差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

開花期の長い、、

2017年09月30日 | 日記

  開花期の長い草花は多くあろうが、この花トラノオもその一つである。八月に咲き始め未だに次々と咲かせている。花の少ないこの期では、貴重な存在である。ただ、繁殖力が強く油断をしていると他の宿根草まで痛めつけてしまうので気を付けなければならない。

 昨日記した月下美人、蕾に白いものが見えてきたのでいよいよ今夜かもしれない。

{語り部}

 昔いた川島正次郎という政治家の言葉に「政治の世界は、一寸先は闇」といったことを想い出した。昨今の政治屋の体たらくを見て想い出したのである。有権者の信託を受けるに足る主義主張をかなぐり捨てて右往左往している様は、実に情けない。戦後70有余年、民主主義は未だ育たずか。真の政治家の誕生は、百年河清を俟つ、、、、。


月下美人

2017年09月29日 | 日記

 月下美人今年二度目の花を咲かせそうである。前回は愛でそこなったので今から待機していこう。蕾の大きさからして今晩あたりかなと思う。一夜限りのショーである。あの香りとともの堪能しようか。

{語り部}

 現在はたばこの害が知られ嫌煙権等という言葉も生まれ、喫煙者にとっては肩身に狭い想いをする時代である。戦中・戦後の物不足の時代、そのタバコが配給制だったのを覚えている。

「本数がだんだん減らされた」とか「戦後は男女同権だから女の人にも配給されるようになった」と言う大人の話が耳に残っている。物不足時代でもタバコは必需品だったのである。当に隔世の感あり、、、。


雨に濡れた石垣

2017年09月28日 | 日記

 我が街は、すべての擁壁は間知石を使った石垣となっている。50年という長い歳月を経てその石垣にも風情がでてきた。気に入っている街の光景のひとつである。

 特に雨上がりなど濡れている様は趣がありなんとも言えない。長雨など続くと苔むしたところなど緑に覆われることもある。

 今はやりのコンクリートブロックではこうはいかない。自然石を一つ一つ積み重ねてできた美しさが、時の流れとともに醸し出されているからであろう。


ミセバヤ咲く

2017年09月27日 | 日記

 溶岩に植え付けた日高ミセバヤ数輪咲いてくれたので満開を待たずアップしてみた。庭に咲くもっとも小さくて可愛い花である。葉の紅葉も愉しめる可愛い奴である。

 さてさて、後期高齢者にとって誕生日を迎えることは、一休さんではないがめでたくもありめでたくもなしということか。今日は、その戸籍上の81歳の誕生日である。

 9人兄弟の9番目、親にとっては留吉とでも名付けたいような存在であったかもしれない。そんな訳で遠い役場への知らせも数か月遅れたということが、兄弟たちの話から知ることとなる。

 そんな親でも丈夫に産んでくれたことに感謝することにしよう。現在のところ脳の衰えは別にして健康である。

 


まだまだ頑張っています

2017年09月26日 | 日記

 大輪のフヨウ、再び咲かせるため幹を切り戻して久しい。その成果で未だに次々と花をつけてくれている。

 当然のことながら小ぶりとなっているが、色彩が心なしか濃くなっているように見える。また、気温も低くなってきたので午後も萎えることなく開いてくれているのがいい。やがて幹が枯れたら株にたっぷりとお礼肥えをしてあげよう。

 


秋の気配が、、、

2017年09月25日 | 日記

  お隣の金木犀の大木、乱れた樹形を整えるため剪定されたが、時期外れの8月だったこともあって花の数が少ない。それでもあの甘い懐かしい香りを漂わせている。

 この香りが漂う頃になるともの哀しくなるという朋がいる。あたりの秋の気配を立ち始めると、わが身を想い物哀しくなる。わかるな、、、わかる齢となったということか。

{語り部}

 稚拙な指導者たちの言葉だけのやり取りを聞いていると今にも戦争が起こりそうである。戦争が如何に庶民を苦しめることになるのかわかっていないようである。我が家では、二人の兄が召集(長兄は一度除隊したにもかかわらず2度目の赤紙)された。長兄は、敗戦後極寒の地シベリア抑留され不当な労役を強いられ障碍者となって帰ってきた。二人とも復員してくれたが、あの戦争で二百数十万という兵士が外国でなくなったことを、今の為政者は想い起して欲しい!そして生まれた平和憲法を!!


イヌサフラン

2017年09月24日 | 日記

 彼岸花と同じように花茎だけにょきにょきと芽をだし花をさかせるイヌサフラン、庭のあちこちで咲きだした。花が萎れてなくなるころ葉を繁らせるのであるが、毒草の仲間だという。そんなところも彼岸花に似ている。

 この花が咲くと、戸籍上の我が誕生日も近いぞと教えてくれる。81歳になるのか。

 佐藤愛子ではないが、「81歳何がめでたい」との随筆でも書くか。いやいやこれから来るであろう精神的・身体的老人力との戦いに挑みながら、世の移ろいに関心を持ち、怒り、笑い、時に毒舌を発して行こう。


紅葉の走り

2017年09月23日 | 日記

 天候不順だったこの夏、そのせいもあって9月の下旬ともなると紅葉の走りみられる。我が家の実生のモミジ、病葉が目立つ中で早くも紅葉し始めたのでアップしてみた。

 昨日は、墓参の後義弟ご夫妻の好意に甘えてすっかりご馳走になる。迎える側は、何事にも大変なことで、いつものことながら心からのおもてなしに恐縮するのみである。

 一人で頑張って作られた新米、子たちの分も含めて頂く。感謝。感謝、、、。皆健やかに集うことが出来る今を大事にしたいものである。それが親孝行というものであろう。


葉は繁れど、、、

2017年09月22日 | 日記

 ひと月ほど前も記したが、鉢植えのブーゲンビリア葉は繁れど未だに花をつける気配がない。こんなこと初めてである。ネットで調べると過保護もいけないという。根を切ったり、水遣りを控えめにしたりすると咲くというので今からでも遅くない試みてみよう。何事も勉強である。

 お彼岸、墓参りもかねて兄弟会をとの義弟からの連絡。婿殿が車を出してくれるというので、今日は楽をさせてもらうこととなり助かる。海ほたる乗せてもらっての通過は初体験となる。


小品盆栽

2017年09月21日 | 日記

 この春、真柏の樹形作りをして不要な枝を切り落とし、試みに挿し木したところ、3本とも発根してくれた。小鉢に植えて愉しもうと思っている。20年もするとシャリやジンを作ることが出来るかな? そのころは、よわい百歳!夢は大きいほど良い。なにしろ百歳以上の高齢者が7万人に届こうとしているのだから、、、。

 ところで、昨日の「この世界の片隅に」の映画会、われわれ世代の者にとっては感慨深いものであった。玉音放送で主人公が泣き崩れるシーンが描かれていたが、小学3年生の自分と重なり沈黙の父母たちの中でひとり大泣きしたのを想い出した。

 上映後、呉近くに疎開しておられたTさんの空襲の様子などの体験談もあり、実のある上映会であった。Tさんありがとう、

尚、Tさんは、当時広島中学生で原爆で同級生が亡くなられた中で偶々学校を休み難を逃れられた方である。「湖畔の轍」にも投稿される。