Aは、八男一女の九番目の子である。親も、初めて子を授かった頃の感激はないだろう。つまり、またかという程度の想いでなかったか。そんなわけで田植えの頃(姉の云うには)の誕生がどうしたことか父の誕生日である9月27日となっている。車も通れない山間地では、役場まで行くには半日がかりである故、忙しさにかまけてその内にという感覚で遅れたのであろう。多少茶目っ気で自分の誕生日と同じくしたのかもしれない。明日はその誕生日である。還暦12歳ということになるが、まあ健康体に生んでくれた親に感謝し、、、
今では高速道路がを縦断しSパーキングエリアもある。当に隔世の感である。
昨日田舎からお米を頂いて来た。やっぱり新米は美味である。ところで、米を頂くたびに思い出すことがある。戦後いや正しくは戦前からであるが、米は国家が管理し自由に持ち運ぶことが出来なかった。配給制度が出来ていて各家庭が米穀通帳で買うのである。しかし、その量が少ない(大人2.3合)のでやみ米が、いわゆるやみ屋さん(担ぎ屋)によって汽車で運び売られていた。違法なわけだから時々取り締まりの警察の手入れがある。彼らは摘発を逃れるために、米の入った南京袋に鎖をつけ座席のしたに縛っていた。作業を遅くし他の人は逃げるためである。そんな場面を何度も観た記憶がある。従って米を持っていると子ども心にヒヤヒヤしたものである。親から掴まったら『自分の食い扶持です』と云うように云われていた。(町の親戚に米をよく届けさせられた)
街の食堂では外食券がないと食べることが出来なかった。本当に不自由な時代であった。
ビデオを借りて、自宅で観るのと違い、集会所で地域の方々と鑑賞するのは楽しみの一つである。同じ感情を共通にする中で、なんとも言い難い連帯感が湧くのである。今日は、第二回映画鑑賞会で『母べえ』をサークルで上映した。参加者が天候のせいか多くは無かったが涙、涙で終演となる。機器やDVDの借用まで諸準備したが、実施して本当によかった。しばらくぶりの涙と伴に、自宅では味わえない成就感を得ることとなる。
さあ、次回の映画会はどうしようか。
台風13号が、関東地方に近づいているようだ。被害が無いよう祈るばかりだ。ところで台風という言葉、いつ頃から使われたのだろう。戦後、キティ台風とかキャサリン台風とか云って名前を付けていたが、そのころからだろうか。『嵐』とかか『野分』というほうが、我が国の風土にぴったりのように思うのだが、事実私が小さいときは、みんなそう云っていたように記憶している。強い風雨が野山を分け入っていく様子が目に浮かぶ。嵐のあとの増水した川で泳ぐことが楽しみの一つであった。
13号が近づいているのに、ちょっと不謹慎かな