秋といえば降りそそぐ陽射しを浴びて朱色の柿がたわわに実っている風景、好きな光景である。
このところの梅雨の様な天候で、我が家の柿はその色づきもかなり遅くなりそうだ。
昨年の初冬、庭樹にしては大きくなりすぎたので思い切って切り詰めてみた。そのせいで今年は、実が10個しかつかなかった。数が少ないだけ実は大きくずっしりしている。また、剪定された枝の葉もそうでない枝に比べて大きくしっかりとついている。彼らなりに危機感を感じての生理なのだろう。観察していると学ぶことが多い。
秋といえば降りそそぐ陽射しを浴びて朱色の柿がたわわに実っている風景、好きな光景である。
このところの梅雨の様な天候で、我が家の柿はその色づきもかなり遅くなりそうだ。
昨年の初冬、庭樹にしては大きくなりすぎたので思い切って切り詰めてみた。そのせいで今年は、実が10個しかつかなかった。数が少ないだけ実は大きくずっしりしている。また、剪定された枝の葉もそうでない枝に比べて大きくしっかりとついている。彼らなりに危機感を感じての生理なのだろう。観察していると学ぶことが多い。
我が家の家周りは、少し手を抜くとあっという間に雑草園になってしまう。
このところの雨が、暑さに萎えていた雑草をいっそう元気づけているようだ。
晴れたら愉しみながら草むしりをしよう。
そんな中、春を告げるかのようにいの一番に咲くエゾムラサキツツジが
珍しく2輪ほど狂い咲きをしている。
狂い咲きと人間様が勝手に言うが、彼らは彼らなりに生理的な意味のあることなのだろう。
゛
涼しくていいのだが、このところぐずついた日々が続く。
あの騒々しかったセミの鳴き声も暫し休憩か。
地上での短い命、天候不順の時に羽化した彼らは気の毒である。
我が世を得たりと色づき始めたのは、鉢植えのウメモドキである。
真っ赤になるのももうすぐであろう。今年は秋が早い。
まだまだ残暑厳しい日々があるだろうが、このところの涼しさで庭のあちこちの朝顔が生き生きと咲きだした。朝顔は季語というと秋ということだが、その姿を見るとなるほどとうなずける。こぼれ種で咲く赤花も間もなく咲くだろう。
あさがほや一輪深き淵のいろ 蕪村
さて、今日は市の教育長訪問の約束、「湖畔の轍」を進呈してこよう。
昨日をもって一つのプロジェクト終わる。この一年間、あの苦難の時代を語り合い一冊の本にまとめ発刊に至ったからである。昨日会員の方々に届けることができた。
創り上げる過程で互いの歩みを披歴し合い、理解し合うという人間関係も深まることができた。それは当に集いの目指すところである。
人生には様々な歩みをしてきた轍が残っている。あの苦難の時代を生き抜いてきた者にとって、再びその過ちをしないためにも語り継がないければならない。そういう思いで進めたこの一年間であった。この小さな冊子ではあるが、其々の場で役立ててほしいものである。
今朝の気温21度、急激なその変化に戸惑う。そんな雨の中、棚のブドウ摘みを行う。この冬思い切って剪定し切り詰めたので今年の出来はどうかと思っていたが、意外と豊作である。素人の扱いにも協力してくれたのかもしれない。
さて、今日は集いのサークル歌う会に招待されている。昨夜から持ち歌の練習したが、しっくりこない。まあ、出たとこ勝負で恥をかくこととするか。
昨日の映画鑑賞会、内容もさることながら懐かしい名優たちの話で上映後も暫し歓談となる。この時間も大切だなと感じる。これからも名画を選定し実施していこう。
延び延びとなっていた例の仲間の暑気払い、Yさんの計らいで昨夜開く。久しぶりの語らいは大いに盛り上がる。政治の話に始まり株価の動向、国際情勢など澱まることはない。果ては己の終活の在り方など、嘗てはなかったことなども何の抵抗もなく話題に上った。それを語る齢になったということか。
2次会、3次会、カラオケボックスへ等という声は久しく聞かない。当に心の欲するところに従えども矩を踰えずである。
さて、今日は集いの映画鑑賞会、「武蔵野夫人」を観る。我が狭山丘陵の風景などもロケ地となった作品である。皆で愉しもう。
あちこちに生えた鳳仙花、一番成長の悪いものにもようやく花がついた。以前にも記したように思うのだが、この花を見ると実家の屋敷周りを懐かしさの中で想い出す。真っ赤の葵、色とりどりの鳳仙花、花魁草の花など誰が世話をしていたのかよく咲いていたからだろう。
多摩湖の水面から渡る風は、涼風というよりは肌寒さえ感じさせた。ウォーキング中の面々も纏う服装もすっかり変わっていた。秋も近いと言うことか。ちょっぴり淋しさを感じさせた今朝である。
サルスベリの花が咲いている。おとなりの木は、大木で色も濃く朱色の花をたくさん咲かせ賑やかである。花期が長いので百日紅とも書く。10月末まで咲いてくれるのは有難い。
散らば咲き 散れば咲きして百日紅 千代女
昨夜は、泊りに来た孫と町内の夏祭りに心ばかりの祝儀を持って出かける。有志の方々が立ち上げたこの町内の祭りも3年目、大勢の人々で賑わっていた。その運営に当たってはご苦労も多い事だろう。感謝、感謝、、、。
晩秋の頃咲き始めるオンシジューム、今年はどうしたことか一株だけだが早々と咲き始めた。たまに水やりするくらいであまり手のかからないこの蘭、他の株は花茎を伸ばす気配がないが眼をかけていこうか。
ところで我が街は、分譲してから間もなく半世紀を迎える。その間、世代交代や転居などして空地が出るようになった。しかし、わが松地区でも3つの空き地すべてに目下新築中である。若い世代が転居してくるという。嬉しい限りである。
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路地を歓声を上げながら登校していたあの頃の子たちの姿が懐かしい。