昨日は池の防除ネットを張る前に、しばらくしてなかったドブさらいをする。ごみの量に驚く、以前はまめにしていたということか。大きく育てた金魚たち、次々と姿を消す中で半ばあきらめていたこともそうさせたということか。
さてさて、ネットも張ったことだし珍しい金魚でも買いに、、。
昨日は池の防除ネットを張る前に、しばらくしてなかったドブさらいをする。ごみの量に驚く、以前はまめにしていたということか。大きく育てた金魚たち、次々と姿を消す中で半ばあきらめていたこともそうさせたということか。
さてさて、ネットも張ったことだし珍しい金魚でも買いに、、。
儚さの例えにもなる花、朝方暗いうちに咲きはじめ夕方に萎んでしまう木槿、今年も遅まきながら咲いてくれたのでアップする。次々と咲いてくれるので、いつまでも咲いているように見えるが実は、「一日の栄」なのである。
さて、今日は大きく育てた金魚たちが、次々と姿を見いせなくなっているので、池の防護網の設置で汗を流すか。盗人はハクビシンか、タヌキか、はたまた野良猫か。
頂いた月見草、昼ごろまで咲いている2輪、赤く染まってきれいなので再びアップする。月見草といわれる種類はどのくらいあるか知らないが、小さな鉢でも栽培できるこの種は手頃である。
ところで、権力の御用と化した新聞社やテレビ局が跋扈するこの頃であるが、堕落したマスコミが如何に人々を苦しめたか。大本営発表のみしか知らされていない時代を生きた人間として実に嘆かわしい。選挙直前に人を貶めるような報道をタッグを組んでする週刊誌なども、公平に見てその類か。
以前アップした池に鉢ごと浸したミソハギ、1mほど伸び3分咲きということか。湿原一帯に咲く様には程遠いが、これも田舎の光景を想い出させてくれる花の一つである。
さてさて、天気予報によれば今日は久しぶりにお天道様が顔を見せてくれるという。このところ涼しくて凌ぎ易かったが、夏らしさが、、、などと期待しないでもない。
誠に勝手なものであるが、、、、。
人の世に波風が絶えることはない。そうした中にあって様々な方々と集い、語らうことは人生に潤いをもたらしその糧となるものである。
昨夜は、現役時代の仲間が集い暑気払いをする。酒量が上がるにしたがって百家争鳴、多種多様な話題が俎上に上がる。語りたりず二次回は喫茶店でと外に出たが、軒並み閉店していて様変わり。やむなく次回の約束をして散会となる。
それにしても、こうした輪が、年々小さくなるのは淋しい限り。これも人の世の理か。
例年この期になると、ブドウ棚で悪さをするコガネムシの駆除をしなければならない。棚をゆするとバラバラと十数匹、朝からの殺生は気持ちのいいものではないが、怠ると葉の食害で房への大切な補給源が坊主にされてしまうので致し方ない。
合掌!
さて、今日は恒例の暑気払い、正月以来半年ぶりにに集う仲間もいる。大いに語り、飲み、旧交を温めよう。
故郷の兄弟たちからこの夏も走りの野菜、インゲン、ナス、トマト、ニンニクなどたくさん送られてきた。その中に姉からは、購入したであろう箱に入った果物の様なめずらしいトマトの数々や心のこもった手作りの漬物やつくだ煮なども入っていた。有難いことである。
このところ帰省する機会も少なくなってきたが、その絆は深まるばかりである。美味しくいただこう。
久しぶりの快晴の朝を迎え気分がいいが、我が家の大木枝垂桜にはセミたちが集まり、蝉時雨で実に姦しい。まあ。短い命、束の間の晴れに彼らの必死に伴侶を求める恋歌と思えば許せるか。
ところで、恋歌といえば友人からアップしたように初恋を詠んだ歌がメールで送られてきた。藤村の詩「初恋」を改めて読んで詠まれたということか。その瑞々しい純な心に感服!!
とうに忘れてしまった心を時々思い出すのも大切なことか。
巨峰系のブドウ、そろそろ色ずき始めたので野鳥に啄まれる前に袋かけをした。あちこちとバランスよく実を付けてくれればいいのだが、偏っているので袋かけも窮屈となってしまった。剪定の仕方がまずかったのかもしれない。
ところで、黄金虫の食害で葉が機関銃で撃たれたように穴だらけになってしまった。これでは、ブドウの成長に影響するのではと心配である。毎日見て回っているのだが夜半に大挙して襲撃するのだから防ぎようがない。ブドウに害がなく忌避剤などないものだろうか。
アカカノコユリ、たくさん花をつけてくれたが、雨に濡れてかわいそう.今日も朝から雨、そろそろ梅雨明けしてほしいものである。こう長いと子供の頃、いつまでも梅雨が明けず長雨で稲穂が出ても花を咲かせることが出来ず実を付けなかった凶作の年を想い出す。いわゆる「寒さの夏はおろおろあるき、、」のやませがいつまでもやまない年である。
あの凶作の年を経験したものは、今梅雨明けが遅いとついそんな心配してしまう。杞憂になってほしいものある。こればかりは天のみぞ知るか。