差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

ニラの花

2017年08月31日 | 日記

 郷里から数株持ってきて植えたニラ、こぼれダネでやたらと繁殖し庭のあちこちに生えている。その可憐な花が咲きだしたのでアップしてみた。

 秋の訪れが早い郷里では、畑の畔に植えられたニラの咲くころになるとなんとなく寂しさを覚え、夏も終わりだなと思ったものである。花言葉は多幸というそうだ。

{語り部}

 子供の頃は、今と違って交通機関は鉄道が主役であった。戦後の一時期、あまりの混雑に切符の発売制限がなされれること度々である。なにしろ機関車の前にも乗る様な状態だった。急用で出かけなければならない時は、まことに不便である。父などは官舎を訪ね助役にお米を届け切符の手配をしていたのを覚えている。つまり賄賂である。食糧不足の時代、助役さんも仕方がなかったのだろう。

注、小さな駅では助役が最高責任者で、いくつかの駅を束ねて駅長がいた。今はどうなっているのか定かでない。


長寿梅の植え替え

2017年08月30日 | 日記

 小物盆栽の長寿梅、そろそろ植え替えの時期を迎えたので今朝行う。根が蜷局をまいたようになっていたので思い切って切り詰めてみた。心なしか木がさっぱりしたようである。

 晩秋の頃、花をたくさんつけてくれるであろう。

{語り部}

 小さな駅に着くと闇米を仕入れてきた集団(ヤミ屋さんたち)がどっと乗り込んでくる。思い思いに南京袋を椅子の下や棚に隠すのである。中には椅子に鎖で括り付ける人もいた。取締りに少しでも時間をかけさせるためである。経済警察官が乗り込んでくると車中は大混乱し彼らは一斉に逃げ出すのである。何度目にしたことか。

 お米を背負って街の親戚に行くとき、お巡りさんには「4,5日泊ってくるためのものだ」と話すように親から言われたが、それでもびくびくしたものである。あれは、2,3升だったろうか。

 

 


フヨウの切り戻し

2017年08月29日 | 日記

 キキョウの切り戻しで2度咲きをよくしているが、フヨウでも試みてみたところ脇芽が出て見事蕾をつけてくれた。最初の花のようにはいかないだろうが、小柄だが咲いてくれそうである。暫らく愉しみに待つこととしよう。

 {語り部}

 今では考えられないことだが、物を買うのに切符がないと売ってくれない時代があった。その一つが衣料切符である。「点数の歌」には、こんな歌詞があった。

32点の国民服に 胸のハンケチ ただ1点

 どこへ行くにも 立派なもんだ

 年より点数 5点上

 無駄にゃすまいぞ 点数点数

 大事に使ふも 国のため

 戦中・戦後の苦しい時代の話である。街の食堂では外食券がないと食べさせてもらいなかった時もあった。


村祭り

2017年08月28日 | 日記

 鎮守の森境内に建てた櫓上で伊達な(いなせな)若者の叩く太鼓の響き、それに合わせて2重3重に踊り手が囲み賑やかに踊っているお姉さん達、参道にはカーバイトランプに照らされた夜店が建ち並び子らの好みそうな玩具や駄菓子の数々、僅かばかりのお金を持たせてもらって集う子供たち、、、。これが遠い昔のお祭りの記憶である。

 昨夕、チビ孫たちと地域の夜祭に出かける。綿あめやおもちゃを嬉々として求め踊りの輪に入り見よう見まねで踊っていた。これも夏の日の想い出として残ってくれるだろう。

 


睡眠障害?

2017年08月27日 | 日記

  昨夜は、久しぶりにエアコンを付けることなく過ごせた。早朝ウォーキングも快調に出来たのも快眠のせいであろう。この頃は、老人力のせいか睡眠のリズムが狂いつつある。今はあるがままにしているが、狂いが大きくなったなら薬に頼るようになるのだろうか。友人のなかには、服用している者もいる。

 昨日から、湖畔夏祭りがはじまった。4自治会の有志が、祭神はないが地域活性化のため立ち上げた祭りである。ボランティアとはいえ、その労力は大変なものであろう。昨夕些少だがご祝儀を感謝を込めて届けてきた。

 今日はチビ孫が祭り見物にくるという。共に想い出づくり今宵は出かけよう。


花芽がつかない!

2017年08月26日 | 日記

 20年ほど可愛がっているブーゲンビリア、真夏が終わろうとしているのに今年は繁茂すれども一向に花を付けない。日光不足か、はたまた剪定の仕方に誤りがあったのか未だその原因つかめずである。植え替えをしばらくしていないので根詰まりでもしているのかもしれないが、時期ではない。しばらく様子を見ることにしよう。

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 昨日主治医のところに定期検診で伺ったところ、「戦中派でしょう?苦難の歴史の語り部として一筆を」と原稿用紙を受け取る。。早速夏休みの宿題に取り掛かり、学校教育の様変わりに視点を当てて書き留め昨夕届けてきた。不良患者だが、執筆の評価は如何に?


酷暑の夏といえども、、

2017年08月25日 | 日記

 酷暑の夏といえども朝夕は、だいぶ凌ぎ易くなってきた。今朝は久しぶりに早朝ウォーキングを試みる。湖面を渡る風には秋を感じさせるものがあり気持ちがいい。

  秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

 さてさて、今日から夏休みも終わり子たちは元気に登校する姿を目にするようになった。充実した夏休みであったろうかと自らの遠い昔を偲んでみる。

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{語り部}

 国民学校3年生の夏休み明け、学校は全く様変わりするようになった。教科書を汚すと叱られたものだが、墨塗りさせられたり、修身や書道はなくなり、「気を付け」「前倣え」「回れ右」などの号令はしなくなったりと、、。今思うと文部省の役人たちが進駐軍の方針を今はやりの過度に「忖度」して通達した面もあったのではないかと思う。

 修身を除くこれらは間もなく復活した。


カクトラノオ

2017年08月24日 | 日記

 いろいろな名のつくカクトラノオ綻び始めたのでアップしてみた。この植物、繁殖力が強く地下茎を伸ばし蔓延ってしまう。狭い庭では間引きしないと占領されそうである。

 一般的に帰化植物は、思い込みかも知れないが繁殖力が強いようだ。このカクトラノオもそれに当たる。因みに花言葉は「望みの成就」という。早く秋空を望みたいものである、、、。


お天道様に

2017年08月23日 | 日記

 久しぶりに快晴の朝、早起きしあちこちの部屋を開け放つ。何日ぶりであろうか。こうも不順な天候が続くと、古代人のお天道様(太陽)を敬う気持ちを素直に理解できる。文明が如何に進歩しようとも人知の及ばぬ天の理にはかなわない。

 おりしも昨日は、アメリカでは日食観測で大騒ぎし「新たな生を授かったような気がする、、、。]というコメントがニュースとなっていた。お天道様を敬う心が呼び起こされただろうか


懐かしさを覚える

2017年08月22日 | 日記

  子供の頃、庭の乾燥気味のところに生えているマツバボタン咲きそろってくると「夏休みも終わりだな」という印象がある。郷里では夏休みも短く8月25日が2学期の始業式だった。

 5月に蒔いた八重咲のマツバボタンようやく咲きだしたのでアップしてみた。この頃は、色とりどりに咲き花期も長い同じ仲間のポーチュラカが親しまれているようだが、マツバボタンも懐かしさを覚える花の一つである。

 今日は、娘たちの依頼で庭木の面倒見に浜田山に出かけなくてはならない。頼りにされている内は華か、、、、。