市場では露地栽培のブドウが出回るようになった。我が家の藤稔のブドウ棚はと、今朝袋を開けてみるとアップしたようにポチポチ色づき始めている。
こうなると例年のことながら野鳥やハクビシンが食べ頃とやってくるのである。彼らは、日頃パトロールをしながら食べ頃を知るのであるが、その感覚は人様よりすぐれているので被害に遭ってからそれを知ることが多い。そこで今年は、そうそうに動物撃退器をセットし対策を講じることとする。
それでも万全ではないが、、、、。
市場では露地栽培のブドウが出回るようになった。我が家の藤稔のブドウ棚はと、今朝袋を開けてみるとアップしたようにポチポチ色づき始めている。
こうなると例年のことながら野鳥やハクビシンが食べ頃とやってくるのである。彼らは、日頃パトロールをしながら食べ頃を知るのであるが、その感覚は人様よりすぐれているので被害に遭ってからそれを知ることが多い。そこで今年は、そうそうに動物撃退器をセットし対策を講じることとする。
それでも万全ではないが、、、、。
この酷暑の日々が、しばらくはつづくという。人様は空調設備の整った場所に閉じこもっていればいいのだが、他の生き物たちはどうだろう。
早朝散歩では、涼しい内にとヒグラシの大合唱を耳にするし、気温が上がればアブラゼミやミンミンゼミの蝉時雨となって降ってくる。また、この頃やたらと増えた外来種のガビチョウは早朝から煩く鳴いている。そうこうした彼らの生き様を見ていると、あまりこの酷暑の夏が関係がないようで自然に対する彼らの受容力の大きさに感心するばかりである。
地球の温暖化は人様の営みがもたらしたと言われているが、生き物たちの受容力にも限界があるだろう。レイチエル・カーソン著サイレントスプリングの話とは違うが、サイレントサマーとならないよう人様も今のうちに知恵を出して対策を講じなければと想うこの頃である。
枠内は、網戸で鳴いている蝉 強い日差しをものともせず囀るガビチョウ
実生三年目のヤマモミジの鉢、小さいので乾きが早い。水遣りしてもすぐ乾くので怠ること出来ない。アップした木は、葉の一部が水分補給が出来ず葉枯れを起こしてしまった。そこで葉刈りして再び萌えだたせたものである。
半月ほど前、葉のすべてを葉柄を残して切り取り(枠内の画像)して再び芽吹かせた結果であるが、若木なので芽吹きも早かった。今度こそ水の管理をしっかりして小さいながらも秋には、綺麗な紅葉として愛でたいものである。
葉刈り作業で想い出すのは、兄から引き継いだモミジの盆栽で大きくなり何れ故郷の山に還そうと話し合っていた木、それを枯らしてしまった苦い経験である。
今では、もし木にも精霊があるならば木魂となって故郷の野山を舞っていることだろうと願うのである。
半月程前に咲き始めた一日花アメリカフヨウ、今朝も一輪「お早うございます」とまるで挨拶しているかのように開いていた。蕾も数えてみたところあと数個となってしまった。毎日のように開いていただけになぜか淋しい想いである。
4時前に起床し、コップ一杯の水を口にし早朝散歩に出かける。5,000歩ほど歩いて帰宅し、道路二面を清掃し、鉢物すべてに水遣りをする。そんな作業ですっかり火照った身体を冷水シャワーを浴びてクールダウン、、、爽快な気分となる。これがこのところの朝のルーティンである。
今日も酷暑の日になるという。日中は、出歩くこともままならない。車でもあれば1時間ほどで涼しい一ノ瀬高原へでも出かけられるのだが、免許返上が行動半径をすっかり縮めてしまったなぁ、、、、。
グランドカバーとしても良く植えられてギボウシ、数種類植えて愉しんでいるが唯一白い花をつける株が、久しぶりに咲いてくれたのでアップしてみた。
これは、鉢植えにしためか花芽が3つしかつけなかったが、純白の和紙を引き延したような花弁がうつくしい。一日花だが何か勿体ない心が湧く。 大切に育て株を殖やしていこうか。大きな株になれば、蕾もたくさんつけてくれるであろう。
