ビニールですっぽり覆っていたキヌサヤエンドウ、昨日もう寒さ対策もいいだろうと外してみた。すると実が大きくなっているのもありびっくり、虫も入った様子もないので自家受粉ということか。メンデルは自家受粉する前に人工的に交配をしたということか。
ところで新年会写真のお礼のメール何通か届く。写真には、今月初めに急逝したS氏の元気な笑顔もあり、皆その無常観を表現していた。改めて冥福を祈りたい。
野鳥のための吊り家の餌小屋、毎朝メジロや雀が訪れ、辺りを警戒しながら啄む姿が可愛いらしい。愉しみの一つである。そうした仲間を蹴散らし独占するのがヒヨドリである。
不安定な小屋にしがみつき食べようとするが、うまくいかない。それでも必死に挑戦するが、それでも駄目。そうした挑戦を繰り返す中で知恵がつきこの頃は成功率が高いようだ。アップした奴もその一つ、、、。何事にも根気か!!
何度も柳の枝に飛びつく様子を眺めて、己の努力不足を悟った小野道風の逸話を想い出した。
3本ある我が家の馬酔木、一番いい花を咲かせる木が綻び始めた。スズランの花のような釣鐘状の形がピンクに装い、実にかわいいらしいのでアップしてみた。
ただ、この花が咲くころは花粉症の季節を感じ始める時でもある。ご多分に漏れず我が身も反応し、目鼻に症状が現れ始めた。暫らくは我慢の時期である。ウォーキングもやめるわけにはいかないし、、、。
今日は2・26事件の日か。誤った方向に舵を切るきっかけを作った事件、それが軍を抑える力がそがれることとなり戦争へ戦争へと突き進むこととなった。歴史は繰り返すというが、そうならないよう歴史に学ばなければならない。
早朝雨戸を開けるとうっすらと辺りは雪化粧、狭山丘陵に連なる都立公園も春の淡雪に覆われていた。溶ける前にベランダより撮ってみた。昼ごろにはさらりと消えてしまうだろう。
ところで目下歯の治療中だが、昨日仮歯が欠けてしまった。本格的な歯が出来るまで待とうとしたが電話したところ、新たな仮歯を作ってくれるとのこと早速出向きつけてもらった。立ち所に作れるとは驚きである。ハッカケで暫らく耐えるなどは昔の話であるな、、、。
昨日の歩数、12519歩である。川越の七福神めぐりを完歩したためである。疲れたけどご利益を期待しよう。
ところで、昨日の街歩きで建造物を含めその景観を守るということは、難しいものであるということを実感した。世代交代で欠ける家もあれば、やむに已まれず手放す家もある。それが蔵屋敷街でも歯が欠けたようになっていた。また、甍の波の中に強大なマンションがにょにょきと建っているのも興ざめである。
伝統的建造物保存地区といえども時代の流れに抗うことはできないか、、、。
八十路近くの例の仲間5人、新年会を兼ねて川越で七福神めぐりを計画していた。諸事情で延び延びとなっていたが今日集うこととなる。小江戸川越と呼ばれるように歴史的な神社・仏閣が多い。久しぶりに宗教心を呼び起し巡ることとしよう。
その後は、気の置けない間柄の友との語らいタイム、世事万般といくか。
梅の花も野梅系は盛りをすぎたが、遅れて豊後系の花がほころび始めた。今年も、花付きがいい。やや大きめの実がたくさん生ってくれるだろう。
ところで政(まつりごと)を預かる方々の言い方に「誤解を与えたとすれば、、、撤回します]という表現をよく耳にする。この言い方は、「俺は悪くない、誤解というのは相手方、つまり聞き手がする者なのでお前が悪いんだ」と言わんばかりの表現の様にも聞こえる。
「1ミリシーベルト、何の根拠もなく、、、」という言い方が福島の被災者の方々に誤解を与えたとすればでは済まされないだろう。郷里では、放射線廃棄物をいれたフレコンバックがいまだに野積みされているところがいたるところのあるというのに、、、数の力は恐ろしい!!
フクジュソウの殖やし方は、株分けとは別に種子を蒔いて育てる方法があるそうだ。我が家では、もっぱら株分けをして殖やしている。アップしたものは軒下の陽だまりにさいたものである。暖かいせいか、早くも金平糖のような種子の塊が出来てきた。
これが、自然に落下し殖えてくれれば愉しいのだが、未だ見たことがない。種子で殖やすには人工的に手をくわえないとできないものなのだろうか。緑の可愛い金平糖を見て、そう思う。
晩秋の頃生えて他の植物が動き始める前のひと時、今頃花を咲かせ春の終わりごろにはすっかり姿を消す植物は少なくない。その一つにオオイヌノフグリがある。あまり有難くない名前を頂戴しているが、よく見ると実にかわいい花である。
小さなコバルトブルーの花びらを陽射しを浴びて精一杯広げ「春はもうすぐだよ」と告げている。その懐かしさを覚える花が、我が家の庭にも咲きだした。