昨今、地域社会の人々のつながりが稀薄になっているといわれる。近くのバス停に「庚申塚」という懐かしい地名がある。よく耳にする地名で、庚申信仰が盛んであった地方には、どこでも見ることが出来た。しかし、この庶民信仰も今では過去のものになりつつある。
田舎の実家近くでも庚申塚があり、石塔が建っていたと記憶している。道路の拡張工事で撤去され今ではその痕跡すらわからない。おそらく、その地名もバス停などに掲げられない限り、城の礎が次第に土砂に埋没するように人々の絆を深めた講の文化とともに忘れ果ててしまうだろう。こんなことも人々の連帯感を損なう一因になっていないだろうか。明日は、町内のサークルの夕涼み会を企画しているが、、、、
来る22日は、日食観察が出来る。何年ぶりだろうか。小学生のころ、初めて日食観察をした時、先生の指示でガラス片に煤をつけてみた事が想い出される。田舎では、このガラス片を見つけるのが大変であちこち情報を集めてようやく手にした記憶がある。
何しろ物のない時代、ビンやガラス片、ゴム靴の破れたの等は貴重品でくず屋が買ってくれたので、あちこちに公徳箱「懐かしい言葉」を設け、そこに集めて売ったのである。ガラス片の収集に苦労したのは何某かの金額を手にした後だったのであろう。当時はガラス片で覗くと眼に良くないなどと誰も言わなかった。周辺が暗くなり、冷たい風が吹いてきて子供心に畏怖の念を感じたのを記憶している。来る日食には、木漏れ日の影が丸ではなく三日月になるのというので是非撮ってみたいものである。