このところ連日新年の挨拶欠礼の葉書が届く。生々流転は世の常とはいえ、兄が旅立った昨年に続き今年も、また格別の寂しさを感じて読む。町内で40年以上も親しくお付き合いさせて頂いたN先輩や18歳で学生寮生活を共にして以来の友Y君の旅立ちもあって、いっそうそうさせているのである。咲いている山茶花の花も心なしか寂しげに見える。
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中興の祖 Nさんの旅立ちを悼む
天上影は変わらねど栄枯は移る世の姿 40数年来親しくさせていただいたNさんの旅立ちにあたって晩翠の詩の1節を思い起こしました。おらが街作りに燃えていた自治会創生期の頃共に役員として勤め、それ以来知遇を得て何かと教えを頂いた大先輩でありました。
題に中興の祖と記しましたが、大先輩は我が「湖畔の集い」の歴史に大きな足跡を残されたのであります。
平成19年2月23日に、当時のS会長から「湖畔の集い」解散するとの話があり、その理由として「役員の高齢化」「会員の減少」「市老連との関わりの煩雑さ」などあげられたという事です。そうした事情を聴き重鎮Nさんは「それはならぬ、営々と築いてきたAさん、Bさんはじめ歴代会長など諸先輩に申し訳ない。俺一人でも継承するので任せて欲しい」と提案され、紆余曲折もありながらも役員一同に諒承させたと言うことです。
===(奥様が保管されていたN先輩のメモより)===、
その後、3月2日にMさん(松地区)、Sさん(杉地区)と私に集会所にて事の顛末を話され協力を求められました。切々と説くその熱意に大きなものを感じました。そうしたこともあってSさんとKさんと私は会員ではありませんでしたが、Nさんの強い要望で入会し役員候補となり新たな執行部入りを総会で承認された次第であります。
新しい流れとしてNさんは、様々な提案をされました。新しい形の自治会との共催旅行の実施・集会所の活用・四季折々の行事の実施・会員相互の研修などであります。
紙幅の関係ですべてを記すことはできませんが、その一つ共催旅行をあげてみましょう。以前は、共催旅行と言っても大部分は「湖畔の集い」で計画し宿泊を伴った旅が多くありました。
Nさんは、これを改め小さな旅でも共催に相応しく共に計画し手作りのものにしようとされました。その第一回は川越への旅でありました。集いの役員と当時自治会役員と現地に赴き下調べをして業者に頼らず計画したものです。参加費も負担の無いよう3,000円としました。
思い起こせばN会長は、集いの行事諸計画に当たって基本を押さえ仔細については「良きに計らえ」と広い寛容な心で接していただいたので私どもは大船に乗ったつもりで安心して遂行できたのであります。良き上司(?)に恵まれた役員時代でありました。感謝、感謝の念に堪えません。
先輩は、我が街を心から愛し、その人徳故に会員の皆様にも愛されたからこそ数々のことを成し遂げることができたのでありましょう。私どもは、その威徳を偲び「湖畔の集い」の確かなあゆみに意を注いでいきたいものです。湖畔の集いは永遠です!!
奥様に看取られ穏やかに天寿を全うされたN先輩 今頃は美酒に酔いながら郷里日田の空を舞っているのでしょうか。それとも緑豊かなこの湖畔の街を眺めているのでしょうか。
N先輩 有り難うございました。 合掌
==老人会の広報誌に投稿した文を読んで改めて偲んでいる爺である。==