養蚕農家にとって夏は,戦場のように忙しくなる。蚕の旺盛な食欲(ー桑をはむ時は雨が降っているような音を立てるー)を満たすために早朝から、夜遅くまで何回も与えるために大量の桑を準備しなければならないからである。
子ども達も総動員される。我が家では、近所の子達にも手伝ってもらっていた。暑い中での桑摘みは、重労働である。その代わり、蚕が繭を作る頃は、暇になり父はご褒美をいろいろ準備してくれたものである。
その年は、海水浴に連れて行く約束だった。朝5時に起きて山道を下り、1時間ほどして川前駅つく、大勢の乗客が待っていた.しばらくして父の言うには「上りの切符がとれない海水浴をやめて郡山に行こう」とのこと。初めての海水浴を楽しみにしていた子達はがっかりするも、汽車に乗れるだけで楽しい我々は2時間もかけて郡山市に行くことを了承した。 当時の我々にとって郡山は大都会何もかもびっくりの連続であった。とりわけ驚いたのは進駐軍(占領軍が正しい)の人々である.初めて見る外国人 偏見がいけないという国際化の現代では、想像もつかない感情がわいたものである。街の子達は、群がりチューインガムやチョコをねだっていたが、田舎ものの我々は遠くで眺めるのが精一杯であった。海水浴が化けて初めて口にするアイスキャンデーで満足し帰路についた。
注 当時は鉄道が混んで切符の発売制限があった。助役に米を持って行って融通してもらったりしていたのを記憶している。賄賂である。