鉢植えの桜旭山 今年は寂しいことに一枝にしか花をつけなかった。昨年気づかないうちに葉が食害されふた枝ほど枯れてしまったためである。小さな鉢植えのためもあろうかと冬季に大きめの鉢に移植した。その成果か新芽が芽吹いてきたのでこの枝にも期待しよう。管理の不行き届きをわびながら淡いピンクの花を愛でている。
さて、今日は街の有志による「歩こう会」発足をと初会合がある。お誘いを受けたので出席することとすする。お荷物にならないようそれなりに鍛えなくては、、、。
昨日は 10,193歩
鉢植えの桜旭山 今年は寂しいことに一枝にしか花をつけなかった。昨年気づかないうちに葉が食害されふた枝ほど枯れてしまったためである。小さな鉢植えのためもあろうかと冬季に大きめの鉢に移植した。その成果か新芽が芽吹いてきたのでこの枝にも期待しよう。管理の不行き届きをわびながら淡いピンクの花を愛でている。
さて、今日は街の有志による「歩こう会」発足をと初会合がある。お誘いを受けたので出席することとすする。お荷物にならないようそれなりに鍛えなくては、、、。
昨日は 10,193歩
吉野の山は尾根から谷へ山桜各種千本桜として有名なそうだが、今は我が街の向かいの山も萌える林の中で各種山桜が色とりどり咲き乱れている。こういう風景を中国の著な画家が「山笑う」と表現したのであろうか。すとんと心に落ちる、、。
林の中では、カタクリが春の陽が遮られる前の今を愉しむかのように紫の花を一面の咲かせている。この素晴らしい季節を愉しみながらの散策、まさに至福のときである。
昨日久しぶりに末孫遊びに来る。愉しみながらのお付き合い、その後豆電球とモーター、乾電池などで工夫して遊んでいた。興味そそったようだ。コロナ禍の今泊まらず帰る。
昨日は 10,335歩
5本あるもみじで裏庭の木が早々と芽吹き、茶褐色の幼葉が朝日を浴びて輝いているのでアップしてみた。紅葉を愉しみに求めたこの木であるが、植えた場所が悪いのか、樹形を守るために制定するのが悪いのか美しく紅葉したことがない。だが、芽吹きの美しさは一番である。
今朝久しぶりにコジュケイの甲高い鳴き声を聞く。この地に移り住んだころは、早朝よりよく耳にし雛を連れて道を横断する可愛い姿も目にしたものである。だが、地面に巣作りするこの鳥、ハクビシンなど出没するようになって駆逐されたのかと思っていたので嬉しさとともに懐かしかった。と同時によく鳴き声を耳にしたあの頃を想い出す、、、。
昨日は 10,042歩
栽培された各種の桜が咲き誇る中で、今山桜も負けじと咲いている。彼らの仲間も色合いや花弁の大小、姿形の違いなど様々である。そうした中で昨年まで見事な枝振りで咲いていた遊歩道沿いの山桜は、アップしたように枝下ろしされて無残な姿になっている。
それでも今年も健気に花をたくさんつけ幹を覆っている。だが、こうも太い幹を伐採されては可哀想に数年と持たないだろう。俗に言う桜切る馬鹿、、と言うことわざがあるように桜は切口から腐敗菌が入りやすく枯れてしまうのである。
管理者は、下を通る人々の安全を思っての作業であろうが、なんとも痛ましい樹姿である。もう少しプロなのだから配慮してほしいものである。
昨夜は第四回のオンライン飲み会、元気に全員参加し愉しい一時を過ごす。皆語り合いたいのである。次回は新たに参加者を募ろうと言うこととなった。画面を見ながらの2時間、お酒が進む、、飲み過ぎた。
昨日は 10,804歩
街の集会所脇の株立ちの山桜、50数年経って見事な大木となってきた。今年も枝いっぱいに控えめな葉を伴って花をつけている。朝日を浴びて輝きなんとも美しいのでアップしてみた。見事な葉桜である。
山桜を詠んだ歌は実に多い。宣長は山桜の美しさを大和心と結びつけて詠んだようだが、そうしたことに絡ませることなく純にこころをひかれるものがある。
