寂しげな秋明菊 2011年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム 庭の秋明菊も最後の力を振り絞って咲いている。心なしか寂しそうである。淋しいといえば今日は母の命日、7人の子達の身を案じ、一人ひとりを語った後、昏睡状態となり夕刻旅立った。小学生の時の早い別れであったが「筆で生きていけるように」と父に頼んでいるのを襖越しに聴いて慟哭したものである。あれから63年、、、歳月人を待たずか。 「親孝行したいときには親はなし」この格言、、、。
紅葉した生垣 2011年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム 狭い庭なのでツツジやドウダンツツジを植栽した生垣で少しでも広く愉しむようにしている。初夏は新緑やつつじの花、秋は紅葉と、、。今ドウダンツツジの紅葉が美しい。刈り込みの失敗から斑になっているが春にはもう少し伸ばしてやろうか。
初冬の陽光 2011年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム 今日は曇天か。これからは陽の光が私どもにとって何よりのご馳走、そんな季節になってきた。庭に植えていたポーチェラカ鉢植えにして窓側に置いて越冬させようと試みる。彼らは感謝の気持ちか再び初冬の陽光を浴びて咲き出した。心地よさそうに、、。
ランの気紛れ 2011年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム ラン暦そう長くはないが、この植物は実に気紛れである。株も大きく葉も瑞々しく繁らせても必ずしも花を付けるとは限らないのである。そうかと思えば写真のように小さな株でもしっかりと咲かせるものもある。気長に愉しむ植物かもしれないな。
山茶花 2011年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム 山茶花、今年は木によって花付きが違う。害虫にやられないようまめに消毒をし可愛がった方だが、、。そんな中でシロバナの山茶花は木が弱るほど蕾を沢山つけている。そのためか葉の色が薄くなっている。養分取られたためと思う。春になったら枯れないように肥料をたっぷり挙げよう。 花の少ないこの季節、椿類は愉しませてくれる。藪椿も蕾が大きくなってきた。
百家争鳴 2011年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム 昨夕は町内の相談役にお出で頂き答申案についてご意見を伺った。「良きに計らえ」というタイプ、事細く話すタイプ、方向性を別に問うタイプと実に多様であった。しかし、最後は流石長老たち私どもの方向性に理解を示し百家争鳴延々とならず安堵の内に散会となった。次回は過去の役員の方々との話し合いとなる。
制度疲労? 2011年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム 如何なる組織も、時とともに対応できなくなる。これは世の常だが我が自治会も、創立40数年たち様々なご意見を寄せられるようになった。 そこで今春より検討委員会をつくり若い方々も交えて話し合ってきた。一応原案出来上がったので今夜、歴代会長にもおいで頂き意見を伺うことにした。何とか方向性をつけたいものである。
新嘗祭か 2011年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム 今日は勤労感謝の日か、小学校の頃は新嘗祭と云って旗日であった。とはいっても学校に行き皇居遥拝などの儀式があったように記憶している。この頃になると郷里では霜が降り、北風が吹く季節がやってくるのである。普段忙しくしているが、こうした暦の節目節目毎に幼少期の記憶が田舎の光景とともにが思い出されるから不思議である。 写真は近所のサネカスラの実「美男蔓」とも言う
マユミの宝石 2011年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム 今朝は外の気温が6度、だいぶ寒くなってきた。放射冷却現象で今季一番の寒さという。しかし、ご覧のように快晴、今日も天気がいいようだ。 盆栽棚のマユミの実、陽光を浴びて美しい輝きを放っている。まるで宝石にような輝きである。野鳥たちの餌になる前の暫しの輝くではあるが、こんなところにも美を見ることが出来るのは嬉しいことである。
静かな湖面 2011年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム 近くの多摩湖には散歩コースの1つでよく出かける。カメラを持って出かけることもある。昨日は、めったに見られない水面が鏡のような湖面が見られたたので撮ってみた。ゆったりと流れる雲や取水塔の姿が美しく水面に映っていた。自慢の写真になるかな。