すっきりしない天候が続いたが,今朝はぐっと冷え込んだが快晴、気持良い日になりそうだ。サツキたちの鉢は、シンクイムシの被害がおおくあまり成績が良くない中でキリシマツツジだけはしっかりと花芽を付けている。
アップしたのはその一つ溶岩に穴を開け植え込んだ木である。狭い環境の中でも根は溶岩をしっかりつかみ花芽をたくさん育て活き活きとしている。今から春の開花を愉しみにしている一つである。それにしても憎きシンクイムシである。
すっきりしない天候が続いたが,今朝はぐっと冷え込んだが快晴、気持良い日になりそうだ。サツキたちの鉢は、シンクイムシの被害がおおくあまり成績が良くない中でキリシマツツジだけはしっかりと花芽を付けている。
アップしたのはその一つ溶岩に穴を開け植え込んだ木である。狭い環境の中でも根は溶岩をしっかりつかみ花芽をたくさん育て活き活きとしている。今から春の開花を愉しみにしている一つである。それにしても憎きシンクイムシである。
ピラカンサまたはピラカンサスとも言われる木が、実を蒔いたこともないところに生えてきて何年目だろうか赤い実を付けたのアップしてみた。
だぶん野鳥たちが、どこかで実を啄み体内を通り糞として落としたものなのであろう。言わば野鳥たちのプレゼントである。ピラカンサはバラ科の中で実をたくさんつけ常緑の木なので縁起のいい木とも言われている。狭いところに生えてくれたが,剪定しつつ大きく育てようか。
バラ科と言えば、この実よりひとまわり大きな実を付ける野バラがある。常緑ではないが今頃は,やはり真っ赤になり野鳥たちが好んで啄むのである。それを餌にしてバネ仕掛けの罠をかけ野鳥たちを採ろうとした故郷のあの地を想い出す爺である。成功したことはないが、、、
昨日いろいろなランを着生させている株の中でオンシジュームが開花したのをアップしたが,今朝はオンシジュームのみ5株ほど黒松の枯れ枝に着生させているものをアップしてみた。と言うのは、こちらも2株が花茎を伸ばし始めているからである。
花芽を伸ばし咲くまでには時間がかかるが来月の半ば頃にはアップできるのではないかと愉しみにしている。ランの仲間では、オンシジュームは戸外(冬季は室内で)であまり手のかからない種でほったらかしでも咲いてくれる丈夫な種なのである。
木株に着生させたランたち、カトレアの花が萎えたと想ったら今度はオンシジュームが花茎を伸ばしモンキチョウのような花びらを広げ咲き始めたのアップしてみた。
僅かばかりの玉肥を添えただけなのに土壌に触れることなく咲かせるランの強さを改めて知らされる想いである。デンドロビュームも木株からはみ出しているように新芽を伸ばしているのでこちらの開花も楽しみである。
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「朋あり 遠方よりきたる また楽しからずや」と孔子様は言ったそうだが、昨日のOB会も当にこの漢詩を想い出させるような宴であった。そこそこ健康に恵まれ集い、語らい、詠い、そして学びあうことが何と楽しいことか、、、。齢と共に多くの友が旅立ってしまい数少ない集まりである。幹事さんの努力によりこれからも続くことを切に願う爺である。
不如帰は、托卵して育てて貰った子供を連れて南の国へ飛び立ってしまったが、植物のホトトギスは花今盛りなりである。アップしたのは近くの公園で咲くホトトギスとお隣の庭に咲く花である。
よく観ると花の大きさ、形、色合いなどが若干違うように見える。同じ園芸種でも違いがあるのであろうか。ホトソギスは地方によっても異なり中には台湾種との交配があったものもあり彼らの国際化とでも言うべき種がうまれているという。
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さて、今日は、年一回のOB会の日である。退職して28回と言うことか。知らず知らずにして今や最長老(、、、自分で言うか?、、、)となってしまった。何か挨拶を求められるであろうから自分なりに地域社会での足跡などでも語るか、、、
いよいよ落ち葉シーズンがやってきた。毎日、勤行の作務の種となる懸崖の梅たちの枯れ葉である。、今は放っておくと道は落ち葉の絨毯となりかねないので日に何度も掃くこととなる。春に魁けて咲く花を愛でたり何㎏もの実の収穫の楽しみを想いながらのその勤めを日々果しているこの頃である。
アップしたのは、花芽を育てる役割を立派に果し枯れ葉予備軍となってしまったが、それをまだまだ抱えている懸崖の梅たちである。予備軍の根元には幼い花芽が早くも姿を現わしている。来年もたくさん収穫出来そうである。
マンリョウに魁けてセンリョウの実が早くも色づき始めたのでアップしてみた。とは言っても株によってではあるが、、、色づき始めた株は葉の色も濃い健康そのものという感じである。小枠の方は葉にも生気がない、土壌の関係であろうか。それとも株の老化であろうか。色づきはいずれ追いつくであろうが、、、。
このセンリョウ昨年は、小さなコガネムシに蝕害され全く実を付けることがなかったが、この調子だとお正月の頃には真っ赤になり縁起物として飾れそうだ。
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先日、親知らずの歯が欠けてしまったので歯医院に連絡すると診療が11月になるという。舌触りが良くないので早くと願ったところ臨時に今日見てくれるとの返答、、今やコンビニ並みの数がある歯科医院、それでも混んでいると言うから不思議である。予約制も良いが急患にも直ちに対処して欲しいものである。
サツキの小物、今年はシンクイムシに新芽を何度も蝕害され花芽が極端に少ない鉢もある。樹勢が衰えていているようである。体力回復のためこれまで地植えしたことがあるが、アップした鉢もそれをしてあげよう。
ところで大きなサツキの盆栽、断捨離は出来ない。兄の例にもあるようにいずれどなた様かに託すこととなるので今から考えていかなければならない。そのためにも自己流ながら丹精を込めて愛しんでいこう。後に託すことも考えて、、、、、。
今年も小さな小さな朝顔をアップしてみた。双葉(子葉)と本葉でそれぞれ二枚ずつと小さい朝顔だが、小さい小さい花を2輪咲かせているので撮ってみた。
様々な条件下でもやむにやまれず発芽してみたものの季節の移ろいにびっくりして、小さなながらも花をつけたのである。子孫を残すために必死のその姿がいじらしい。これから種子を育てることは、難しいだろうに、、、。こんな小さな世界に目を注ぐのも愛おしく愉しいものである。
先日に続いて実家の甥からも新米送られてきた。感謝し有り難く頂くことにしよう。ところで故郷を離れて70有余年、想い出すのはあの田圃の光景である。今は、農地の基盤整備されコンバインなど大型の機械が入られるような広々とした水田となったが、子供の頃見た田圃は、田毎の月が喩えられるような小さく湿田の連続であった。今でも夢の世界はその光景である。田舎から届く度想い出すのが、あの故郷である。懐かしいなぁー、、、。
早速甥に電話する。91歳の兄たちも牛(子牛が生まれた)の世話などして元気とのことなにより折を見て電話してあげよう。甥の話によると子牛の値段は、50万~70万円という。馬を飼っていた子供の頃は、子馬の値段が3万~5万円だったのでその値に驚く。爺の時代の感覚が遅れているのであるが、、、、。