この木が若木だったころ根元に作られた花壇で草花の世話をしていた童たち、今はこの地を離れそれぞれの世界に羽ばたき、その多くは還暦を迎える年頃となっている。堂々としたその大木の根元に花壇の痕跡はあるが、頭上の花を眺めて回想してみるのである。
昨日は 10,563歩
アップしたのは、都の里山公園をベランダより眺めた今朝の画像である。このところ穏やかな日は、決まって霞かかったような光景となる。今日もいい天気になりそうだ。
田舎育ちの者にとって、いつの日か山の見える地に居を構えたいと以前の家を売却しこの地に移り住んで40数年となる。色合いのことなる各種の山桜も咲き始めた。この光景を眺めると心落ち着く。
ところで霞と言えば、中学生の時学んだ歌を想い出す。
ひさかたの天の香具山このゆうべ霞たなびく春たつらしも
万葉集のこの歌を学んだとき自分なりに想像した光景は何処だったか今は想い出せない。遠い遠い昔の話である。
昨日は 10,430歩
台湾ツツジやケラマツツジ・サツキなどを交配してヨーロッパで改良されたというアザレア、ツツジやサツキより一足早く開花したのでアップしてみた。
寒さに弱いと言うことで冬季は室内で愉しんでいて花の色は淡いピンク色だった。だが昨秋から室外でもと試しにおいていたところ花の色は、アップしたように純白の花となってしまった。室温や気温の違いで色彩の変化があるのだろうか。専門家に聞いてみたいものである。
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一向に治まる気配のない新型コロナ、このところ感染者が増えているという。困ったものである。毎月のように集い懇親を深めたり、旅をしたりしていた友達と集うこともなくもう一年になる。そうした中で週末には第四回オンラインによる町内の飲み会の誘いを受ける。これもコロナ禍によって生まれた苦肉の策か。
昨日は 10,525歩
多摩湖は風もなく鏡のような水面、遠方正面は秩父連山 左には遙かに霊峰富士 右方には野球場のドームが見える。
穏やかな日和すっかり明るくなった陽の光を浴びての散歩は実に気分がいい。この季節、動物たちも活発に活動する時節であるが、人様にも与り知らぬところで気分が高揚させる何かが体内に生まれるのだろう。そんなことから「春うらら」の言葉が生まれ、口にするだけで心和むのである、、。 春うららを詠んだ短歌、俳句など実に多い
昨日は 11,205歩
たくさんの花を咲かせた藪椿、桜の花が満開になるこのとき最後の蕾が綺麗に開いているのでアップしてみた。寒風にさらされ霜害に痛めつけられる中で美しく開くことなく散ってしまった花も少なくないが、この一輪はそんなことなかったかのように暖かな陽射しを浴びて愉しんでいるようである。
椿の仲間では、この藪椿が一番花期が長いように想うのだが、我が家の木は12月2日には咲いていたので四ヶ月にわたって咲いてくれていると言うことか。実に開花期間が長い。椿の名所大島の木などもそうなのであろうか。
昨日は 11,903歩
鉢植えの苗代グミ、今年は、昨秋の剪定がよかったのかたくさんの花をつけたのでアップしてみた。薄い黄色い花だが、形はウグイスカグラそっくりである。苗代で育てた早苗で田植えしたころ紅い実となりよく食べたあのグミの花である。
苗代グミは、郷里の実家に一抱えするほどの大木があった。そんなこともあって鉢植えで愉しんでいるのだが、花を眺めているといろいろ想い出す。
屋敷周りを賑やかに走り回って愉しく遊んだ兄弟たちの顔を、一方愉しいことばかりではない戦争末期に近所の人々が竹槍を持って集まりその大木を敵兵に見立て「エッ、ヤッア」と訓練していたことを、、、。一本の苗代グミ郷里を近くする。
あの大木は、バスが通るようなっており返しの駐車場となり切られてしまった。
昨日は 552歩