時代の頃、物持ちの良い隠居の祖父が、欠けた急須を卵の白身で接着し大切に使っていた頃のことを思い出し、すっかり軽くなった車で帰路につく。
退職後、齢を重ねるごとに世界が狭くなるのは致し方ないことだし、身軽さを楽しむように心がけているこの頃である。
しかし、そんな折公的機関から出席されたしの通知が届くと満更でもないから不思議である。人間いくつになっても世のため人のために役に立ちたいというのは習性なのであろう。
今宵6時半からK市からの召集で会合がある。そろそろ卒業したいと思いつつ出席しようと思っている。的を射た提言ができるかな?いや勉強の積もりで出かけようっと。
いつもの散歩コースを歩いていると雪虫が飛んでいた。頼りない飛翔力ながら健気に飛んでいる様を見ていると、懐かしい思い出が湧いて来た。子どもの頃、この虫が飛ぶようになると雪の季節が近いと嬉々としてこのかわいい妖精を追いかけたものである。アブラムシ云々など知る由もなく、、、
早速デジカメで撮ってみたが、上手く撮れない。ネットにすばらしい写真があるので御覧下さい。
先日、町内のH氏から1冊の本を頂く。先の戦争で苦難の戦を体験された大正世代の方からである。
故人となられた小柴典居氏が自らの体験を克明に記した天宝山(中国湖北省)での戦記である。読後多くのことを学ばせていただいた。 誤りを反省することなく隠蔽し突き進むことの恐ろしさ、戦の無情さを知る方が少なくなっている現在貴重な本である。
その1節を紹介しよう。
相対峙する中国軍には、侵略された自国領土の回復という大義名分がある。しかし、局部的に見ると、双方の軍の任務は防衛線の確保だけである。にもかかわらず、なぜこのような無益な殺し合いをしなくてはならないのか。「やななければやられる」原理はそれだけで、いったん戦闘が始まると、個人的に何の恨みもないのに、敵も味方も死に物狂いで殺しあうことになるのである。