嵐雪の句に 梅一輪いちりんほどの暖かさというのがあるが、我が家の懸崖の梅、今朝みると一輪だけ咲いていた。これから本格的に寒さが厳しくなるのだが、嵐雪の句はこの地ではどうも当てはまらないようである等と記すと文学的比喩のわからん輩となるか。春は間もなくやってくる、、、。
正月の準備は万端、昨日は息子が孫を連れてあちこち掃除をしてくれたし、八十路半ばの郷里の兄からは野菜や御餅を送ってくれたし家族の絆を確かめる日でもあった。よい気分でお正月を迎えられそうだ。
嵐雪の句に 梅一輪いちりんほどの暖かさというのがあるが、我が家の懸崖の梅、今朝みると一輪だけ咲いていた。これから本格的に寒さが厳しくなるのだが、嵐雪の句はこの地ではどうも当てはまらないようである等と記すと文学的比喩のわからん輩となるか。春は間もなくやってくる、、、。
正月の準備は万端、昨日は息子が孫を連れてあちこち掃除をしてくれたし、八十路半ばの郷里の兄からは野菜や御餅を送ってくれたし家族の絆を確かめる日でもあった。よい気分でお正月を迎えられそうだ。
嘗ての同僚から退職記念に頂いたブーゲンビリア、20年可愛がってきたが、今年はどうしたわけか一輪も咲かなかった。咲かない理由をネットで調べてみると加湿、窒素肥料の過多などが記されている。そう言えば過保護だったかもしれない。
早く室内に取り込みしたため徒長枝が伸びたので切り詰めてみた。時期外れの剪定だったかもしれない。来年は見事に花をつけてくれるといいのだが、、、。
来年と言っても、もうすぐそこ!!新年に期待することたくさんあるほうがいい。夢を探そうか。
子供の頃、お正月を演出するのは父の役目だった。門松を立て、神棚やあちこちの氏神様に注連縄を張り垂を下げるなど、それを幼心でお正月を迎える慶びとともに頼もしく観ていたものである。
明日は、我が家の正月飾りをする日、このところはすっかり息子任せでそれを眺めていることが多い。質素な飾りでとメールで送る。気は心である。お正月の神様も区別はしないであろう。
アップした鉢は、例年床の間に垂を下げて飾る黒松である。50年近く共に歩んできた樹である。
寒い中、狭い庭はパトロールしていると福寿草があちこちで芽を出しているのが目にはいる。アップしたのは門に通じる階段傍の伽羅木の根元、暖かい陽だまりに生えてきたものである。。
この芽を見ると、正月(旧正月)の頃、芽を出したフクジュソウを藁で雪囲いをして慈しんでいた父の姿が脳裏に浮かぶ。あの福寿草の株分けをしたものである。
子供の頃から愛でていた福を招くというこの子達をいつまでも可愛がっていこう。咲くのは新年になってから、、、。因みに来年のお正月(旧暦)は2月16日である。陽射しも明るくなっていることだろう。
お正月を前にして植木屋さん達は稼ぎ時である。街ではあちこちで刈り込む心地よい鋏の音がする。我が家では、庭木に関してはすべて自前で管理することにしていたが、、、、。
今朝は、今年よく咲いた山茶花、花が一段落したので樹形を整えるため脚立に上がって刈り込んでみた。若いころは高い所でも苦も無く作業ができたが、寄る年波のせいであろうか防衛本能が働き、嘗てのような動きが出来なくなったことを実感する。そろそろ子や孫たちに拙い技を伝授しようか。拒否されるか。
富士山が一際美しく見える季節になった。遠望しているだけで、その美しさに惹かれ人の心の奥深いところにある素朴な宗教心を呼び起こされた古人の気持ちも理解できる。
昨日パトロールの帰路、富士山が綺麗に遠望できるということで、ご一緒したM宅を訪ねる。燦々と陽の光を浴びた二階ベランダより丹沢山塊に連なり西の方角にアップしたような一際高い霊峰を望むことが出来た。毎日霊峰を拝むことが出来るなんてなんと贅沢なことか。
我が家は、グルニエから丹沢山塊の一部がちょっぴり望めるだけであるが、、、。
夜来の雨も上がり乾燥しきった庭は、かなり降ったのであろうかその置き土産でしっとりとして日本晴れの天気とともに今朝は気分もいい。埃っぽい中で咲いていたスイセンも心なしか嬉しそうである。気温も久しぶりに15度ほどになるという。日課のウォーキングの距離もちょっぴり伸ばすか。
さて、1週間にわたって行われた歳末パトロールも今日で終わり、今回は午前中のパトロールとなる。元気で参加できることに感謝し出かけようか。
このところの安定した天候も今日は崩れるという。今朝はどんよりとした空模様、なんとなく気分まで落ち込んでしまう。陽の光のありがたみを改めて想う。
アップしたのは陽の光りを浴びている昨日の多摩湖、空も湖面も群青一色、、、。
昨日は、息子が時間をかけて車の隅々まで掃除してくれた。当初は少しの汚れも気になりまめに洗車していたものだが、運転歴50有余年、近頃は車の扱いも雑となり見かねたのか、、。
何事もそうだが、新鮮な喜びとその対応が薄れてしまう、、、人間の性か。
多摩湖周囲道路の街路灯が、LED照明にするための工事も終わり明るくなったということ出かけてみる。想像していたより明るく煌々と周囲を照らしていた。こうも明るくては街路樹も夜の休みもままならないだろうに、、、
デジカメのシーンセレクション「逆光補正HDR」で撮ってみたのでアップする。
子供の頃習った熱伝導の一つ、輻射熱という言葉近頃はあまり使われなくなり、放射熱あるいは熱放射というようだ。懸崖作りにしている白梅の木たち、温められた石垣の放射熱(輻射熱)で早くも蕾の先に白い花弁を覗かせてきた。今日は冬至だが、年内に梅一輪と愉しめるかもしれない。