差塩と趣味の世界

故郷 福島差塩の想い出と徒然なる盆栽奮闘記

オトコヨウゾメの実

2013年10月23日 | 田舎の思い出

1 男性諸氏には、ちょっと気になる名前オトコヨウゾメ(用済みではないが、、)の実が真っ赤に染まってきた。春にはたくさんの花(アップずみ)をつけるが、どうしたことか、こんな美しい実は数えるほどしか成らない。同じ仲間のガマズミなどは、たくさん成らせるのだが、、。裏庭で日当たりが関係しているのかのかもしれない。

 ガマズミといえば子供のころ、霜が降りて甘酸っぱくなった実を友とよく食べたものである。今頃はアケビ採りにも、、、。


訛り懐かし、、、

2013年10月20日 | 田舎の思い出

1  昨日は記念式典に続いて盛大な祝賀会(300名ほど参加)に出席する。そこでは多くの知己と旧交を温めることができ楽しい会となる。そこで、親しげに話しかけてくる見知らぬ紳士、彼が言うには「失礼ですけど福島県出身ですか」「そうですけど、、、」「やっぱりそうでしたか。先ほどの挨拶でそう思いました」という。郷里を離れて60年、自分では標準語を話している積りでも同郷の士には「浜通り」の出であることまで分かってしまうのである。

 啄木ではないが、故郷の訛り懐かし会場の人ごみの中にそを聞きいるである、、、。一生直らないものであるな。そんなことを思いながら主催された方々に感謝し帰路に着く。 


これも時代の要請か

2013年05月31日 | 田舎の思い出

 90歳で旅立った義姉の葬儀で慌ただしい帰省(一泊二日)となる。田舎では、葬儀の仕方もすっかり変わり、嘗て屋敷周りの人々が協力してそれを仕切り自宅で弔らっていたが。今は大手業者に一切をお任せ執り行っていた。これも時代の要請か。

 そうした中においても、地域の互助の精神は温存され、都会では得られない温かみがあった。地域社会の絆は健在である。

 


爺々馬鹿

2011年06月10日 | 田舎の思い出

Aaaa  昨夕、新聞(T紙)を見ていると孫のチームの活躍が載っていた。別紙には孫の名前まで記されている。こんなことめったにないことである。すっかり爺馬鹿振りを発揮してブログに、、。明日はベスト8、4を目指しての試合である。頑張れよ。これまで指導して頂いた監督やコーチの感謝も込めて!!。このことが大事なことである。

 明日は早起きしてと、、。

 


単焦点レンズ

2010年07月31日 | 田舎の思い出

1jpgzzzz 友人のカメラ単焦点レンズを使っているので拝借し撮ってみると、明るくF1.8ということで草花などの撮影効果的に映すことができるのである。すぐ欲しくなる性分で早速(SAL50F18)注文したところ安く手にすることが出来た。

 早朝庭で試し撮りしてみた。確かに明るい。これからの勉強次第だが、レンズの特徴を生かした写真を撮ろうと思う。そのためにもレンズの交換を厭わずやらなくては、、、。001


鎮守の森

2010年06月25日 | 田舎の思い出

Zzzzzz 田舎の 鎮守の森には、お諏訪様という神社がある。文部省唱歌「村祭り」」にあるように、嘗て例大祭には村は総出の祭りで、夜店でにぎわっていた頃の話などしながらお参りをしてきた。

 赤紙一枚で召集されると、必ずこの神社できて武運長久を祈り、村人に挨拶をして出征される慣わしだった。鬼畜米英の打倒を滔々と話した兄も無事帰還し、八十路半ばで元気であるが、若くして戦場に散った村の先輩たちを想うとしんみりとなる。

当時は小学生も動員され、神社でその挨拶を聞かされたのである。挨拶の仔細は覚えてないが、勇ましい兄だと想ったものである。それを話すと兄は苦笑するのである。

 村祭りの歌詞3番には、、、

  治まる御代に神様の
  めぐみ仰ぐや村祭
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  ドンドンヒャララ ドンヒャララ
  聞いても心が勇み立つ


懐かしい炭窯

2010年06月23日 | 田舎の思い出

044 帰省の折、懐かしい炭窯があったので撮ってきた。炭窯?といっても理解できる人は少なくなったが、化石燃料全盛時代の今日では無理もないことである。

 戦前・戦後の時代は、大都会は別として燃料と言えば木炭である。台所も暖房も木炭が主流だったのである。その木炭を作るのが炭窯である。田舎では多くの人が冬場の仕事として炭焼きに従事していた。専業にして人も居たように思う。

 前述の無人駅には貨物のホームもあり、日に何百俵も貨車に積まれ都会に運ばれていたのを記憶している。今ではめったに見ることが出来ない炭窯を目にして窯がはきだす煙の臭いと共に懐かしさがこみ上げてきた。七輪でご飯を炊いたことも、、、。

 化石燃料が枯渇したら、また木炭が重宝されるかな??。


汽車を見に行く

2010年06月18日 | 田舎の思い出

037 過日の帰省の折、思い出探しにあちこち出かける。その1つが汽車を見に行った所である。3kmほどの山道を駆け下ると見ることができるそこはトンネルや踏切があり、自動車も通らない山間の子にとっては別世界であった。

 トンネルは今でもどっしりと構え風格すら感じる。そこに佇むと、今にも迫力満点の汽車が通ったあの頃の光景が脳裏に浮かぶ。近くに踏み切り番の方のための官舎があったが今は更地になっていて、そこに家族共々生活していた痕跡すら見当たらない。

 遮断機を上げ下げして安全を守っていた方を、私共は「踏み切り番」と言っていたが正確な名称であるか定かでない。

 


田植え頃

2010年06月11日 | 田舎の思い出

Aaaaa  明日帰省する。田舎は田植えも済んでいる頃だろう。久しぶりに緑一面の水田を見れるのが楽しみである。かえるたちの合唱も。

 昔は、苗代で育てていた苗が成長するのを待ち6月中旬ごろが田植えの最盛期だった。百人近くの「さをとめ」さんを頼んで一日で済ませるようにしていたので田植えは農家の一大イベントだった。

 今はハウスで苗を育て田植え機を使うので早乙女さんの姿は見れない。早乙女は歌の世界のみかな、、、。

 昔を思い出させる田園風景を心して探してこようと思う。


お彼岸

2010年03月22日 | 田舎の思い出

004 父母の墓参で田舎に出かける。アクアラインは何時もより混んでいたが昔に比べたら早いもので3時間余りで着く。煩悩多き此岸の兄弟たちが実家に集い、彼岸の世で悟りを開いたの父母たちに感謝の心でお墓参りをする。

 感謝と言えば、何時ものことながら実家を継ぐ弟夫妻の心の籠った料理での持成しもそうである。快く迎えてくれる彼らに感謝感謝である。Jpg_2