繁殖力旺盛なツルニチニチソウ、フェンス際のあちこちで咲いているのでアップしてみた。蔓を四方八方に這わせ延るで他の植物にとってはいい迷惑をしている。さきほどツツジなどの絡みついた蔓を切り詰めてみた。こんなところが庭に植えてはいけないと言うことなのだろう。
花は5弁のスクリューのような形をして今時、黄色の花が多い中で唯一青紫色をしている。因みに繁殖力旺盛で冬も枯れることなく青々としているので「魔女のスミレ」などと言われている。可哀想に、、、、。
繁殖力旺盛なツルニチニチソウ、フェンス際のあちこちで咲いているのでアップしてみた。蔓を四方八方に這わせ延るで他の植物にとってはいい迷惑をしている。さきほどツツジなどの絡みついた蔓を切り詰めてみた。こんなところが庭に植えてはいけないと言うことなのだろう。
花は5弁のスクリューのような形をして今時、黄色の花が多い中で唯一青紫色をしている。因みに繁殖力旺盛で冬も枯れることなく青々としているので「魔女のスミレ」などと言われている。可哀想に、、、、。
都の里山公園では、マンサクに続いてサンシュユも咲き始めたのでアップしてみた。今はマンサクと競って早春の訪れを知らせているようである。 これらの花は、葉が芽吹く前に咲くので林の中では、遠くから見ても鮮やかな黄花のかたまりがよく目立つのである。
サンシュユは、元々は中国や朝鮮半島などにある木で外来種なのだそうだ。 この公園内に生えているのは、この1本だけなのでどなたか植えたのであろう。こんなこと以前記したような気がするが、とにかく「春はそこまで来ているよ」と教えて和ませる木である。
諸々のランを着生させた木株でオンシジューム(既に萎えてしまったが)に続いてカトレアが2輪咲いてくれたのでアップしてみた。 白い根を四方八方に伸ばしているので、これからも新芽を伸ばしてくれるだろう。次々に花をつけてくれるのが楽しみである。
ところでランの仲間は、大した栄養もとることもなく花をつけ愉しませてくれるが、その生命力には感心するばかりである。着生植物の特徴なのであろうが、この木株という小さな世界での営みを日々観察してはたのしんでいる。
暖かくなったら外へ出し、空気中の水分とそれにとけている養分をたっぷり吸収させてやろう。オンシジュームばかり着生させた木株も、、、、。
懸崖の梅たちは、早くも盛りを過ぎ花弁を北風に委ねて舞い始めている。その様は、桜吹雪ならぬ梅吹雪とでも言うべきか。吹きだまりは、雪が降ったようである。2月もあと三日で過ぎ去る。一時のような厳しい寒さは、もう襲ってこないだろう。
昨日ややぎこちない鳴き方ではあるが、ウグイスの初鳴きを耳にする。庭の巣箱には、シジュウカラが連れ合いを伴ってさも点検しているかのように訪れるようになった。そうした彼らの振る舞いによっても、春が近いぞと教えられる今日この頃である。
度々アップする我が家のヤブツバキ、盛りを過ぎたか綺麗な花弁が見つからない。今日アップしたのは葉隠れに咲く一輪である。 冷たい風雨にさらされることもなく比較的綺麗な形をしている。
西行の歌に「葉隠れに散りとどまれる花のみぞ忍びし人に逢ふ心地する」とあるが、古人はなんてロマンチックなのであろうかと想ったりする。
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ロシアのウクライナ侵攻から早1年、この無謀な戦争を仕掛けたプーチンに対してロシア国民はどう思っているのだろうか。 マスコミは政府べったり、おそらく悲惨な光景など放映されないであろう。反戦など唱えれば逮捕されるという。 声を挙げたくても耐え忍んでいるのであろうか。
何かその様が、戦中の我国のそれを見たような気がする。 「勝った」「勝った」の報道一色、戦争反対というものなら特高に「非国民」と言われしょっ引かれ、戦いを聖戦と唱えたあの世相と、、、、、。
歴史に学ぶと言うが、歴史は繰り返しともいう。進歩がないなぁー
野梅系の花は満開もすぎ木によっては花弁を散らし始めている。 遅れて咲く唯一の豊後梅も蕾を膨らませてきたのでアップしてみた。間もなく淡いピンクの花が咲きそろう。今年は花付きもいいので収穫期がたのしみである。
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泊まりに来ている孫の勉強に付き合う。 やたらと難しい問題に挑戦しているようだ。頭の固まった爺には、お付き合いも大変、、、。 いよいよ受験戦争に突入か。 選別(ふりおとす)のためのやたらにこねくり回した問題集、真の学力とあまり関係無いものばかりと想うのである。
ところで好きこそ物の上手なれと言うが、プラモデルの製作に細かいピースの山を組み立てに根気よく何時間も掛けて完成させていた。
猫の額のようなミニ畑では、芥子菜がこの寒さの中で元気いっぱいに葉を伸ばしている。間もなく花茎をのばし(塔が立ってともいう)花を咲かせるのであるが、種を採取するために2,3株収穫することなく残したいまの芥子菜の姿である。
ところで、芥子菜も黄色い花を咲かせるのであるが、ナタネの花も黄色、ハクサイ花も黄色、 カブの花も黄色、、、、黄色はアブラナ科に共通している花の色であるようだ。これらはすべて菜の花、春に咲く花は黄色が多い。 どういう因果関係があるのか、その筋の研究家に聞いてみたいものである。
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免許返上してから行動半径がすっかり変わってしまった。 そんな中、昨夜は久しぶりに出かけ食事会、婿殿からの招待である。愉しい会話の中、美味しい肴とお酒を味わう。 変化のない日々に潤いをもたらせてくれたことに感謝、感謝である。
サツキ鶴翁、枝振りが間延びしてしまった。そこで取り木によって分割を試み昨年からA図のようにして準備してきた。枝先の方の幹が十分発根しているのを確かめ昨日切り離し鉢植え(B図)にした。天頂の切り離した所は、将来株立ち作りにしようと考えている。
ところでこの作業で勉強になったことがある。 幹の部分(C図)であるが、枝先きの部分の小さな幹でそれぞれ発根し十分水分を吸収するようになると共にその役目を果したのであろう切断してみると完全に枯死(枯れ木)しているではないか。枯れ枝の先に青々とした葉をつけ元気な鶴翁が生きていたと言うことになる。これも実践してみて初めて分かったことである。
塀の外側に懸崖作りの紅梅、満開となったので再びアップしてみた。 八重のこの木の独特の咲き方かも知れないが花弁の向きに特徴がある。 四方八方と奔放に咲かせる白梅などと違ってすべて下向きに咲くのである。
実付きが、あまりよくないのでこうした咲き方が、子孫を残す(実をたたくさん生らす)最良の咲き方なのであろうかなどと考えてみたりして愛でている。左側は上から右側が下から撮った画像である。
狭い庭を計画的に利用することなく、いつものことながら思いつきのままあちこち掘り起こし利用してきた。これは草花にとってはいい迷惑な話である。
アップしたのはその典型、ラッパスイセンの根元からクロッカスが窮屈そうに芽を出し花をつけ陽の光を浴びている。こんな所に、、?と思ってみたが掘り起こした土と共に運ばれてきたのであろう。そうしたことで、今庭のそこここにクロッカスが咲いている。
花言葉は「青春の喜び」だそうだが、もっといいところに植えてよと「青春の叫び」をしているようにも見える。反省しきりである。