大掃除 2011年12月31日 | 日記・エッセイ・コラム 昨日は思いもかけず、息子が孫を連れて大掃除の手伝いに来てくれた。早速仕事に取り掛かり部屋中すっかり綺麗になりありがたい。 孫とは半年振りだが来るたびに心身とも成長してる姿を見て頼もしく感じる爺である。
帰省ラッシュ 2011年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム テレビでは恒例の歳末風景を写している。帰省する人々の家族には心を温かにする。親が健在していた頃は毎年のように帰っていたがこの頃ご無沙汰である。帰省といっても今は交通機関が飛行機・車なども利用され多様化しているが、学生の頃は汽車しかない。年末は混雑を回避するため駅ではなく上野公園に長いテントを張り、そこで乗客を整理しホームへ誘導したたものである。今は昔の話だが、テレビを見ながらそんなことを思い出す。
煤払い 2011年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム 朝早く狭山丘陵に入って笹を切ってきた。家内外の埃を払う竹箒を作るためである。室内はともかく外の埃は普段払うことはないので頑張ってやろう。煤払いと言えば、子供の頃、囲炉裏が煮炊きする場所だったので天井など煤だらけであった。今頃になると真竹で作った箒で父が真っ黒になりながら豪快に一年の煤を掃除していたのを思い出す。 正月の神様を迎えるための大切な行事であったな。
御用納め 2011年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム 嘗て役所では御用納めとやや時代がかった言い方をしていたが、今日はお勤めの仕事納めの日である。考えてみると卒業以来53年目の「仕事納め」と言うことになる。来春には職を辞するので、この言葉も職場では最後かな。残り三ヶ月健康に留意し迷惑かけないようにしないと、、。さあ、出勤しよう。寒いなあー。
冬眠中 2011年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム 変温動物の池の金魚、この寒さに耐え切れずすっかり冬眠に入ってしまった。そのため水槽で飼っているのと違い、春になって水が温むまで餌もいらない。しかし、室内で飼っているのと違い彼らはこの冬篭りしながらも春の産卵のための準備をしているのである。そっとしてあげよう。
陽の光 2011年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム 早暁の気温マイナス3度、この冬一番の寒さである。しかし、8時過ぎには4度になった。日本海側の豪雪情報を知るにつけ陽の光が燦燦とうけられる幸せに感謝しなければならない。 いつも享受している当たり前のことにも感謝の心を持つだけで豊になる。健康などもそうである。
携帯届く 2011年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム 家族の中で独り携帯は持たない主義の時代遅れも、今朝息子が持ってきたので節を曲げることとなる。今流行のスマートフォンでなく「もしもし、、」だけのと妥協したのが添付写真である。 開けてみると、それでもやたらと機能が多くあり操作に馴れるのに時間が掛かりそうだ。暫くは電話のみにしていこう。常に身に付けるのが携帯か面倒だなと思うか、利器となるかこれからの生活次第かも、、。
絶滅危惧種? 2011年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム 電車に乗ると、今や乗客の多くの方が携帯電話を見ている様を目にする。以前は奇異に感じたものだが、今ではすっかり馴れてしまった。自分は、そんなものに振り回されたくないので持たない主義を貫こうと思っていたが、息子の差配で持たされることとなり通信会社から電話番号の知らせが届く。さてさて携帯するようになったらどんな世界が開けるかな?早速健忘症に備えて番号の語呂合わせを考えていると「自分にかけることあるの?」との声、それもそうだな。
復活 2011年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム 復活と云っても宗教の話ではない。我が家のミニバラのことである。四季咲きのこのバラ、春から秋にかけて次々と咲き、すっかり疲れ果てて葉も黄ばんできた。そこで根を荒い新しい土を入れ温かい室内で世話したところ写真のように元気を取り戻し蕾を沢山つけてくれた。こんな小さな木でも手をかければ、、。何でもそうだな。 ささやかな慶びを感じている。花が咲いたらまたブログに載せようか。
年の瀬2題 2011年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム 何時もの事だが、この期になるとキリスト教圏の国に迷い込んだかのような騒々しくなる。全く不可思議な国である。そういう自分も今の我が家では考えられないことだが一時、子達を喜ばせるためにケーキだの飾りだのしたのだが、、。 昨日義妹の実家で養殖している富津の新のりを送られてきた。我が家の正月の食卓に上がる定番になっている。有難い事である。