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市から後期高齢者健康診査の受診の勧めの書類届く。どうでもいい話だが、後期高齢者という言葉、後期、、、貴方はもうあとがないのですよと言われたようで思いやりのない言葉として一時話題なったことがある。せめて長寿高齢者とでもしてはどうか。永寿高齢者とか, 鶴寿高齢者でも良い。 間もなく87歳を迎える爺の想いである。
エアコンはどうも身体に合わない。特に寝室での利用は可能な限り避けている。そのため昨夜などは寝苦しさのため3時半頃やむなく起床し、4時前に散歩に出かける。多摩湖に着いて水面を揺らしながら渡る涼風を暫し愉しむ。また、刻々と変わる光景をも、、、、
堰堤から東方を撮る
振り返って多摩湖を
昨夜の就寝前の体重は、75,4㎏ 今朝起床後の体重は、73,1㎏、、、たっぷり汗をかいたと言うことか。
梅雨が明け、今庭のあちこちで蒔いたわけでもないが、素朴な花ツユクサが咲いているのでアップしてみた。デジカメで接写して撮る。
この小さな花は何故か郷愁を誘う花である。朝草刈りで山のように束ねた中でも紫の花が目立ったし、サツマイモ畑で草取りした中にも咲いていたし、ままごと遊びで色染めをするときも使ったしと庭で咲く花を愛でながら懐かしさの中で想うのである。
昼頃には萎えてしまう儚い花であるが、何故か花言葉の一つに「密やかな恋」とある。、、、、。
長年暗い土中で生活しそこから這いだし、生への営みを謳歌するために羽化しなければならない蝉たち、そこには様々なドラマが待っている。悲しいのは、硬いからに覆われていて行動もままならない内に池などに落ちでしまうもの、あるものは羽化する場所を見つけられず道路を這っているうちにアリの餌食になってしまうもの、また羽化する場所を見つけても殻から半分ほど身を乗り出しても力尽きてしまうもの、、、.である。
今朝見たのは、葉裏に留っている空蝉の姿である。アップした画像にあるように枝垂れ桜の幹を4mほど登り、更に枝伝いに3mほど下った葉裏にあったもので猿のようにとなりの枝に移ることが出来ないセミなのでそう推測する。
長い伝い歩きの中で落下することもなくここまでたどり着いて羽化していった涙ぐましいその生への営みに感服!! 今朝は蝉の底力を改めて見せられた想いである。
早くも我が家はいま蝉時雨が降りている。蝉たちよ、生への営みを十分謳歌し給え、、、、。
一時猛威を振るった松枯れ病も、このところ治まったのか赤松の黄葉がみられなくなった。その代わりといっては変だが、ナラ枯れ病未だに治まる気配がない。
アップしたのは、散歩コース沿いのナラの大木である。新緑に萌えていたが、見る見るうちに黄葉してしまった姿である。こうした木が、コース沿いに10数本数えることが出来るのである。
涼しい木陰を作ってくれたこれらの大木たち何れ伐採されるであろうが、見慣れた林相が変わってしまうのは淋しいものがある。松枯れ病が流行ったときはその防疫対策で話題にもなったが、ナラ枯れ病では、そうした声が一向に聞かれないのは不思議でならない。寡聞にして聞かない、、?
天気予報にもなかった昨夜の豪雨、埃っぽかった庭は潤うし三つの池は満水となり当に恵みの雨となってくれた。今朝は、ぐーんと気温も下がり早朝散歩も爽やかな気分で歩を延す。
この恵みの雨で庭の木々や草花たちも歓んでいることだろう。 アップしたのは、それを全身であらわしている典型的な姿のイワヒバである。左は昨日の午後の姿、右の画像は慶びいっぱいの今朝の姿である。
イワヒバは花をつけないが花言葉として「負けない心」とある。爺は、長き乾燥にも耐え忍ぶ姿から「忍耐」とか「諦めない心」をつけてあげようか。