久しぶりの雨である。息子が買ってくれた囲碁ソフトで遊ぶことにする。パソコン相手だと『その手は無いよ』等と言わないので気楽である。布石で失敗すればやり直しをすればいい。決して文句は言わない。パソコンに三目おかせて殿様気分で打っているが、五分五分である。近頃、強いて無理な手を打って楽しんでいる。ソフトは混乱し殺しに来るのを楽しんでいる。そんなわけで上達する訳がない。
徒然草の一節に、囲碁将棋に現を抜かす輩は、、、、というのがあるが、その一人になるのかな。ゲームに熱中する孫を批判できないな。
あちこちで野焼きのニュースが報じられている。野焼きで想い出すことに、田舎の茅場焼きがある。当時は茅葺き屋根が当たり前であった。従って、わが家では専用の茅場を持っていた。質の良い茅を育てるには、今頃茅場を焼くのである。
父の判断では、風の無い夕刻、近所の子ども達をも動員して茅場に向かい火を放つのである。1ヘクタールほどの広さでもあっという間に燃えてしまうが、春先の愉しい行事の一つであった。その様は、赤々と燃える炎と伴に脳裏に浮かぶ。今ではトタン葺きで、茅場はすっかり荒れてしまっていて当時の面影はない。
人を説得し、納得させるには人間関係が出来た間でも難しいのだが、そうでない方々に対処するのは至難の業である。
最近、その責任者として説得力という言葉でいうならば力量のなさを痛感させられた。
三顧の礼をもってしても難しいことが多い。
(某役員候補選考についてのつぶやき、、、)
立春の日、遅まきながらの新年会をする。30名近くの会員が集い、歌あり、踊りあり、隠し芸の披露と和気藹々の会となる。主催者として本当に良かった。第一線を退いた方々ではあるが多士済々で元気一杯(93歳の方も2名参加)、話題も豊かである。見習いたいものである。来年も元気で集うことを約束し散会となる。
田舎では、様々な伝統行事を大切にし、その家なりに行っていた。節分、夕刻になると、あちこちの家から大きな声で豆まきの声がステレオのように聞こえて来た。 どうしたことかわが家では何時も遅かったように想う。子供心に『うちでも早くやってくれないかな』と思ったものである。
豆まきは、正月の若水を汲むのと同様、その屋の長男がする習わしだった。わが家は、兵隊に行っていたので次兄がやっていた。家の座敷のすべてにまくと、外に向かって『鬼はー外』とまくより投げつけていた。あちこちの座敷にまかれた豆を兄弟で争って拾い食べるのが楽しみであった。豆がら(柊でなく)に鰯の頭を刺したものをあらゆる門口にさして鬼がこないようにした。
父母はどう関わっていたか定かでない。この行事が済むとなぜか安心した懐かしい想い出がある。
今日は、私立中学の合格発表日である。いつもの受験風景がテレビで報じられている。例年だと、「そうか、受験シーズンが始まったな」ぐらいの思いで見ていたが、今日ばかりは穏やかでない。ハラハラして吉報を待っていたが、なかなか連絡がない。不安がよぎる。、、、ようやく5時過ぎに、孫から希望校に合格したと報告があった。
やれやれ、先ずはおめでとう。サッカーに夢中だったので人より遅れての塾通いだったが、その努力が報われ目標達成した。サポートした両親、ご苦労さん。